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心と体のバリアをボーダレスファッションで解決するa.ladonna.合同会社 代表加藤千晶さん

差別をしない、国と国を超えて隔たりのない社会をつくりたいとデザイナーとして新しいファッションの提案としてボーダレスファッションを提案しているデザイナー加藤千晶さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地:三重県四日市市
活動地域:東京
経歴:
1978 三重県四日市市に生まれる
1982 4歳からデザイナーを目指す
1992 14歳から画家・辻すへ子氏に油絵を、翌年から画家・小林研三氏に木炭デッサンを師事
1996 18歳で上京し、バンタンデザイン研究所に入学 ファッションデザイナー科を専攻
1999 在学中からレザー会社にて働き始める/オリジナル婦人服とパリコレクション等のサンプル作成から量産まで携わる
2001 ヤングキャリアブランド中心の量販向けODM会社に入社/企画デザイナーに就任
2003 (株)アバハウスインターナショナル 5351POUR LES HOMMES LES FAMMS レディースデザイナーに就任
2007 退社し、ヨーロッパを数ヶ月放浪
2007 帰国後、ハイエンドセレクトショップ「ADELAIDE/ADDITION ADELAIDE」のオリジナルブランド「FAD3」企画生産チームのチーフデザイナーに就任
2008 フリーランスとなり、帝人フロンティア(株)等数社と契約
2009 デザインオフィス「a.ladonna.」設立/ブランド「CHIAKI-a.ladonna.JAPAN」立ち上げる
2017 「a.ladonna.合同会社」設立/ブランド「a.ladonna.+」立ち上げる
現在の活動および職業:a.ladonna.合同会社 代表
座右の銘:シンプルに生きていく 本物の強さ
多くを語らない シンプルの美しさ



記者:本日はどうぞよろしくお願いいたします。

加藤千晶さん(以下加藤敬称略):よろしくお願いします。

一生現役デザイナー

記者:どのような夢やビジョンをお持ちですか?
加藤:夢は、幼少期の時から変わらず世の中に貢献できるデザイナーになりたかったんです。おばあちゃんになってもデザイナーっていうのを続けていきたくて、デザイナーの中でも形態が変わってくると思うんです、40なんですけど80歳まで生きるとなると丁度折り返し地点ですよね。
20代の時って、自分から発信することでデザイナーをやってたんですけど模索しながら30代があって。
30代後半から40代になってこのバリアフリープロジェクトをやってるのもタイミングでした。デザイナーとして知識とか知恵を蓄えて応用したり、頭の中でその為のデザインの引き出しやアイディアをつなぎ合わせて、これだったらこうゆう風につくればいいなってイメージしながらのデザインの仕方になってきたり他には相手から頂いた物をデザインするという形になりました。実際80代になった時に先々の若手の子達に私の時代はこうだったとか話しを自然にしたり若手の子達の抱えてる悩みや葛藤の話を聞くだけのおばあちゃんだけかもしれないですけど。『デザイナーってかっこいいんだよってそして奥深いんだよ』ってことを自分の体験とか人生経験で伝えていけたら理想だなと思ってます。

日々を大切にしながら


記者:それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
加藤:今年、独立してフリーランスになって10年で、法人化して2年になります。
これからはデザイナーだけではなく経営者としても枠を拡げながら、売り上げ目標を達成していきたいです。
常に自問自答しながら、会社なのかファッションなのか多くの人にvisionを語っていきながら、今の世の中に必要なものを発信していきたいです。
このバリアフリープロジェクトに行き着いたのも、人を変えることはできないけど、人に影響与えられる事をしたいとコツコツと自分との約束や、小さい目標をひとつひとつこなしていくことで繋がってきました。
毎日を無駄にしないとか、毎日色んな人に会ったりとか感じたことを残したりとかそれをデザインに落としたりとか組み立て直したりとかしながらよりよいものづくり、ファッションや今仲間とつくっているコミニティーに活かしていきたいと考えています。
記者:日常にありますよね。
加藤:はいそうなんですよ。毎日やることは変わらないというか、日々コツコツ積み重ねながら毎日を無駄にせず色んな人との出会いを大切にしながらしていきたいですしおばあちゃんになっても変わらず大切にしていきたいですしそのためには健康も大事だしピラティス行ったりだとか、全部が一緒で夢ともリンクして生活ともバランスが取れるそんな考えがブランドになるvisionがみえてきてるんだと思います。

