息子が野球を職業にするまでの話②
息子、野球を職業にして2年目を迎えます。
親にとっては、良くも悪くもまさかすぎる息子の人生。
いわゆる王道ではなく、注目されたこともない極々普通の道を歩んできた息子が野球を職業に選んだお話です。
続き
納会を終えて五年生になり、一軍へ合流。
初の合同練習で塁間が2mも広くなり、距離に戸惑いながらも嬉しそうな息子。
合同練習といいながらも、監督はいきなり練習試合を組んでいて、あれーって感じだったのを覚えている。
そんな中で息子はスタメンショート、そしてサードで起用される。
打順は下位。主に送りバントが彼の仕事。ランナーがいない時は2ストライクまで待て。実質一球勝負。
守備も無難にこなしてていたけど、塁間が広くてファーストまでノー版で投げられず。監督から
「うちはノーバンで投げんと試合には使わんぞ」
といわれながら、出たい一心で一生懸命投げていた。
次のポジションはセカンド。通常のポジションと違い、センターよりに深く守るこのチーム特有のシフト。これまたベンチから遠く感じた。盗塁や牽制はショートの上級生に任せて、守備に一生懸命。でもカバーに入ったりと、それなりの動きを見せる。
そしてその次はライト。これもまたセカンドゴロを裁く感覚でライトゴロで打者をしとめるシフト。肩と守備力がモノをいうポジション。一昔前はライパチくん(ライトで8番バッター)なんて馬鹿にされるポジションだったんだけど、外野の中でも重要なポジション。そういえばイチローもライトだったっけ?
まあ、練習試合を見ていながら、指示も細かく緻密で、これが1軍野球なんだと驚いた。
冬休みが終わってから、正式にチームが発足。とにかく走りこみ、午後から基本練習。雪が降ろうがグラウンドが泥濘だろうが、ひたすら練習していた。
1ヶ月を過ぎ、対外試合禁止が解けると練習試合。
初戦は別リーグのチーム。雪のふる中スタート。息子はサードで途中起用。エラー、悪送球で監督から雷をもらった。
結果はラグビーのようなスコア。負け。厳しい結果だった。
その後、小学校へ戻ってひたすらフリーバッティング。雪が斜め振りしてグラウンドはぬかんるんでドロドロ。でも監督は意地でもやめない。気持ちはよく伝わったシーンだった。
そしていよいよ新人戦トーナメント。当時のエース、監督の甥っ子、普段はシレーーっとしたやつだけど、魂のピッチング。黙って黙々と投げ続け、三連投する事もあった。
準決勝は4-2で勝利。決勝の相手は最大のライバル。相手バッテリーはとてつもなくいい。
結果は、、圧勝。チームは5年生が3人ほど出ていながらも勝利。優勝!
このとき初めて監督采配の凄さを見た。この監督は本当に凄いと思った。また投げたエース。黙々と投げ込む。細いのに凄いスタミナ。本当に凄い奴と感じた日でもあった。
息子はベンチを暖めたまま。出番はまだない。
そんな中、監督が試合をダブルエントリーした。レギュラーと控えを分けて公式戦を戦う事に。
息子は公式戦に出れる喜び一杯。でもポジションが分からないまま。
ある日の練習試合で、監督が控え組みのチーム編成を始めた。
息子のポジションは、、、、キャッチャー。。。。あれ?
後で聞いた話だが、本当は別の子を予定してたけど、風邪をひいいてお休み。。そんな中で、低学年のTコーチに相談したら
「Sができるっちゃないと?」
と言う答えが返ってきた。アレ?一回も使った事ないに何故だ?!
