第五集:安穏無事

 舞慈ウーツーさんの麓にある樹海にそれはあった。
 色彩豊かな布地が川の流れのように風に揺れ、家々からは煮炊きする湯気が立ち昇る。
 山を切り開いて作られた壮大な棚田は、風が吹き抜け、とても見晴らしがいい。
 一見するととても平和な、牧歌的な村だ。
 わたしは村から少し離れた場所に降り立つと、依頼者である長老へ会うために村へと向かった。
「わぁ、きれい……」
 このあたりは染料に適した植物や虫が多く生息しているらしく、染色が伝統産業になっているらしい。
 スペンサーからは、暁星珍品とは別に布地をいくつか見繕ってきてほしいと出かける前に言われている。
「あの、すみません」
「あらぁ、可愛いお嬢さん……いや、坊ちゃんか。こんな山奥でどうしたんだい?」
「こんにちは。長老さんの家を探しているのですが」
「ああ、それならあの派手な家だよ」
 染色作業をしていた女性が指をさす方向にあったのは、真っ赤な家だった。
 塀も壁も屋根も真っ赤。
 家の大きさ自体はそこまで他の家屋とかわらなさそうだが、とにかく真っ赤で目立っている。
「ありがとうございます」
 わたしは女性にお礼を言うと、真っ赤な家へと向かって歩き出した。
 染物体験だろうか。いくつもある工場は観光客でにぎわっている。
 染色した布や糸から作ったお土産品も飛ぶように売れている。
 小さな村だが、色々と潤っているようだ
 真っ赤な家の前に着いたわたしは、ドアをノックし、声をかけた。
「蒐集屋敷銀耀インイャォから参りました」
 すると、扉があき、中からは家に負けず劣らず派手な老女がニコニコしながら出てきた。
「まぁ……。あの美丈夫イケメンさんが来るのかと思いきや……。ずいぶんと可愛い子が来たもんだ」
「はじめまして。ジィァン 翠琅ツェイランと申します」
「あらあら、華譚語ファタンユーも話せるの? 嬉しいわ。でも、いいのよ、現代語で」
「わかりました」
「私の名前は舞 永謝ぶ えいじゃ。ここ、舞慈ぶじ村の村長なの。みんなは長老って呼ぶけどね。あなたも好きなように呼んでちょうだい」
「では、長老さん、ご依頼の件で参りました」
「うふふ。楽しみにしてたの。中で話しましょう。お茶を淹れるわね」
 わたしは家の中に通されると、内装に驚いた。
 外装とは違い、すべて焦げ茶色の上品な木製家具でそろえられた、とてもシックで落ち着きのある雰囲気だからだ。
「素敵なお家ですね」
「ありがとう。派手なのも大好きなんだけど、こういう渋い家具も大好きなの。私って欲張りだから、どっちも楽しもうと思って」
「そういうの、とても良いと思います」
「若い子に言われると嬉しくなっちゃうわ」
 長老は慣れた手つきで茶器を温め、茶葉とお湯を注いで美味しい烏龍茶を淹れてくれた。
 促されるままに席につき、湯気が上がる烏龍茶のいい香りにうっとりとした。
「さぁ、どうぞ。お菓子もいっぱいあるのよ」
「おかまいなく」
「若い子は遠慮なんかしちゃだめよ」
 わたしは長老の朗らかな雰囲気に、少し拍子抜けしていた。
 土地を奪われ、信仰も捨てさせられた民族の末裔だと聞いていたが、悲壮感などはなく、どちらかといえば人生を謳歌している幸せそうな老婦人といった感じだ。
「これ、孫娘が作った点心なの。いっぱい食べてね」
「ありがとうございます」
 桃や枇杷の色形いろかたちをした皮の中には、甘い白あんが入っている、花丹国の伝統的な甜点心てんてんしん
 一つ口に入れれば、優しくいい香りの甘さが口いっぱいに広がり、烏龍茶の渋みと相まって幸せな気持ちになる。
「美味しいです」
