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#読書感想文 アンデシュ・ハンセン(2022)『ストレス脳』

アンデシュ・ハンセンの『ストレス脳』を読んだ。2022年7月に新潮社から出版された新書である。

アンデシュ・ハンセンさんはスウェーデンの精神科医で、『スマホ脳』の作者でもある。スマホ脳は、いまだに自分への戒めとして、ときどき読むようにしている。

今回の『ストレス脳』も、大変興味深く、また慰められる箇所が多かった。人類最大のタスクは、生き延びること、生殖をして子孫を残すことなので、人間は不安になるようにできており、そもそも幸福を感じ続けられるようには作られていない、という身も蓋もない話ではあったが、そのことに安堵している自分がいる。

わたしはどこかで「年がら年中幸福を感じている狡い人間がいるはずだ」と思い込んでいた。自分より恵まれている人間を疎ましく感じていたのだが、どうやらそんな人間はいないようなのだ。

つまり幸福感というのは消えてしかるべきなのだ。でなければ感情は私たちを動機づけるという本来の役割を果たせない。実は誰でもそのことをよく知っているはずだ。あの仕事に就けさえすれば、新しい車さえ手に入れば、給料さえ上がれば、バスルームを素敵に改装しさえすれば、人生に満足できるはずだと思う。しかしどれを実現しても、幸福感は驚くほどすぐ新しい願望と入れ替わってしまう。もっと良い仕事、もっと良い給料ーそう、きりがないのだ。(中略)脳は世界をあるがままに解釈させてくれないのだ。それよりも重要で視野の狭い任務ーつまり生き延びることーがあるからだ。

アンデシュ・ハンセン(2022)『ストレス脳』p.42-43

PTSDに苦しんだり、トラウマを思い出して不快になるのは、思考の癖というよりは、脳の仕組みだというのも驚きだった。精神状態が多少悪くなっても脳は気にしない。脳の最優先事項は、個体として生き延びることで、生き残らせるためにあえて危ない経験を思い出させている(p.62)のだという。

そう考えると、より安全な場に身を置いておきたいと考える普段の自分にも合点がいく。ワンルームの部屋は狭くて、退屈ではあるが、誰もわたしを傷つけることがない。ベッドで寝転がって、この空間がわたしの身を守ってくれているのだと何度も思ったことがある。わたしの嫌な思い出は、わたしを長生きさせようとしているのか。思い出すと、死にたくなるのに(笑) ただ、自分自身を守れているのは確かである。

(この記事を書いた晩、嫌な記憶が夢に出てきてしまって、起床時に微妙な気持ちにはなったが仕組みがわかっていたせいか、そこまで不快感はなかった)

また、孤独は主観で、あなたが一人でも孤独を感じていなければ孤独ではない(p.122)という話にも、ほっとする。わたしはまともな人間関係を築けない駄目な人間なのだなと溜息をつく日もあるが、人間関係でジタバタヤキモキするのも、正直しんどいので、一人でいたほうがよいと思う日のほうが多い。ただ、ときどき、さみしくなる。それは人間が社会的な生き物で群れでしか生きられない、ということと、やはり、子どもを作れ、と脳と体が言っているのだと思われる。しかし、その命令を無視できている、ということは、やはり、脳は個体として生き延びることを優先させているのだろう。

社交的なグループに3つ以上、所属している人はうつ病のリスクも下がるらしい(p.124)。確かに1つのグループにしか所属していないと、そこの人間関係が気になってしまうが、複数の所属先があれば小さなトラブルも気にならなくなる。ただ、これはそう簡単にできることでもない。なかなかハードルが高いのも事実。

そして人類は多いことを好むのではなく「隣の人より多い」のを好む(p.235)。「幸せとは楽しい経験の積み重ねだ」と考えるのが、現代社会で最も有害な誤解だ(p.239)という話にも、なるほどと思う。今の人類が幸せに執着するのはそもそもが馬鹿げたことなのだ。幸せとは独立したゴールではなく、あくまで状況の一部(p.240)に過ぎない。幸せを感じるのは自分や他人に意義を感じられるものの一部になったとき(p.241)なのだという。

だから幸せを追い求めてはいけない。幸せとは幸せについて考えるのをやめ、意義を感じられることに没頭した時に生まれる副産物なのだ。

アンデシュ・ハンセン(2022)『ストレス脳』p.241

幸せでなくてもいいのだ。つまらない人生だと自分を責めなくてもよい。わたしたちは、一日でも長く生き延びるために生きている。生きることに最適化された心と身体を持って暮らしている。わが身の不幸を嘆き、不安に胃をきりきりさせるのは、生きていれば当然のことなのだ。生きることが何よりも重要。ゆるふわぼんやりでぬくぬくしていたら生き残れない。だから、常に不安で、唐突にトラウマは蘇るし、他人から攻撃されれば心が痛むし、過剰反応もする。そして、ときどきパニックに陥る。

人類は狩猟採集民時代は、1日に1万5,000歩から1万8,000歩ぐらい歩いていたのだという(p.190)。我々は、インターネットを使い、キーボードをパチパチやって仕事をした気になっているが、人類は今のライフスタイルに合うようにまだ進化していないらしい。

普段から心拍数をあげることで、不安なことが起きたときにドキドキしてもパニックにはならないのだという。なぜなら、走っているときに心拍数は上がるから、不安やパニックで同じことが起きても、「普段と同じ」であると判断するらしい。人間って、結構、単純だよなとも思う。

令和の狩猟採集民も、やっぱり1日1万歩ぐらいは歩いたほうがいいようである。メンタルヘルス対策になると思えば、安いものだ。

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佐藤芽衣
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