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#読書感想文 太田愛(2017)『犯罪者』

太田愛の『犯罪者』(上下巻)の角川文庫を読んだ。

10代後半の若者である修司は、渋谷のクラブで出会った女の子に深大寺駅前の噴水広場に呼び出される。彼が女の子を待っていると、真昼にダースベーダーのような出で立ちの男が現れ、その場にいる4人が刺殺される。唯一、応戦できた修司だけが生き残り、病院に搬送される。命に別条はなかったものの、病院に青ざめた中年の男がやって来て、修司にあることを告げる。「逃げろ。あと10日生き延びれば助かる」と。

修司と殺された四人には何か共通点があるのか。修司と刑事の相馬、テレビディレクターの鑓水が謎を追いかけていると命を狙われるようになる。

一方、ある離乳食を食べた赤ん坊たちの顔が溶ける、メルトフェイスと呼ばれる事件が起きていたことが発覚する。真実を明らかにするために戦うことを決めた母親。その事実を隠蔽しようとする企業と政治家。正義を貫こうとする市井にいる、とても弱い個人が登場する。

金と権力をめぐって、いくつもの人生が交錯する。権力を持たず、捨て駒として捨て身で動くことを余儀なくされた彼らの行動力には鬼気迫るものがある。

著者の太田愛は国家権力に近しい、支配者側にこんなことを言わせている。

「(中略)世間の人間にとっては、事の善し悪しなどは問題ではない。最も責められるべきは、他者に迷惑をかけることだ。迷惑をかけた張本人が、彼らと同じ力を持たない個人である場合は、なおさら怒りが募る」

太田愛(2017)『犯罪者 下巻』p.215-216

「この国の人間は幼い子供と同じだ。信じやすく臆病で妬み深い。そして子供らしい本能で、力のあるものに逆らうのは愚かなことだと心得ている。普通に暮らしていれば、他人に迷惑をかけるような事もなく、理不尽な不幸に見舞われる事もないと高を括っている。もちろん、いざ我が身に災難が降りかかると、途端に被害者面をして世間の無関心を恨むわけだが。それほどに無邪気な彼らが、それでも一人前の大人の顔をして生きてこられたのは、国と企業が長い間、彼らを自らの子として守ってやってきたからだ。一所懸命働いてさえいれば、他のことは何も考えなくてよい。(中略)それが当たり前と思って生きてきた結果、世間は企業がもはや子を庇護するのを放棄したことにさえ気づいていない。置き捨てられたとも知らずに砂場で遊んでいる子どものようなものだ。この五年で国がどれほど大きく舵を切ったか。世間はこの先、何年もかけて思い知ることになるだろう(中略)」

太田愛(2017)『犯罪者 下巻』p.217

著者は日本人のノンポリで日和見的な態度に批判的であるものの、市井の人々にその体力が残っていないこともわかっている。民主主義をうまく使いこなせない原因は資本主義なのか、村社会なのか。

本作のメルトフェイス事件は、森永ヒ素ミルク事件と薬害エイズから着想を得たものなのではないかと思われた。

太田愛はテレビドラマの『相棒』シリーズの脚本家の一人であるのに、小説が映像化される気配すらない。それは権力に対して自主規制を繰り返し、自らも特権的な地位にいることを疑わないメディアの人たちが嫌な作風であることが原因なのかもしれない。

本作のシリーズの三作目である『天上の葦』も、抜群に面白かった。もう読んでから、1年半も経過しているではないか。2作目の『幻夏』も近いうちに読んでおきたい。

太田愛は絶望を描きながらも、市井の人々の力を誰よりも信じている作家でもあると思う。そのニヒリズムの克服が救いであり、著者を信じて分厚い本を最後まで読み通すことができたのだと思う。

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