オタクになりたい。

オタクの情熱は美しい。


わたしは、ずっとオタクになれずに生きてきました。
いえ、親が厳しかったわけではまったくないのです。むしろ、アニメやゲームには寛容な親でした。弟が体が弱く、あまり外に出られなかったのもあり、就学前から家にはテレビゲームがありました。コナンや、ポケモンや、クレヨンしんちゃんもよく観たものです。
小学生の頃には、月に1冊本を買ってもらえたのですが、それも漫画でも許されました。わたしは高学年から海外のことに興味を持って、お勉強になる本を自主的に選ぶようになっていたものの、弟はずっと漫画でしたね。両親の寛容さも変わりありませんでした。クリスマスプレゼントにはゲームをもらいましたし、銀魂もリアルタイムで観ていましたよ。
中学に入ると、クラスメイトのうち、オタクの道を選ぶ者と、いわゆるリア充側の道を選ぶ者が、はっきりと分かれてゆきました。リア充側を選んだ者はみな運動部に入り、オタク側の者は、たった2つの文化部である美術部か吹奏楽部に入るか、もしくは部活に入らないかを自然と選んでいました。
わたしはひとまず美術部に入りました。オタクではなかったものの図工は得意だったし、運動は苦手だったからです。友達がいたから、というのも理由のひとつでした。けれど、オタクばかりの美術部の環境が、わたしにはやりずらかった。先輩も同級生もオタクで、漫画っぽい絵を描いていたり、流行りのアニメの話をしているのが当然でした。そこで、話を合わせるためにアニメを観るなりなんなりすればよいのですが、わたしはそんなに器用じゃなかったのです。
いつしかわたしは浮いてゆきました。オタクばかりの中で、ひとりだけアニメも漫画もボカロもわからないし、話自体もうまくないのだから、当然のことです。そうなると、もう部活が楽しくない。周りとおしゃべりもできないし、本気でデッサンするような雰囲気でもないわけで─絵を描くの自体は好きでした─行く意味がなくなっていました。
ここで、今でも自分が偉いと思うのは、そのままだらだらと美術部を続けるのでも幽霊部員になるのでもなく、夏休みに吹奏楽部を見学しに行ったことです。元々楽器も好きでして、美術部にしたのは小学校からの友達に合わせただけだったのです。顧問の先生に訊くと、人手の足らない楽器もあるというので、そのまま美術部は辞めて吹奏楽部に入りなおしました。
吹奏楽部は忙しかったものの美術部ほどオタクばかりではなく、人間関係面では以前より気楽に過ごせました。強くもない、人数も少ない部活だったから、というのも理由でしょうね。
結果、部活中はオタクじゃなくても過ごせる環境を手に入れたわけですが、話についてゆけなかった気持ちは今でも忘れていません。それに、クラス内もオタクとリア充で二分されていたのです。リア充のコミュ力もオタクの話題も持たないわたしには居場所がありませんでした。
オタクになる努力はしたのです。友達から勧められたアニメや動画を観たりしましたし、カラオケでボカロ曲を歌いもしました。友達は腐女子だったのでBLもいくつか読みましたよ。オタクのコンテンツにはちゃんと触れたのです。でも、はまらなかった。それ以来、「ちゃんとオタクになれる人間」に、ずっと憧れがあるのです。
高校に入ると、中学にはたくさんいたオタク達がいなくなってしまいました。リア充とそれ以外に二分されはじめたのです。この「それ以外」というのも、オタクではなく、あくまでもアニメや漫画以外の世間の流行りに乗って暮らしていました。リア充と違うのは、およそスポーツをしないことだけでした。
周囲にオタクがいなくなって気がつきました。わたしは、オタクが盛り上がっているのを眺めているの自体はむしろ好きだったのです。オタクが好きなコンテンツを語る表情は美しいのです。当然のごとく笑顔で、他の話題とはあきらかに違う華やかさがあります。どうしてそんなにも熱意を持って語れるのだろうか、と率直に思います。ときにつらい展開を前にすることもあるけれど、非現実のことに心を動かされる感性が素晴らしいのです。
今でも、ときどきSNSでオタクの情熱を眺めているのです。好きなキャラクターを楽しく語る文章を探すのです。アニメや映画の感想も読みます。眺めるたびに、情熱という言葉がよく似合う、炎が燃えているように感じるのです。その炎はきっと太陽の炎で、わたしの手には入らないし、ずっとは見ていられないのです。ずっと見ていたら、目が焼かれてしまいますから……
わたしはオタクになれないことではなく、ほんとうは、感受性の欠けているのが悲しいのかもしれませんね。アニメにも、スポーツにも熱狂できない。こんなわたしを受け入れてくれるものが、世界が、あるでしょうか?

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