そして初マスク。そういえば小さい頃、Sにどこを守りたいかと聞いたら、キャッチャーって答えたのを思い出した。こんなところで早くも夢が適うとは。。爆
なんとなく、まあ何とかなるかな?ってなかんじでそのままポジション入り。
キャッチャーってチームを牽引する役割もある。
息子は結構リーダーシップとるタイプ。性格的にもあってた。
監督に「そんなキャッチャーおらん!」と怒られながらも、何とか様になってきた所で公式戦。
相手は他地区の強豪。
監督はなんと控えチームに同行。
「お前たち、俺が来てるってことは、勝ちにきたんやけんな。俺は負けるつもりなんかないぞ。」
と鼓舞。
ノックも終わって試合開始、、、、、あーっというまに5点献上。。。。
先頭バッターがセーフティバントしたり、左バッターは完全に左打ちに徹したり、、レベルが違った。今になってみれば、初回5点で済んだのかというくらいのレベル。
ベンチに戻ってきていきなり雷。
「とにかく出るしかないぞ。何でも良いから塁に出ろ!」
との檄が飛ぶ。
1番バッターは息子。相手ピッチャーは六年生。いい球投げてる。
公式戦初打席、なんと三塁線を破るレフト前ヒット!初打席初ヒット!しかも2塁打、、、、でも10秒後にはけん制アウト。。
結局26-0の時間切れ。コールドにもならず。。。だってコールドイニングまでも到達しなかったんだもん。
チームのヒットは息子の1本だけ。
監督は「こんな負け方初めてだ。スコア捨てといて。」といったが、Yコーチは
「Sがヒット打ったじゃないですか。捨てられません。」ときっぱり。
Yコーチの優しい顔と子供への思いやり、今でも息子がYコーチを大好きな理由の1つです。
大敗して帰ってきても楽しんだ感しか残っていないような雰囲気、、でもそれも1ヵ月後には一変する。
そしてリーグ戦が開幕。息子は出番なし。
前半の山場。初回5点を先制も、あれよあれよと言う間に7点献上。最終回ツーアウトランナー1-2塁。
ここで息子に何かを告げた監督がそのあと審判に歩み寄って代走と代打をコール。なんと、息子が代打。繋げば上位に回る。
息子は何事も無かったかのように打席へ向かう、、、でも、、、一回も素振りしてない。
「素振りして打席に入れー」との声も届かず。
相手はリーグ屈指の左腕投手。後に連盟のカップ戦優勝するチームのエース。
そんな相手を尻目に息子はマイペース、というか、緊張してる様子でもない。
初球待てのサインで見送ってストライク。
二球目は空振り。
三球目、鋭いスイングもチップしたボールを捕球されて三振。ゲームセット。
この日、リーグ戦初の黒星。そしてこの年のリーグ戦唯一の黒星。
三振後に挨拶のとき、息子の顔を見たら泣いて俯いている。でも必死に見られないように堪えている。
道具を片付け息子のところに言くと、顔を背けて尚も顔を隠そうとしてた。
「泣くな。泣いてもしょうがないやろ。何で泣いている?何も出来なかった事が悔しいのか?打席に立つ前、お前は素振りをしなかった。それで打てるはずが無い。リーグ戦デビューの大事な試合。出塁すれば何とかなったかもしれん。でもお前の今の実力はここまで。準備をしていない時点で負け。日ごろから備えて準備をして試合に挑むもの。今日分かっただろう?お前はもう見てるだけの選手じゃない。出場する選手なんだ。今日の事はしょうがない。いつまでもクヨクヨするな。もう次の準備をしなきゃ。かえって練習するぞ。」といって頭をなでてやると、声を殺して泣き始めた。
この日、試合の大切さ、準備の大切さ、監督の期待にこたえられなかった自分への悔しさ、この日から息子は一皮向けた。そんな日だった。
それからも代打で起用されるようになり、四球を選んだり、ヒットを打つなりして出塁するようになった。練習も一生懸命声を出した。