発信を大切にする

記者:その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?
加藤:このバリアフリープロジェクトが始動したのが2014年になります。長期に渡って活動する中で来年の2020年のパラリンピックが東京で行われ、
より多くの外国の方も日本の東京に集まるんでこのプロジェクトの認知度を上げたいですし、考え方とか活動とか物作りの人達の思いも伝えたいし大事にしたいし、このブランドを拡げること皆さんに伝えていくことをしたいです。
記者:発信は大切ですよね。
加藤:今年の1番大きいお披露目になるのが、今年(2019年)9月に超福祉展と言う渋谷ヒカリエである大きいイベントに出展させて頂きます。
規模が大きいので今からとても楽しみです。

ファッションと福祉との間


記者:そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

記者:ひとつひとつの出会いやご紹介して頂いたりしてみなさんの関心が高まってきて私自身も沢山考えました。誰に届けるんだろうと思った時に今まで積み重ねてきたファッションとして、福祉としてあるけど、どちらでもない誰もが着てもらえるデザインを作りたかったんです。
多くの人に見て頂けるように東京コレクションに出ることも考えましたが、そうすると着てもらいたい人達に届くのかなって考えた時に、誰に届けたいのかに立ち戻り、 考えてモニターの人達が行ってる福祉展があるんですが、その展覧会にある服たちを見るとファッションには縁遠いなーって思って。
ファッションと福祉という私の伝えたい世界観やファッションを求めている人にどうしたら出会えるんだろうって出展とかどう届けようと1年以上悩みました。

ひとつの写真でみせたい

記者:ファッションを楽しんでもらいたいというのがあったんですね。
加藤:はいあります。ひとつの写真でデザインした人達に着てもらって撮りたいというのがありその写真一枚で多様性を見せたいというのがあります。
その写真をSNSで発信したくて、写真をみてファッションを諦めてる人が希望や自信につながってほしくて、服の力やエネルギーを感じてもらったりだとか、着るものによってテンションが上がったり何かを取り戻してもらえるような服をつくりたいし着た人の人生を豊かになってほしいと思っています。

長く寄り添える服

記者:その発見や出会いの背景には、何があったのですか?
加藤:子供の時に母がよく演劇を連れて行ってくれました。その時演劇の内容より、服ばかり私観ていて釘ずけでした。
演劇って服装や髪型でstoryを表現したりメッセージがあったりしてその登場人物の思いや生き様や届けたいメッセージが服に詰まっていてとても影響を受けました。私も作りたい!って今でもその時観た服は覚えています。
記者:それは素敵な思い出ですね。
加藤:あと、バリアフリーのファッションに関してもアパレルに勤めていた時代にどうしてこんなに大量に服を作るのかな?こんなに服って必要なのかなってずっと疑問がありました。もっと長く寄り添える服を作りたいというのがずっとあり今のバリアフリープロジェクトと繋がっています。
記者:すべてが繋がって今のデザインになっているんですね。本日は貴重なお話しありがとうございました。

加藤千晶さんの情報はこちらです。
↓↓↓
https://www.aladonna.co.jp

【編集後記】
今回インタビューの記事を担当しました高橋、片岡です。偶然の出会いからこの様にインタビューさせて頂く事になりました。日々の出会いや自由さがデザイナーとしての生き方と繋がっているのだなとお話し聞かせて頂き納得できました。これからもどうぞよろしくお願い致します!

この記事は、リライズ・ニュースマガジン美しい時代を創る人達にも掲載されています。



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