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日記が好きだったことを思い出す

数週間前、noteで面白い日記を見つけた。深夜にスマホで読んで、フォローもせず、そのまま寝てしまった。

残念ながら、その日記には、まだ再会できていないが、noteで別の面白い作家さんを見つけた。

文月路実さんのnoteである。先週の金曜日の夜、ちょっと憂鬱なことがあり、頭を切り換えたくて、文月さんの日記に、どっぷり浸かった。

結局、土日の2日かけて、ほぼほぼ読破したのではないかと思う。(スキをたくさんつけたので、ストーカーのようで気持ちが悪かったはず笑)

文月さんの日記には、人生があり、生活があり、仕事があり、恋があり、旅がある。創作やドラマ鑑賞、読書もあって、ちゃんとおいしい食事がある。そして、日々の何気ない違和感が書き残されている。おそらく、書き留めておかなければ、数年後には忘れてしまうことだ。でも、感じたことは、感じたこととして、言語化しておけば、また似たようなことに遭遇したとき、うろたえずに済む気がする。

そして、自分が「日記好き」であったことを思い出した。(正しくは、日記ブログかな)

その昔、15年ぐらい前だろうか。はてなダイアリーは隆盛を極め、面白い書き手がたくさんいた。はてなアンテナ(RSSリーダー)で、更新をチェックして、毎晩巡回をしていた。今はステマ感あふるるアメブロなんかも黎明期はもっと素朴だったような気がするし、絵日記ブログも、たくさんチェックしていた。(50ぐらいは毎日読んでいた気がする)

検索したら、はてなアンテナ、まだあった。デザインもそのままでちょっと引いてしまった。(既存のサービス、もっと頑張れよ)

しかし、いつのまにやら、日記を読まなくなってしまった。おそらく、パソコンの買い替えや引っ越し、Twitterの流行などが契機になったのだと思う。

日記には、日々のアップダウンがあり、その人の人となりが結構わかる。Twitterのように、ネタ化せず、下世話な話題に走らず、書き続けている人が多い気がする。

日記って、食事の記録でも、マラソンの記録でも、どんなジャンルでも、結構面白い。そこに本音のようなものがあれば。いい子ぶりっこには付き合っていられない。

有名無名問わず、アクセス数の多寡に関係なく、面白い書き手はたくさんいる。ただ、アクセス数が少ないと、書き手が萎えて、モチベーションが続かず、更新が止まってしまうことが多い、という現実もある。

わたしは具合が悪くなると、紙の日記にめちゃくちゃ書いたりする。読み返すと、トホホな気分になることが多い。ただ、セルフセラピーにはなっているのだろう、と思う。

やっぱり、誰かのためではなく、まずは自分のために書いていくことが大事。自分のために書いたからこそ、誰かに響く言葉になり得るのだと思う。

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