「そうでしょう? 民族としての矜持も大切だけれど、こうして新しい文化が生み出した素敵なものを享受するのも大事なことよね」
「そうですね……」
 少し困ったように微笑む長老に、なんと言っていいかわからなかった。
「あのね、私は何も先祖たちが受けた非道な仕打ちに、復讐心を燃やして依頼したわけはないの。ただ、聖域が魔窟になるほどに歪んでしまった悪感情を、どうにか晴らして、祖霊の皆様に安らかな眠りについてほしいだけなのよ」
 悲しそうな、切ない感情を宿した瞳。今が幸せだからこそ、身体に流れる血を作ってきてくれた先人たちにも、そうであってほしいと願う優しい心。
 胸がキュッとなった。
「そうでしたか。それは大切なことだと思います。是非、お手伝いさせてください」
「ありがとう、翠琅すいろうさん。それで……どういう……」
 わたしはくうから大仙針だいせんしんを出し、煌糸こうしで簡単な猫のぬいぐるみを作って見せた。
「まあ! 仙術師なのね! ……ってことは、もしかして、あの、食器のレンゲに乗って飛ぶ仙術師を知ってるかしら?」
「あ、それ、わたしの曾祖母かもしれません」
「まあ! やっぱり! お顔が似ているからもしかしてって思ったのよねぇ。私が幼いころ、近くの樹海でお腹を空かせて倒れているところを助けたことがあるのよ」
「あ……あはは。曾祖母で間違いないですね」
「とても美しくてかっこいい女性ひとで、今でも私の憧れなのよ。ちょっとおっちょこちょいなところが可愛いわよね」
「たしかに。可愛いひとでした」
 曾祖母は聖域シードでも有名な偉大な仙術師だった。
 五年前に亡くなった時は、各妖精王家から多くの弔問客が来るほど、とても愛されていたひとだった。
 わたしの方向音痴は曾祖母に似たのではないかと、仙子せんし族の親戚中から言われている。
 今日も煌糸こうしの力の一つである魔方位磁石がなければ、絶対にたどり着けなかっただろう。
 なにかと共通点が多いため、わたしは曾祖母ととても仲が良かった。
「では、わたしはさっそく魔窟ダンジョンへ潜ってきますね」
「気を付けてね。この間なんか……」
 長老の顔に、一瞬恐怖の色が浮かんだ。
「その、人間の骨がいくつも川に流れてきたの。魔窟と一部が繋がっている川なんだけど……」
「たぶん、探索者サーチャーだと思います。魔窟ダンジョンには計り知れない価値があると蒐集家たちは考えていますので、送り込まれてきたんでしょう」
「じゃぁ、やっぱり危険なのよね? 翠琅すいろうさんみたいな若い子が行くのは……」
「大丈夫ですよ。なんて言ったって、わたし、一族で一番曾祖母に似ているって言われているんです。それは方向音痴だけじゃなくて、仙術の力もです」
「まあ……。じゃぁ、強いのね?」
「はい。安心してください。あまりに危険だと判断したら、三日以内に一度に戻ってきます」
「わかったわ。とにかく、身体を大事にね」
「はい。では、行ってまいります」
 わたしは立ち上がり、一礼すると、家の外へと出た。
 長老は心配そうに戸口に立ち、「本当に気を付けてね」と、わたしの手を握りながら言った。
 わたしも手を握り返し、微笑むと、そっと手を離し、魔窟ダンジョンがある樹海の奥を目指して大仙針だいせんしんで飛び上がった。
 作業をしていた人たちや観光客から「すごーい!」と歓声を上がる。
 こんなにも平和な場所を、これ以上魔窟ダンジョンに侵食させるわけにはいかない。
 わたしは大仙針だいせんしんを握る手に、ぎゅっと力を込めた。

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