欲しいのは努力じゃなくてその先にある自信。
昔から「毎日続ける」ということが得意だった。
物心付いた頃からピアノを習っていて、母親と毎日弾くという約束していたことや、中高と吹奏楽部に所属していて毎日練習するという染み付いたあの環境が影響しているのか。原因はよく分からないけれど、とにかく「毎日続ける」ことが得意だ。
大人になった今では会社員の傍ら、執筆テーマをマンガに絞ってライター活動をしているのだけれど、とにかくライティング力を磨きたくて「毎日書く」という生活をしてから1年が経過した。加えて、このお家時間が影響して始めた音声メディアでは、毎日マンガについて配信するということをしているのだが、気付いたら配信して100日が経過していた。
人はそれを努力と呼ぶけれど
「毎日続ける」という目に見えやすい行動は、他人から評価されやすく周囲から努力家だと言ってもらうことが多い。でも、個人的には「毎日続ける」ことが努力だと思ったことがないし、何なら努力って言葉が大嫌いだ。
努力ではないにしろ私が「毎日続ける」ことができるのは、続けた先にある「何か」に期待しているからだと思うし、その「何か」を得た時の素晴らしさを知っているからだと思うのだ。
ならば、私はなぜ「毎日続ける」と言う行為をしているのだろうか。
欲しいのは努力じゃなくてその先にある自信
その答えは羽海野チカ先生の『3月のライオン』の中にあった。
『3月のライオン』とは、若き天才プロ棋士である桐山零が、近所に住む三姉妹と出会い、棋士としてはもちろん人間として成長していく物語だ。
その中で、三姉妹の次女・ひなたの幼馴染と語り合うシーンがある。零は、プロ棋士として輝かしい実績を積んでいく一方で、高校を留年している。そんな零は、転校して再度高校に通い出すのだが、その時の心情についてこう語るのだ。
この言葉を、ひなたの幼馴染であり野球部の彼はこう解釈する。
もし夢や目標があるなら、いつの日かきっとそれに繋がるためのバッターボックスに立つ日がやってくる。その時に、自分の背中を押すのは周りからの称賛や励ましの声じゃなくて「今までの自分」なのではないだろうか。
私が「毎日続ける」ことで求めていたのは、努力家のレッテルや周りからの称賛ではない。努力ではなくてその先にある「自信」なのだ。
とはいえ、やはり周りから褒められると嬉しい気持ちになるのは事実だと思う。そんな周りからの声に時にちょっぴり嬉しくなりながらも、その先にある「自信」を求めて今日も私は続ける。
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