ヒーローと、私の話。

さて、昔の話をしようか。

高校二年生の時の私と、友人のお話。

たくさん思い出があるし、ものすごく大好きだった友人なので、かなり長いと思う。後、私はほぼ高校時代の友人からは苗字で呼ばれていたので、今回もその通りとなる。


私と友人が出会ったのは、高校二年生のクラス替えの後だった。私の高校は一学年に300人いる中でスポーツ推薦が10人いて、まあまあ部活に力を入れていた。二年生からはコース選択に伴うクラス編成で、PCについて細かく学ぶコースに、スポーツ推薦とか無縁だと思っていたし。現に当時のクラスは運動が苦手な人が多かった。

スポーツ推薦で入ってきた彼女は、短髪の、ショートカットがよく似合う、授業中によく寝て、ヒーローになりたいと笑い、ドッジボール大会では異様に張り切り本気で戦う、肌の綺麗な、素敵な、素敵な女の子だった。結構私的には顔も綺麗だと思う。容姿に無頓着ではあるけれど。私と、友人と、別の子で3人グループとなって、秋頃までゆるく、楽しく過ごしていた。3人ともアニメや漫画、VOCALOIDと言った好きなものが共通していて、ボケたりツッコミを入れたり、時には冷静になったりと、とても楽しく過ごしていた。と思う。


転機が訪れたのは、秋。文化祭の事だった。色々あって、クラスの中心的存在と揉めた当時の文化祭委員だった私。少し距離を置くかのように、別の子は、違う女の子に誘われグループへと移籍した。そのグループは比較的大所帯であったし、部活の友人もいたが私の苦手な人や、そもそも違う女の子が私のことを苦手としていたこともあり、自然と少し疎遠になった。彼女とは部活も同じということがあり、別に仲が悪かったわけではないが、それでも、長いものに巻かれていくそのスタンスに私は少し悲しさを覚えた。

しかし、友人は違った。「あんまりそういうの気にしてへんねんな、わからんしなあ。」と笑いつつ、私の側にいてくれた。2人になった私たちは、適当に喋りつつ、お互い1人の時間も持ちつつ、適当に、ゆるく仲良くしていた。

修学旅行の季節になった。部屋決めを行う際、とあるクラスメイトから声をかけられた。彼女は大所帯のグループの一員だった。「勝手にあの中で部屋決めしとってさ、鈴木と○○(友人)のこととかどうでもええみたいやねん。私そういうの嫌やから、一緒にならん?もう1人おるから4人になるけど。」私は友人と同じ部屋ならどこでもいいや。という気持ちだったため、即座に頷いた。部屋決めは何故か奇数塗れだったが、担任に頼みこみ、偶数の許可ももらい、私は無事友人と、その新たな2人と4人で行動することとなった。

その中でも友人はなんとなく私の中で別格で、小学生みたいな「ヒーローになりたい。」「憧れはワンパンマンのサイタマ。」というのを本気で、きらきらとした目で言うような彼女と過ごす日々は、素直に、とても楽しかった。

人のことをちゃんと見て、かなり空気の読めないところもあったけど、それでも私と過ごすと言う選択をとりつつも、誰とでも臆せず話せる強さはやはり尊敬していた。


一度だけ、友人と2人で遊んだことがある。

私は吹奏楽部で、ほぼ毎日部活がある。友人はスポーツ推薦だったため、私より部活の時間が遅く、私より休みのない日々だった。少しだけ見たことがあるけど、友人が一生懸命に競技に打ち込む姿が、とっても大好きだった。

友人の練習試合が終わって、2人でカラオケに行った。正確には、先に入ってた私に友人が合流したと言う形だったが。「私この曲いつも点数ええねんな。」と言いつつ、入れた悪ノ召使。せっまい部屋で、座るとこなんて2人がけのソファしかなくて。立って歌う友人に、え、そんなに上手いんかなあと思いつつも、しっかりと高得点を出した友人に「え、ばりすごいやんー!」と言ったり。私の人生において、振り返っても幸せだと思えるほどだったのはあの時が初めてだ。


文化祭の影響もあり、私は半分不登校になっていた。行ったり行かなかったり、1日丸々休んだり、2限目3限目から行ったり。別の友人から言わせると、「あの時はみんな麻痺してた。めいかが遅刻してきても普通だと思ってた。」って言うほどなので相当だったと思う。いつ休むかも分からない、毎日ラインもしてないような私に何も言わずに過ごして、私が休んだ日には違う子と普通に昼食を食べたのに私が来たら2人でご飯を食べてくれる。そんな友人だった。

4人グループになってからも不登校は続き、‪何人かからは「鈴木学校おいでーや。」と言われるほどにもなった。担任からも単位がやばいと言われた。それでも友人は特に何も気にせず、何も言わず。‬
‪帰り、自転車置き場で友人に対して「○○、絶対私に対して学校おいでとか言わんよなあ。」と言った。友人は自転車のブレーキを外しつつ、「鈴木そんなん言ったからって来る人やないやん。それに、別にまあどうでもええしなあ。」と言った。‬
‪「まあそやなあ、言われたから行かへんなあ私。今も適当にしか来てへんし。」と返すと