そして迎えた夏。カップ戦の県大会。勝ち抜いて掴んだ大会。
一回戦。楽勝ムードが吹き飛んで6点差が2点差までになった。
ツーアウトから代打は再び息子。相手ピッチャーの頭上を越えてセンターへの大きなフライ。センターはランニングキャッチ。チェンジ。
その後、今度はセカンドの守備へ。守備機会をそつなくこなして逃げ切り勝ち。
そして帰ってきて練習。息子はレギュラーチームのレフトで数人と一緒にノックを受ける。
守備は抜群。他の子が後ろに抜かれる打球を息子は次々に止めて、速い送球で内野に返球を続ける。親の目とはいえ、完璧な守備。この日は凄かった。
そして翌日、2回戦。場所は電光掲示板のある高校でも使う立派な球場。忘れられない1日。
息子はアップしながらレギュラーノックのカバーをして玉拾い。
試合前の食事中にコーチから「Sを連れてきて。監督が呼びようばい」とのこと。
何のことか分からず探しに行くと、息子はブルペンで二番手ピッチャーの球を受けている。
息子に声をかけ、監督の下へ走らせる。
監督が息子に何かを話したあと、すぐにキャッチボールと遠投。
今日の試合の出番に供えさせてるのかとおもい、息子に声をかける。
「なんていわれたん?」
「先発で使うけん、準備しとけって」
「はあ?」
何事もない様子で答えた息子。親父は少々緊張。
スタメン発表と合わせて電光掲示板に名前が表示される。
6番 レフト ○○くん
感動的なシーンだった。打順もかなり組み替えたので、周りの保護者は「間違いやない?」と言っている。でも、これは監督の意思。
6年の時もあったけど、年に数回、大舞台で監督はよくこんな感じで動いてた。
そしてプレイボール。相手の主軸が6年生のショート後方へフライを打ち上げる。レフトの息子が突っ込む、、、ショートが声をかける、、、、息子はショートにボールを譲った。そしてポテンヒット。。。
その後、後続に大きなレフとオーバータイムリーを打たれ2点先制される。
最初の打席、、息子は三振。相手ピッチャーは相当いい。
そして2打席目。ランナーがいる場面で打席に向かう、、、ココで監督は代打でもう一人の五年生を起用。結果は内野ゴロだったとおもう。
息子の初スタメンデビューはほろ苦い結果となり、チームも負けた。
この日、監督、コーチと親父達の飲み会。色々からかわれたが、みんな息子のスタメンを祝ってくれた。うれしかった。
その後も息子は代打で起用され続けた。傍目に見ても、段々上手になっていった。
同じ夏。九州の大会で3位になる。でも息子は子供会のソフトの主軸でもあり、監督にお詫びして子供会ソフトを優先。大会エントリーから外れた。幼馴染も一緒。
地域ソフトで優勝し、校区大会へ出場。ソフトボールチームの強豪だったけど見事勝ち抜き一回戦を突破。二回戦も女子ソフトの日本代表選手を輩出した地区のチーム。結果は8-7で負け。息子はバッティング好調も、同点のチャンスの場面で凡打を打ち、試合中にもかかわらず泣き崩れ、立ち上がれなくなった。
「馬鹿野郎!試合中でなにやってるんだ!お前はキャッチャーでチームの要だろ!お前がそんな姿勢でどうする!負けてないんだ。まだ試合中だぞ!お前が心配させてどうする!チームみんなで試合に集中するんだ!」
と言って、頬を叩く。
息子は涙を擦ってレガースをつけ、大きな声で掛け声と指示を出した。
グラウンドで試合中に泣くのは最低な事。チームを意識させるための大事な日だった。
その翌日も九州大会。準決勝。
チームに合流。
大事な場面でコーチが「代打でSを使おう」と監督に進言。
「いやー、登録してないんよ。。。」
「はあ?〇〇くんは?」
「ソフトでSと同じ。登録してない。。」
「じゃあ▫️▫️は?」
「同じ番号続きで外した」
「あんた、なんしよーと?!大事な試合で。」
コーチがあきれる。。でもSたちをそこまで意識してくれてたことに感謝。
