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読んでみた: 『桐壺クライマックス!!』

源氏物語を現代語訳だけで理解できるほどの前提知識が無かったんですよね。残念。

古文のまま辞書を引きながら読むことはできるかもしれないけど、それじゃ寿命が尽きてしまう。

読みたい古典は他にもあるから、現代語訳はマストだった。はしょって言うと、そうするうちに、いろんな読み方・解釈があることに心躍るようになった。Web上には、自分の現代語訳を公開している方々があまたさぶらひける。

ファンキーな訳をなさる方、ケータイ小説っぽいカンジになさる方、ヤンキーっぽい観点から物語の時代のクルマ文化を読み解こうとなさる方、平安時代の恋愛観を下敷きにして端正な恋愛小説として再現なさろうとする方……。現代語訳の印刷本2シリーズを軸に読みつつ、Webで出会えばそういう記事も読んでいく。

源氏物語が想起させた、色んな読み・解釈。

自分の読みだと、桐壺の更衣は、まったくよくわからない存在だったんですよ。死んだ父親のお門違いと思われる遺言に従って宮中に入内して、そうされるべきではないランクなのになぜかミカドに溺愛されて、御子を残して若くして死ぬ。彼女のことって、愛された以外に何も分からない。そう思ってました。『桐壺クライマックス!!』を読むまでは。

ちなみに『桐壺クライマックス!!』のことは、どなたかnoterさんの記事で知って読んだのですが、その記事を再び見つけることができていません。

面白かった点を3つ挙げます!

1. 呪詛と祈祷の渦巻く世界

平安時代は、呪詛と祈祷の渦巻く世界。呪詛・祈祷など見えない力の影響を人々が受けてしまう世界。それが当たり前のように使ったり使われてる世界のように描かれていて、ああ、そういう異世界だったんだ。やっと納得できました。

そういう意味わかんないことに頼るしかないのってヒトの無力さを想像しちゃって、古典作品を読むときのつらいところだと思っていたのです。貧困国の医療みたいだなあ、なす術もないヒトが弱みにつけこまれてるみたいだわ、と。でも、溺れる者は藁をも掴む、みたいな消極的な選択肢ではなくて、この世をより生きやすく生きるための当たり前の技術だったのかも、という想像ができました。

今ではイマジナリーと思える/としか思えない力が、実際に影響力を持っている世界。それをイメージできたことは、他の古典作品や、あるいはファンタジー小説を読むときにも役に立つはずです。

呪詛・祈祷と身分社会が混ざり合いも面白かった。ミカドのお相手を、登場順を無視してクラス感で上から下へと並べると、皇統の藤壺、弘徽殿女御、桐壺更衣となる。「いとやむごとなき際」は桐壺在命中なら弘徽殿女御などがいる女御クラスだし、桐壺死後なら藤壺になる。「いとやむごとなき際」にある方を、全体としては藤壺を想定して読みたい、今のわたしはそう思っています。

物語の時間が桐壺から先に進んだ時点のこと。弘徽殿女御は藤壺の出産の際に呪いをかけてくるんだけど、それを知った藤壺は「あんなオンナの呪いで殺されるなんてありえないんですけど?(意訳)」と呪いを突き放して無事にご出産なさるのです! あっぱれ。だけど、それも下位のオンナに負けるなんてイヤすぎるって感覚もあるのかもしれない。その感覚で読めば、弘徽殿女御か周囲の誰かが桐壺を呪ったとしたら桐壺が呪い殺されてしまうのも、ありえそうです。

2. 桐壺更衣は超絶美人という仮説

ミカドが桐壺更衣を溺愛した理由というのが全然わからなかったんです。桐壺更衣は父親をすでに亡くしています。当時の常識では、ミカドはいろんな偉い人の娘たちを満遍なく相手することが期待されていた、と色んな本に書いてありました。その通りにしていたら、オンナたちの後ろにはいつだって父親の姿が見える。それが、桐壺更衣だったら、父親の顔色を意識しないでいられる気楽さが解放的だったのかな、と仮定して読んでいました。

で、物語世界の中では、ミカドと光源氏はとにかく「顔」にこだわるんですよ。桐壺と似た顔だから宮中に藤壺を連れてきたミカド、桐壺・藤壺と似た顔だから若紫を二条院に連れてきた光源氏。顔。『桐壺クライマックス!!』では、すっごく「タイプ」の顔(意訳)とされていました。ああ〜、「タイプ」か。確かにそれは理屈じゃないし、どうしようもないかもね。

光源氏はとにかく美男子。赤ちゃんのときも、子どもの時間も、大人になっても、異様なほどに美しい。それを、母親譲りではないか、としているのも新鮮でした。しっかりとしたイメージが湧かずにモヤモヤとした存在だった桐壺に、ひとつ輪郭線が引かれて、それはそれでミカドに愛される云々とは関係なく妬み嫉みを買うでしょう、と。周りの女性たちの反感も、あの閉鎖的で身分差に敏感な世界観では、どうしようもなく芽生えてしまうでしょう。そのうえミカドの愛を独占してしまったら、本人もどうにもできないことでしょう。

3.頭中将の須磨行きの謎も解けそう

光源氏が須磨に退去したのは右大臣家のパワーが炸裂している頃のこと。光源氏と右大臣家は折り合いが悪かった。みんな右大臣家のパワーを恐れて須磨まで訪ねてこられなかったのに、仲良しの頭中将だけは須磨を訪れました。アツい友情が素敵、そう読んでいました。そう読んだとしても十分素敵でした。

なぜ頭中将だけが、そうできたのか? そのヒントも仄めかしてくれていました。

それがわかると、ご都合主義的なところがあるのかもしれないと思ってしまっていた源氏物語が、予想以上に緻密に織り上げられた構成の作品として立ち上がってきました。

解説 + 創作 = 超訳 である『桐壺クライマックス!!』。Kindle Unlimitedでの出会いに感謝。

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