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こだわりの物差しを変えてみる

こんにちは!

今日は、日常に活かすヨーガの教えです◎

突然ですがみなさま、ビジュアルへのこだわりはありますか?

例えば、容姿。例えば、服装。

今日の記事では、これまでのわたし自身のこだわりを振り返りながら。(笑)ヨーガの教えを基に、色々なこだわりに気づき、考え方を変えることができたお話をしてみたいなと思います!


1.ビジュアルがすべての学生時代(前半)。

わたしは、学生の頃はとにかく「派手なもの」が好きでした。

ここだけの話、1番生意気だった時期は髪の毛が左半分は赤色・右半分は茶髪、なんて時期もありました…。(笑)

バンドのボーカルをやっていた関係もあり、服装も目立つようなちょっと変わった「個性的」な格好をしていることが多かったです。

ヒョウ柄のパンツを履いてみたり、着ぐるみのようなコートを着てみたり…。今はもう廃盤になってしまいましたが、Zipperという雑誌が好きでよく読んでいたのを思い出しました。

正直、大学ではかなり浮いていたと思います。

今思うと不思議ですが、当時のわたしにとって、なぜだかその「派手なビジュアルへのこだわり」だけは譲ることができなかったのですね。

髪型やファッションに月の生活費を平気で何万円も費やす日々でした。

今思うと、そうして自分を着飾ることで「何かを跳ね除ける鎧」でも纏ったような気になっていたのかもしれません。

2.健康志向に目覚めた学生時代(後半)。

大学の後半、3・4年生になると活動を続けてきたバンドが解散し、ソロ活動を始めました。ロックサウンドからピアノの弾き語りにステージが変わったこともあってか、以前に比べると少し控えめでナチュラルな格好をすることが多くなりました。

髪も黒髪に戻し、少しずつライフスタイルを変えて行きました。

そしてちょうどこの頃に、「冷えとり健康法」という健康法に出会います。

ざっくり言うと、天然素材の靴下をたくさん重ねて履いて、下半身を温めると言うなんとも原始的な健康法なのですが。(笑)問題は靴下をたくさん履くと足元がぼってりとしてあんまり可愛くないのです…!

当時は常に5枚は靴下を重ねて履いていたので、自然と足元を隠すようなファッションをすることが多くなりました。

さらに、素材などにもこだわるようになり、天然素材で気持ちのいいものを選んで着るようになりました。

今思うと、この頃はファッションへのこだわりはなくなっていましたが、代わりに「素材へのこだわり」がかなりあったなあ…と。

お洋服や下着を買うときは必ず洗濯ラベルについている素材を見ていましたし、化学繊維が入っているものは「どんなに気に入っても、着ない」と言う徹底っぷりでした。

3.二極対立平等感とは?

さて。

ヨーガでは、こだわりに対する思考を見る時に「二極対立平等感」というものを用いて見て行きます。

この二極対立平等感とは…例えば、「好き・嫌い」「白・黒」「美味しい・不味い」「正しい・間違っている」などです。

学生時代のわたしの思考は、完全にこの「二極対立平等感」がMAXの状態だったのです。(笑)

つまり、「派手・地味」「天然素材・化学繊維」このような二択があった時、このどちらかでなければ気が済まなかったわけですね。

これを、ヨーガでは「こだわり」または「執着」と呼んでいます。そして、このような思考がある時、人の心はストレスを感じやすいと見立てます。

例えば、「派手でなくてはならない」とこだわると、地味な人を見るとイライラしたり、どうして派手にしないんだ!と思ったりするかもしれません。

「天然繊維が最高」とこだわると、化学繊維を着ている人を見下してしまったり、どうしてわたしの忠告を聞かないんだろう!と思ったりするかもしれません。

ストレスを感じない心の状態とは、「派手でも地味でもいい。派手が好きだけれど、時には地味なものがあってもいい。」「天然素材でも化学繊維でもいい。天然素材が好きだけれど、ちょっとくらい化学繊維が入っていてもいいよね。」と言った感じでしょうか。

つまり、「白でも黒でもないグレーの状態を受容できるかどうか?」「白も黒もグレーも素敵だよね!」といった思考になれるかどうかが鍵ということなのです。

4.最後に。

わたしはこれまで、こだわりに囚われるあまり、もしかすると色々な可能性を見過ごしてきてしまったのかもしれません。

思い返せば、わたしはいつもこの「白か黒かはっきり分けてしまう物差し」で他の人を測っていたかもしれません。相手を見下してしまったり、かなわないと自分を肯定できなくなってしまったり。

その感情に、人間関係のストレスが生まれて心が乱されていたような気がします。

仕事をしていた時も、わたしは相当な「完璧主義者」でした。

当時、わたしは名前のない良品店の店長をしていました。新任店長として社員やスタッフ合わせて20名ほどのマネジメントをしていました。

今思うと、その時も「0か100の物差し」で仕事をしていたように思います。

あの時、ヨーガの教えを活かして「50の時もあってもいっか!」と思えていたら、もしかするとわたしは今でもあの会社でマネジメントを続けていたかもしれません。

今では、随分と「50でいい」「グレーでいい」「好きでも嫌いでもない普通」「正しくても間違っていてもいい」…こんな風に思えるようになりました。

完璧を目指さないことが、わたしの心を随分と楽にしてくれたように思います◎

ヨーガを学び、こだわりの物差しを新調できたことがわたしにとってはとても良い経験になりました。

これからも、ヨーガの教えを日常に活かしながら!

1歩踏み出した新たな成長の日々を歩んでいきたいなと思います。

いつも最後まで読んでくださり、有り難うございます!

それではまた、次回。

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