実は、監督は息子が必要だから、エントリーするんでソフト試合終わったら直ぐに来てくれと嫁に相談してたらしい。嫁は地域行事だし、体力的にも無理やろうと断ったみたいだった…。
でもついにココまで成長した。あとは結果を残すしかない。
そんなこんなで、この年も秋口に入り、終盤を迎える。
秋季市長杯、学習発表会でチームメンバーのうち、他校の5,6年生は欠場。ここで息子はショートに抜擢。三遊間は五年生コンビだった。息子は、、いや守備は良かった、、、でもチームはエキストラで負け。
次の試合も雨で試合が流れたおかげで再びダブルエントリーとなる。
今回は遠征。各地から参加する大会。控組にまたもや出番。
この大会でも息子はキャッチャー。監督は前回の26-0が堪えているらしく、次は1桁で負けてくると言い出す始末。
しかしこの大会は違った。
朝から雨模様も、すっかり上がって試合は決行。
朝、監督と話しをしていたら、「よし、やってやる!」と一言。
試合が始まる。いい緊張感。
そんな中、ピッチング練習しようとしたら、マウンドがえらく遠い。。。なんと、18.44mでマウンドが作ってある。。
審判が気づいてそそくさと作り直し。。やっとプレイボール。
後攻。初回を三者凡退。ピッチャーは幼馴染。球が切れてる、凄い。
攻撃時には何とか出塁。いいムード。
四球のあとに一発を浴びて1点先制を許すも、息子は常に声をかけ続ける。普段舞台に立てない子供たち。六年生は特に必死。その保護者も熱が入る。
迎えた5回。ついに追いつく。その後、息子のタイムリー内安打を皮切りに一挙3得点。
次の回。相手も粘る。そりゃそうですよ、6年生ばっかの正規のチーム。ピンチを迎えるも、何とか凌ぎ、控えチームで初勝利。監督もしてやったりの満足げな表情!試合後、子供たちの喜びっぷりは半端じゃない。
でも頭を悩ます監督。
「どうせ負けるから、リーグ戦にそのまま行く予定だったのに。。」
親たちからは「棄権とかしないでしょうね?かったんやけん、もう1試合よ。」
レギュラーチームの試合も順延続きで試合開始がかなり遅れている模様。勢いに押されて監督は2試合目をやることを決めるも、投手がいない。。
幼馴染が連投。でも強豪に惨敗。でも充実した日。息子の一番の思い出。
その後も12月に市外の他リーグ大会でベスト4に進出。レギュラー組みは選手権大会へ出場のため、またもや控え組みで準決勝を戦うハメに。
悪天候、試合中断でリズムを崩し、11-2で大敗。
息子はこの日もキャッチャー。幼馴染と五年生バッテリーで頑張る。
初回、失点が続く中、相手チームも遠慮なく仕掛けてくる。
3盗狙い。。。でも息子が2連荘で盗塁を刺す。これは見事だった。
これ以降、3盗は仕掛けてこず、エンドランや2ランスクイズに切り替わった。
相手の作戦を変更させたプレー。成長を感じた。
次の試合のチームの保護者が観戦。
「あれ、二桁番号やん。五年生バッテリーか?」
「あれだけ試合が荒れてるのに、あのバッテリー、いいね。」
「キャッチャー、あれは良くなるよ、常に声を出して引っ張ってる。」
「ピッチャーもサイド気味だけど、いい球投げてる。来年期待できるね、このチーム」
そんな声を聞いて、ちょっとうれしくなった。
そしてこの日、初めての長打。レフトオーバーの三塁打。凄かった。
この年、チームはリーグを制覇。強いたくましいチームになった。
息子は代打中心の起用も、打率.333
規定打席には達しないものの、なんと五年生で一番の打率を残した。四球出塁もあったし、多分出塁率も高かったはず。
悲喜こもごも。でも大きく成長させてくれた1年だった。素晴らしい先輩たちにも感謝。
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