見出し画像

頑張る必要ってある?

どんな人だって、できることなら頑張りたくないだろう。というか、そもそも頑張る必要なんてないのに嫌々頑張っているのだ。

頑張るっていうのは、「やりたくもないことを仕方なく努力する」のようなニュアンスがある。でもやりたくないなら、やらなくてはいいのでは?

どうしてみんな頑張るのだろうか?期待に応えたいからなんてナンセンスだ。なぜ他人のために生きて、しかも努力する必要がある。自分の人生なんだから、割り切ってサボってしまえばいいのに。そうもいかないのだろうか。

1つ頑張らなくてはならないのは、やりたいことをするためだけ。たとえば数学者になりたいとはいえ、英語は使うし、受験でその他のことも最低限学ばなくてはならない。でも本人はやりたくない。そういうときは人間の頑張りどき。そこだけは頑張る。

「やりたいことを思いっきりやるには、やりたくないことも思いっきりやらなきゃいけないんだ」

って『ちはやふる』の駒野くんも言ってた。

ちなみに好きなことと、やりたいことは頑張るって言わない。それは努力して当たり前だから。当たり前というか、努力とは呼ばない。だって好きなこと、やりたいことをするってとても贅沢なこと。さらに努力してますとか、そんな調子の良い話はないと思う。

あと僕が気になるのは応援をするとき。頑張れーって応援。頑張ってるわい!って感じ。それになんか命令されているみたいで嫌だ。

でもこれに代わるコトバって、見つからない。「応援してます!」だと声援としては長いし、「励ますー!」だとダサい。んー、良いコトバはないだろうか。

「頑張れ」とか「頑張る」とかついつい言ってしまうけど、汎用性が高いだけに扱いにくいコトバ。人によってはネガティブな印象を与えかねない。こういった些細なコトバの気遣いって大事だから、僕も気をつけておこう

面倒なときは「頑張ります!」とか言っちゃうんだけどね。たいてい心はこもってないセリフなんだけど、僕だけかな。たぶん違う。「頑張ります!」の8割は口先三寸、「なるほど」くらい適当な返答だろう。

結局、本意を示せるのは行動だけなんだろうなって知りつつ、人はコトバも欲する。どうにか口だけ星人にならないように注意しなくては。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?