「でも。」‬
‪「私は鈴木と三年生になりたいけどな。」‬

続いた言葉に思わず友人の顔を見た私に、友人はちょっとドヤ顔で笑った。

「うわー!!○○大好き!」

「うわまた始まった。はいはい。」

私は好きなら好きと言う。を信条に掲げていたので、すぐ友人にハグをした。というよりかは抱きついた。友人は手慣れたようにはいはい。やうっっとしい。とあしらうようになった。


でも、間違いなく、私は、この友人の真っ直ぐな言葉がなかったら進級して、三年生になって、高校を卒業するということをしなかったと思っている。



修学旅行では同じ部屋で、同じグループで、同じぐらいご飯をお代わりして、隣の布団で寝て、一緒にYouTubeを見て、最終日は声をかけてきた友人と3人で下ネタを話しまくって深夜を過ごし、私が鼻血を出して心配させると言ったことすら起きた。写真を見返しても、ツーショットはないのに、集合写真や部屋のメンバーで撮った写真では絶対隣の場所を確保している。修学旅行という名のスキー合宿だったけど。友人はスキーもうまくて、怖がらずにスイスイ滑り、下手な子を助けたりとしていた。自由時間に滑りに行って、夜ご飯のタイミングで先生に「暴走族がいる。」と全体注意を食らったときに、「あ、それ多分私やわ。ほんまに楽しかった!」と言っていたので多分相当だと思う。私は自由時間、早めに帰るか部活の友人と雪だるまを作っていた。


1月も終わりの頃、マラソン大会の日だった。私は体育祭の影響で、足を骨折しておりマラソン大会は見学で、帰ってきたクラスメイトの順番を記録する係となった。スポーツ推薦されるぐらいには運動神経が良くて、そして運動が大好きな彼女は、マラソン大会を異様に楽しみにしていた。意味わからんけど。私は見学で嬉しかったのに。そんな彼女から、熱でとった。インフルになった。とラインが来た。当日、友人と滅多にしないラインをして、朝から電話すらして。私はすごく泣いてしまった。友人が楽しみにしていたのも知っているし、友人がいい順位で帰ってくるのも、楽しみにしていた。グループの子からは笑われ、「めいか○○のことほんまに大好きやもんなあ。」と言われた。この日、私はマラソン大会終わった後に友人の家に行った。お見舞いとか言う言葉のもとで、ただただ私は友人に会いたかった。「いや、ゆうて元気やねん!外寒いな、うち入り。」玄関に座り、どう考えてもこいつインフルかと言うぐらい元気な友人に会って、また泣いて。友人に抱きついて、すごく泣いた。友人は少し困った顔をしながら「あーもう、また泣いてる。ほんまに私のこと好きやなあ。」「当たり前やん、普通来えへんわ、インフルの人の家にわざわざ。」と返すと「せやなあ。」と言いながら私の頭を撫でた。基本私の好きや抱きつきをあしらったりうっとおしがる友人が、素直に受け入れたのは数回だったと思う。

「てか寝なあかんやん!」と泣き止んだ私が言うと「ずっと寝とったし、眠ないねん。」と返された。友人のおでこに触れると、まあまあ熱い。「熱あるやんけ。」「嘘やろ。」「ほんまやって。」「てか移るで。」「もうええよ、移ったら最高やん。出席停止やし。」友人が笑った。「ええん?私に会われへんで?」「うわそれ、私が○○好きなんわかってて言いよる。」「今やったら押し倒してもええで。」熱に浮かされた友人と、恋に近い、もしかしたら恋かもしれない感情を友人に抱いていた私。私はそのまま、友人を押し倒した。別に、それから先は何もない。「あかんわ、はずいわ。」私がそう言い、友人を起こした。「中入り。」

リビングに入り、2人で床に座り、色々な話をした。進路の話、クラスの話、マラソン大会の順位の話、お互いの部活の話。「鈴木やったら言ってもええかな。」「何?」「私さ、ADHDとアスペやねん。知ってる?」「なんとなく?」友人から、突然の暴露をされた。空気が読めないこと、一人で危険な行動をとってしまうこと、幼い頃にわかって、母親のおかげで病院に行けて今があること。友人は真剣な顔をしながら話してくれた。

私はなんて返したらいいかわからないまま、それでも友人のその症状に助けられていることを素直に伝えた。「お前やばいやろ。助けてんの。」と笑いつつも、「あーよかった。ちょっとな、引かれるかなとか思ってん。」「いやいや、なんで引かなあかんねん!」「よかったわ。」「私○○のこと大好きやし。」「もう何回言うねん。あーうん、私も鈴木のこと好きやで。結構好き。鈴木な、ちょうどええねん。…今だけやでこんなん言うん。」嬉しくなって、また抱きついた。

