第二十一集:琳琅珠玉

 時間が過ぎるのがいつもよりも遅く感じる。馬車の振動が全く心地よくない。
 いわゆる乗り物酔いってやつだ。多分。
 気持ち悪い。行きたくない。だが仕方ない。
「あとどのくらいで付きますか?」
「そうですねぇ……、はい、つきました!」
「……あは、あははは」
 聞くタイミングが良すぎたようだ。着いてしまった。
 馬車から出ると、見慣れた景色が広がっていた。
「……仙境は聖域シードと現世の境ってだけあって、やっぱり似てますね。玄女様の聖域の方が美しいですけれど」
 仙力が満ちている。少し肌寒いくらいの涼しい風に、四季によっていろを変える草花の生命力。
 木々はその枝を光に向かって伸ばし、根は大地に降り注ぐ霧雨を吸い上げる。
 川を形作る清流は水底の石を優しく転がし、次の地へと運んでいく。
 美しきかな、仙境。
「それにしても、大きいですね……。金霞閣きんかかく……」
 地上二十階、地下十五階建ての楼閣は、聖域にだけ存在する常世チャンシー大樹の木材で作られている。
 屋根を覆う黒い瓦は金烏瓦きんうかわら。太陽の光を吸収し、動力氣源エネルギーへと変換する力がある。
 その力を使い、この金霞閣きんかかくにある機巧カラクリを動かし、学問の追及を効率化しているのだ。
「いつ見ても美しいですね! これぞオリエンタル建築の至高ともいうべき作品です」
「建物は素敵ですけど、中にいるのは……」
「聞こえているぞ、少年」
 まさに春雷、ともいうべきひくく轟く声。
 振り返ると、そこには冥色めいしょくの髪と九尾を揺蕩わせた、雪を欺くほど白い肌をした男性が立っていた。
 芙蓉ふようまなじり――涼やかな目にひかれた紅は凄艶で、恐ろしい。
「スペンサー、お前が紹介したいと言っていたのはこの少年のことか?」
「ええ、そうです。蘭麝らんじゃ様」
 わたしは自己紹介をしようと口を開いた瞬間、唇に長くきれいな指を押し当てられ、言葉を遮られた。
「……まるで幽玄の花だ。気に入った。弟子にしてやろう」
「……え」
きょう 翠琅すいろうだろう? 玄女げんにょのお気に入りの。ううん、彼女がわたしにお前を会わせなかった理由がやっとわかった。美しすぎるのだ。私がお前を気に入るのがわかっていたのだな」
「え、あの……」
「さぁ、中へ入るといい。私が設計デザインしてやろう。九尾の姿を!」
 わたしは何も言う間もなく、蘭麝らんじゃに手を引かれ、金霞閣きんかかくの中へと連れていかれてしまった。
「わあ……」
「素晴らしいだろう、幽玄の花よ」
「あの、翠琅すいろうって呼んでください……」
 金霞閣きんかかくの中は所狭しと本が並んでいる、というよりは、よく手入れされた室内に机と座布団が並んでおり、衝立で仕切られたそのスペースに一人ずつ書生が座り、様々な書物や事象の研究をしている。
 他の階には科学や錬金術、魔術、妖術、仙術などの専用研究室もあるという。
「本はどこにあるんですか?」
「地下にね。最適な環境に最適な方法で保管してある。木簡も多いから、湿気は大敵なのだ」
「そうなんですね。さすがというか、なんというか……」
翠琅すいろうなら自由に見て回ってもいいぞ」
「あ、ありがとうございます」
 こんなに丁寧な扱いをされることはそうそうないので、なんだか居心地が悪い。そわそわしてしまう。
「どんな九尾の狐がいい?」
「え、えっと……、蘭麝らんじゃ様のような、こう、顔は人面のままがいいです。その代わり、狐を模したお面をかぶろうかな、なんて……」
「私の、ような……? なんて可愛いことを言うのだ。ますます気に入ったぞ。本当に、弟子になる気は無いか?」
「あの、いちおう玄女様にお仕えしておりますので、その、あはは……」
「そうか……。羨ましい。玄女め」
「えええ……」
 スペンサーに助けを求めようと後ろを振り返ったら、彼は天女のような艶を持つ書生と商談を始めていた。
「おお、あの書生は私の一番弟子でな。お前とは趣の違う美しさだろう」
「え、あ、あぁ……」
 言葉が何も出てこなかった。女の子に間違えられることは多いが、容姿をここまで褒められることはそうないため、どうしたらいいかわからない。
「では、まず色から決めようか。さぁ、こっちへ」
 わたしは染料がたくさん並ぶ階へと連れて行ってもらった。
 植物のにおいが充満しているが、嫌なにおいではない。
「これは亜麻色。これは杏子色、桃紅色とうこうしょく深緋こきあけ 蘇芳、今様いまよう、銀朱、朱紱しゅふつ、朽葉、麴塵きくじん葡萄えび緑青ろくしょう、浅葱、群青、瑠璃、紺碧、二藍ふたあい月白げっぱく、雪白、めい黒橡くろつるばみ、漆黒……。君はなんでも似合いそうだな」
 わたしは様々な染液が入った樽を眺めながら、ある一色の前で止まった。樽に書いてある色名を読む。
「……朱華はねず
「おお、良い色を見つけたな、翠琅すいろう
「わたしの髪の色に似ている気がして」
「そうか」
 わたしはなぜか髪色が他の仙子せんし族とは違う。
 どうやら、大隔世遺伝というものらしく、かつて血筋にいた魔女族の聖女の髪色かもしれないという。
 髪色のことで困ったことも多いが、わたしはとても気に入っている。
「この色にします」
「うむ。赤い九尾の狐、天狐か……。唯一無二。なんと素晴らしい存在か!」
「あ、あの、変装ですよね? わたし、仙子せんしから変化したりしませんよね?」
「残念ながらしない。天狐になってくれたら弟子にできるのだがな……」
 蘭麝らんじゃは本当に残念そうだ。
「では、設計デザインできたらすぐにでも始めようか。のろいを」
「はい。お願いします」
「一時間くらいで出来るからな。茶でも飲んで待っていてくれ」
 そう言うと、蘭麝らんじゃは上の階へと昇って行ってしまった。
 するとタイミングよく書生が一人現れ、「お茶の準備が整いました」と言って案内してくれた。

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