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6th day in Seattle

いよいよハイライトとも言える、シアトル滞在6日目。
この日はUniversity of Washingtonに、図書館を見に行くことをメインとして、Kirkland からバスに乗った。Red line(地下鉄)に乗り換え、University of Washington駅で下車。約一時間で到着。

アメリカ留学をしていたというものの、もうそれは十年以上前のこと。
その規模の大きさをすっかり忘れていた。

Washington University は、とにかく広い。西海岸にある州立大学では歴史が古く、最大規模。US News & World Reportによる Best Global Universities 2019で世界10位にランキング入りしているそうだ。(wikiより)

大学は、大規模な街であり、移動は自転車か自動車が便利だし、お店もたくさんある。それだけもなく、優秀な成績を収めるアメフトチームがあるからか、アメリカンフットボール球場も備えている。アメフトのスタジアムを右手に、駅から目当ての図書館まで約20分ほど歩いて移動する。(迷いながら歩いたせいもある)

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いくつもの美しい建造物にクラクラしながら、図書館を探すが、キャンパス内に色々な分野の書籍を扱う図書館が複数あり、下調べをろくにしてこなかった私は、狼狽した。

私が行きたかった図書館は、「Suzzallo and Allen Libraries」。

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ハリーポッターの食堂のようなホールがあるので有名だが、入ってみるとそこは、昔の礼拝堂。今はreading roomとして学生が使っている。静かな場所で、誰でも入れるので、1時間ほどそこで、仕事をした。

残念ながら図書館の内部は動画でしか撮影しなかったのでここでは外観しか披露できないが、Seattleに来たらぜひ行って欲しい場所だ。

University of Washingtonのワタシ的その他見どころは以下の通り。
・あのMt.Rainier(マウントレーニア。カフェオレの。)が、キャンパスから望める。空気が澄んでいた日だったので、その景色は息をのむほど美しかった。

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・University bookstore。キャンパスグッズから書籍、ちょっとした雑貨までが揃っている、本屋さん。中にはカフェもあり、wi-fiも使えるのでここでかなり長い時間を過ごした。自分用のお土産にPaperbackを何冊か、あとはクロスワードパズルがついているDiraryとか、日めくりカレンダーなどを購入する。

広大なアメリカ。学生は一人一人、自信に溢れ、意思を持って歩いている、そんな様子だ。若い学生もいるが、アメリカの大学は40代でも50代でも受けられる。
日本だと20代で大学を卒業したら、勉強をしなくなる人がまだまだ多いのではないだろうか。社会人コースや、大学院に通うだけではなく、ネットでいくらでも大学の授業が学べる時代。

私は、勉強することが好きだ。
そのこと自体を、なんとなく悪いことのように感じていたが、それは多分、昔上司に言われたことを曲解して理解したせいだ。

本当に昔から、人に左右されていたと今、ようやく気がつく。

誰かがこうしているから、誰かにこう見られたいから、誰かに言われたから、そういう視点でモノごとを決めてきたから、それはそれは、見事に屈折してしまった。

本当に好きなものを好きと言い、そのために行動する。

そんなシンプルなことができないまま、今まで生きてきた。

かつていたアメリカの大学ではArt & Scienceという学部でArtsとMusicのクラスを多く受講していた。Art History のクラスでは、60代を過ぎたアフリカ系アメリカ人の男性が同じクラスメイトとして授業を受けていた。同じマイナーな立場同士、なんとなくだが親近感を感じてくれていたのだろう、一人でいる私に目配せしてくれたり、よく声をかけてくれた。

「君は、これからHarbard Universityに行くの? 君ならいけるね。」と言われたこともあった。私は、えっそんな素敵なことができたら本当に最高。と思いながらも、冗談だろうと笑い飛ばし、ただの雑談としてその場を去った。

でも、彼はひょっとしたら大真面目で言ったのかもしれないと今になって思う。もし、私がその一言を「本当に目指せること」として聴きいれていたら、いまごろ私は、どこにいただろうか……。(おそらく、日本にはいない)

一つだけ言えることは、今、休めていることへの感謝。
この時間が私には本当に必要だったということ。

ここ数年、決まってよく見る悪夢があった。会社の人や、彼に何かを伝えたくて大声で叫びたいが、どうしても声せない。そして、そういう時は、だいたい寝ながら息が吸えない。夢の中で息ができないのだが、多分、本当に息ができていない。「脳から体に呼吸をせよ」と覚醒した頭で指示を出すのだが、体は言うことを聞いてくれなくて、呼吸ができない。そんな夢。

本心をひた隠し、行動してきた結果もつれにもつれた人生の糸が、犬の死によっていよいよ自分に絡みつき、身動きを取れなくさせていた。

Health CoachをしているKと話をした。
自分の感情を素直に表現できる場所や相手はいるか?という問いに、私は確かに、誰にも、伝えられずに苦しんできたんだと思った。(今は、Kが居る。)ましてや、自分でさえも自分の心を無視し、人の目線ばかり気にして生きてきた。

いつも、定期的に辛くなる自分がいた。多分、それは、自分への私なりの警告だったのだろう。聞いてよ聞いてよ、と、言い続けて、聞き入れずにここまで来たのだった。

ついに体と脳がバランスを崩し、普通の生活ができなくなって今に至る。
自分の素直な感情に気がつくのだって苦労するが、リハビリだと思って今、noteに向かって過去の記憶を反芻している。

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