翌日。学校にて、4人グループの他の2人に友人に会いに行ったことを告げた。「うわ、鈴木やりやがった。」「インフル確定やろ。」「ええねん、学級閉鎖狙っとるから。」2人とも笑った。「まあ鈴木元気な顔して安心したわ。まさか泣くとは思わんかった。」「えーねん。○○に会えたしな。もう元気やで。」笑顔の私をみて、2人も笑った。

結果的に私は、友人の復帰を待たずにインフルになった。しかも熱が下がってから。と言うのはではなく、しっかりまるまる1週間の休みをくらった。ちなみに学級閉鎖にもならなかった。『インフルなったー!』『ほんまになったんwwwアホやろww』『お見舞い来たあかんで!』『部活終わるん遅いし行かん。』友人がインフルになったときから、細々とラインが続いていた。

熱が下がって4日ほど経っても病院から告げられた期間は終わらなかった。私の家にバレンタインのチョコやらプリントを届けにくる部活の友人やグループの子が代わる代わる現れた。高校から近いところにある私の家はちょうど来やすかったのだと言われた。『さすがに暇やわ。年明けから結構ちゃんと学校行ってたし』『今日行ったろか。』『ほんまに!?』『ちょっとだけな。』友人が本当にきた。「うわ!○○やん、元気?」「当たり前やろ。鈴木こそ元気そうやん。」「さすがに暇やったわ。久々に会えて嬉しいわ…。」「鈴木おらんくてちょっと寂しかった。」けらけらと笑いながら少し話し、友人を大通りまで送った。道路の端ではなく、少し真ん中による友人。後ろから来る車に気付かない友人。「どしたん、後ろに車来飛んで。」「ほんまや。まあひかれへんやろ。」「やめえやそういうの。気付けて帰りや、ありがとうね。」

数日後、私も学校に復帰し、4人でお昼ご飯を食べていた。今までは目につかなかった、友人が薬を飲む光景。

「なあ、その薬なんなん?」

「なんもないよ。飲み忘れててん。」とはぐらかされ、初めて友人に壁を感じた。

翌日、2人きりになったタイミング。…と言いつつ視力の悪い私に合わせて教卓真前の席を2人で独占していたので基本隣の席だった。

「前さ、話したやん?」

「あー、うん。アレ?」

「そうそう、私がキチガイやって話。」

「ちゃうやろ、○○はそんなんちゃう。」

「…まあええや。いつも薬飲んどるねんけど、飲み忘れとって。それがアレ。副作用酷くて。眠気がすごいねん。よう寝てるやろ。」

確かに、友人は授業中うとうととしていることが多く、よく怒られていた。

「あーうん。」

「気付かれんようにのんどるねんけど、見られてもたなあ。」

「あんさ、前○○が私の家来た時車気づかんかったやん?それも?」

「んなのあったっけ…。多分そやな、飲んでへんな。」

ゾクリとした。薬がないと、友人はあそこまで危険な、行動をとってしまうんだと。

ちなみにこれ、文化祭が10月、私がインフルエンザ熱下がり後がバレンタイン。ということを加味しても、わずか半年ほどの出来事です。密度が高いね。


全てを書くには、あまりに長すぎたのでここらへんでやめておこうと思います。

正直、細かい会話文は2割ぐらい雰囲気で書いてるところあります。そんなに全てを細かく覚えているわけでもない。だいたいこんな流れだし、要所要所はそのままです。本当にインフルの友人の家に行ってインフルもらいました。

この後を簡単に記しておくと、もちあがりのクラスで3年に上がり、4月生まれの友人に私は何時間もかけてマカロンとホールケーキを作りました。美味しかったらしいです。「鈴木のお菓子好きやねん。」ときらきらした目の友人、今でも思い出せます。友人はこの後普通にクラスでも自分の疾患をさらけ出して、今もTwitterのbioにはその二つが載っています。私はこの3人とは、別の事をきっかけに9月ごろから距離を置いてしまい、そのままです。マラソン大会から続いていたラインは、そこで途切れました。部屋決めで声をかけてきた彼女とはインスタを通して連絡をとっており、3人で遊んだ。○○は相変わらずだった。とあの時と変わらない友人の話を聞くことができました。

友人は、多分今も元気にしてます。相互フォローだったのをやめた趣味垢を先ほど元気かな、と久々に覗いたら相変わらず元気でした。多分もう二度と会うこともないし、二度と話すこともないのだろうけれど、私が友人と特にしっかりと過ごした、友人のことが大好きだった日々をちゃんと覚えているうちに残しておこうと思って深夜に眠気と戦いながら打ってます。友人は忘れっぽいので私が覚えています。

あの時の私はきっと友人に恋に近いものをしていたし、あの友人の素直さ、空気の読めなさ、誰にでも嫌われるかな、とか気にせずに話しかけていく様子とか、明るさとか。それでいて冷静であんまり人前で悩みを見せずにいた友人にひたすらに憧れていたんだと思います。「アイドルになりたかった。」と最近素直でTwitterで言えるようになったのは、「ヒーローになりたい!」と本気で高校生になって言える友人の影響を数年越しに受けているのかなと思います。



私にとって友人は紛うことなく、本物のヒーローだったよ。

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