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あかんたれ


「あかんたれやなー」


祖母を思い出す時、真っ先に浮かぶのは、幾度となく聞いたその言葉、とろりと垂れた目元。
笑う声は鈴を転がすよう。

自転車に乗って5分。
日に焼けてぼろぼろになった立て付けの悪い扉を開けると今じゃ珍しい土間の台所があって、祖母はいつもそこに立って迎えてくれた。
お味噌汁やカレー、炊き込みご飯、さつまいもの天ぷら。
いつも美味しい匂いで満ちていた。
手をつくとがたつく年季の入ったダイニングテーブルには椅子が5脚置かれていて、その奥には灯油ストーブ。
祖父はストーブに1番近い椅子に足を組んで座り、たばこをふかしている。
運転中でも畑仕事の合間にもタバコを吸っていたし、あのヘビースモーカーがよく禁煙に成功したものだな、と今でも家族の話題にのぼるほどだ。

祖父は大正15年生まれ。
父に言わせれば古風で厳格な、仕事第一で家庭を顧みない堅物親父。
若い頃はかなり厳しく、父は一切の自由がなく苦労したそうだが、孫達にはめっぽう甘い。
そのことを恨みがましく話す父を今まで何百回と見てきた。

一方祖母はコロコロとよく笑い、頓狂な発言も多く、場を和ませるひだまりのような人だった。
片付けと掃除が少し苦手で、だけど料理は絶品!
割烹着に覆われた背中はまるく、いつも両手を後ろに組んで歩いていた。
畑に座って日向ぼっこをしていた姿も脳裏に焼き付いている。
ずっと昔、婦人会で淡路島へ旅行に行った際に買ってきたという水仙が、畑にのびのびと咲くのを毎年とても楽しみにしていた。

私は幼少期から相当なおばあちゃん子で、一緒には住んでいなかったものの近所だったので毎日のように遊びに行っていたし、料理も裁縫もたくさん教わった。(その割にはこれっぽっちも身についていないけど)
ストーブの前に二人並んで炙ったお餅を食べたこと(砂糖醤油か、醤油のみか論争した)、年末になると縁側に座って近所のお地蔵さまの前掛けを作っていたまるい背中、おやつによく作ってくれた青ネギと魚肉ソーセージのお好み焼き、自転車の後ろに乗せてもらって母にばれないようこっそりお菓子を買いに行くローソンへの道のり、蚊に刺されてかゆいと騒ぐ度に庭先のアロエを塗ってもらったこと(どんな傷にも虫刺されにもアロエが効くって言ってた)。
こんなにあたたかい記憶で埋め尽くされているというのに、最後に祖母の料理を食べたのがいつだったか、何を食べたのか、もう思い出せない。
祖母の味が恋しくて、教わった隠し味や、目に焼き付いた記憶を頼りにカレーや親子丼を作ってみても、絶対に再現することができない。

「カレーにはね、みりんを入れるとコクが出ておいしいんだよ」

私がそう呟くと、隣で鍋をのぞき込む夫は穏やかな声で「だからいつもおいしいのかぁ」とほほ笑んでくれる。
多少失敗したっていつも美味しいと言って平らげてくれる夫はとても優しい人。
だけど違うんだよ。
私がうんと小さい頃から何度も何度も食べてきたカレーは、きっと他人からしたら何の変哲もないバーモンドカレー(中辛と甘口のブレンドで隠し味はみりん)は、ほっぺが落っこちるほどおいしいんだよ。
小さな私は勿論おかわりをしてお腹いっぱい食べるのだけど、祖母は使い込まれて汚れの目立つコンロの前に立って、焦げ付かないようにカレーをかき混ぜながら、必ず言うのだ。

「あかんたれやなぁ、めぐちゃんは」

続いて「こんだけしか食べんのかぁ」と。
お芋の蒸しパンを4つも詰め込んでも、大きな大きな俵のおむすびを3つ食べたって必ず祖母はそう言って嬉しそうに笑う。
もうお腹がはちきれそうなのにあろうことか4つ目のおむすびを手を真っ赤にして握りながらそう言うのだ。
「あかんたれ」っていうのはおそらく関西の方言で「軟弱者」って意味。
こてこての関西人だった祖母は、私達よりも一層方言が強かった。

いったいどれだけ食べたら「あかんたれ」と言われないのか。
幾度となく挑戦してみたけれど、見事惨敗。
1度たりとも「よう食べたな」と認めてもらえたことはなかった。

家族の中で1番の大ぐらいである私が炊飯器を空にする様子をいつも嬉しそうに眺めていた祖母。
そんな祖母はとても小食だった。
食事を作っている工程で、匂いだけでお腹がいっぱいになってしまうらしく、ほんの少しのお粥で満足している様子だった。
まだ若い頃に息子(父の兄)を亡くし、そのショックもあってか胃潰瘍で胃のほとんどを摘出したから昔から小食なんだよ、と父が言っていた。
長く曾祖母の介護に明け暮れ、その間に腰がまるくなってしまったことも。
幼少期は激動の時代に生きて、米軍の攻撃を避ける為にどろだらけの溝に飛び込んだと話してくれたこともあった。
ほんの少し隠れるのが遅ければ死んでいたよ、と。

私は祖母の人生におけるほんの一部分しか知らない。
きっと言葉にすることもできない辛さもあっただろう。

「あかんたれ」はきっと祖母の愛情。
たくさんお腹いっぱい召し上がれ、と。
それがどれだけ幸せなことかをいつも伝えてくれていた。
ひとたび触れればなんでも美味しくしてしまう、しわしわで働き者の魔法の手を、今度はたくさん撫でて「ありがとう」と伝えたい。
大好きだったマグロのお刺身を、今度は私がお腹いっぱい食べさせてあげたい。



憎きウイルスは形を変えて再び猛威を振るい、何度目かの面会制限のお達しがきた。
自宅での介護が困難となり、施設に入所してからは、感染者が減少したタイミングで数回しか会えていない。
施設の方は試行錯誤してくださり、オンライン面会の機会も与えてくださるので、本当に感謝している。
けれどやはり本音を言うと、すっかり細くなってしまったそのちいさな体をぎゅっと抱きしめたい。
泣き虫の私にいつもそうしてくれたように。
遠からずそんな日がやってくることを願っている。


大きなホーロー鍋の半分以下まで減ったカレーをぐるりとかき回すと底が少しだけ焦げていた。
もとより二日分作っていたので、ふたりでよく食べた方だと思う。
「もういらん?」
リビングにいる夫にそう尋ねると「うん、お腹いっぱい」と返ってきた。
山盛り2杯平らげたらしい。
「えー、あかんたれやなー」
自然と口をついて出た言葉に自分で笑ってしまった。


ばあちゃん、
今ならちょっとだけわかる気がするよ。




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