第二十二集:金友玉昆
「すばらしかったですね! 蘭麝様のデザイン!」
あのあと、蘭麝は十時間以上練りに練り、珠玉の意匠を作り上げて持ってきた。
もちろん、わたしとスペンサーは待ちきれず寝てしまっていたわけだが。
「十時間以上も悩んでくださって、いいひとですね、蘭麝様」
「んふふふふ。噂だけが真実ではないということです」
「たしかに」
その後、呪の定着に三時間かかり、変身の練習に二時間かけたため、すべてが終わったのは午前三時。
金霞閣の客人用の部屋に泊めてもらった。
名残惜しそうに引き留めてくる蘭麝から離れるのにかなり苦労したが、また絶対に来ると約束をし、放してもらった。
午前八時、無事に金霞閣を出発し、馬車の中。
蘭麝が用意してくれた点心を食べながら移動している。
「わたし、兄のところに薬を取りに行ってきますね」
「そうですか。では、銀耀で待ち合わせしましょう」
「わかりました。では」
わたしは馬車から大仙針に乗って飛び立つと、蜜柑堂を目指した。
「兄上! 兄上はいらっしゃいますか!」
「いつも元気だな、翠琅は」
蜜柑堂に着いてすぐに中に入ると、兄が立っていた。
「わたしを待っていてくれたんですか?」
「まぁ、そんなとこだな。ほら、これ」
兄から渡されたのは氷血桂影草から作られた粉薬二人分と丸薬五人分、軟膏三十グラムに飴十五個。
どれも美しい水浅葱色をしている。
「これのこと、誰かに話したりした?」
「父上と母上には話した。他には言ってない。そうした方がいいんだろ?」
「さすが兄上。いつもご配慮を賜り……」
「やめろ気持ち悪い」
「へへへ」
「もう行くのか? お茶でも……」
「いや、ちょっと仕事があって……。また来るから」
「わかった。気をつけろよ」
兄はそう言うと、急に真剣な顔をしてわたしの腕をつかんだ。
「私はお前の兄だ。それはこの先何があったって変わらない。お前が望むことは何でも叶えてやりたい。でも、どうしてもそれが出来ないことがある。お前と同じ景色を見ることだ。お前は仙子として、戦いながら生きていくことを選んだ。目の前で倒れ行く人を見ても、救えないこともあるだろう。そんなとき、心の優しいお前はきっと罪悪感で苦しむ。どんなに私が慰めようと、言葉を紡ごうと、お前の本当の気持ちに寄り添うことは出来ない。翠琅、お前が選んだ道は孤独の道だ。誰にもその心を救うことは出来ない。だから、無理はしないでくれ」
わたしは兄の言葉と、その裏にある事実に愕然とした。
「聞いたんですか……」
兄はゆっくりと頷いた。
巻き込みたくなかったのに、兄は知ってしまったのだ。
わたしの本当の目的を。
「兄上は……、兄上はあえて探らないでくれていると……」
「お前が仙子族として修業をしている間、私が何もしていないとでも思っていたのか? 弟の身体について調べないとでも思ったのか?」
涙が出た。とまらない。
「お前がどんな傷を負っても治せるよう、仙子族の薬草売りからたくさんの医学書を買った。なぜなら、お前にもしもの事があったとき、現世に治療できる者がいなければ、お前はきっと聖域に帰ってしまうだろう? そうしたら、私はどうやって弟に会えばいいんだ? どうやってお前を救えばいい!」
兄の目からも涙が流れた。こんなにも激高している兄を見るのは初めてだ。
「必ず帰ってくると誓えるか。生きて、家族のもとに帰ってくると」
わたしはただただ頷くことしかできなかった。
兄はずっとこらえていただけだったのだ。聞きたくてたまらなくても、何も確証がない段階では問い詰めてもかわされるだけだから。
「兄上に誓います。この命を懸けて、誓います。必ず、生きて戻ってきます。どんな戦場に向かおうとも、帰る場所は家族です」
「……男に二言はないな」
「はい」
「それならいい。執拗に問い詰めたりはしない」
兄は涙をぬぐい、いつものように笑ってくれた。わたしも涙を拭き、精いっぱい微笑んだ。
「へたくそな笑顔だな」
「へへへ」
わたしは薬をポシェットにしまうと、「また来ます」と良い、銀耀へ向かうために外へと出て空へ飛び出した。
頬が冷たい。まだ涙の痕が残っているのだ。
(兄上には敵わないや)
兄は父によく似ている。言わずとも、何かを察し、確信を得るとそれとなく悩みを聞き出してくれる。
でも、誰も父のほんとうの辛さを推し量ることは出来ない。
壮絶な戦いの中、親友を亡くし、自身も拷問を受け、たくさんの仲間の死の真相を話せないまま生きていく辛さ。
だからこそ、兄は家族の前であえて鈍感を装うのだ。「言わなくていいよ。口に出さなくてもいいように、私が察すればいいのだから」と。
姉はそれとはちがうやり方で、愛を示してくれる。大きな感情でと態度で愛してくれる。
護ろうとしてくれる。
「だから、わたしが護るんだ。家族を、片割れの義兄を。そして、弥王様の名誉と、世子様の武功を取り戻してみせる。必ず!」
雨の匂いがする。いつの間にか春はその役目を終え、夏へと季節は移り行く。
――風の中 ゆらり瞬く 夏の霜 照らされ香るは 七里香
何度も聞かされた。祖父が祖母に贈った恋文の詩。
初夏になるといつも思い出す。いつか自分も、そういう風に想える相手と出会えるのだろうか、と。
少し感傷的な気分になりながら飛んでいたら、いつの間にか銀耀を少し通り過ぎてしまっていたようだ。
わたしはさっと引き返すと、屋敷の前に降り立った。
「お待ちしていましたよぉ!」
待ち構えていたスペンサーはなんだか嬉しそうだ。
「何かいいことでもあったんですか?」
「いえ、これからです! 人間が驚き慄く様子が見られると思うと、わたくし悪魔なのでワクワクが止まりません!」
「……あ、ああ、わたしの変身の話ですね」
「そうです! 早く行きましょう! すでに薬の話はしてありますので、行ったらすぐに入れてもらえますよ」
「では、行きましょうか。お面をつけてください」
わたしは出来上がったばかりの銅狐面を受け取ると、それをつけ、スペンサーと共に馬車に乗り、刑部尚書の屋敷へと向かった。
「ふむ。姜侯府のほうが広くて美しいですね」
「うちは父と母が趣味で植物の手入れをしていますからね。季節ごとに違った趣があって美しいのは確かです」
「んふふ」
なぜこんな話になったかと言うと、刑部尚書の家の庭があまりにも派手だからだ。
極彩色の高そうな壺がいくつも配置されており、なんだかよくわからない巨石のオブジェもたくさん並んでいる。
スペンサー曰く、ここにある半分くらいは賄賂として受け取ったものだろう、と。
もちろん、案内してくれている侍従には聞こえないように話している。
「さぁ、作戦が始まりますよ。ここからのおしゃべりはすべてわたくしが請け負います」
「はい。よろしくお願いいたします」
わたしは案内されるまま進んだ。刑部尚書が娘を保護している鉄の檻に向かって。
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