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当事者であること

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#心の揺らぎを探る

心の痛みは誰にも測れない

心の痛みは誰にも測れない

当事者は語れない、と言われる。

「語れない」という言葉には、困っている人は「自分が何に困っているのか分からない」「困りごとを言葉にできない」という意味が込められている。

自分が何に困っているのか言語化して伝えられる人は、「真の当事者ではない」と言われることもある。

この表現には、心が痛む。

なぜ心が痛むのか。

それは、真の当事者こそがサポートすべき人であり、それ以外は対象者ではない。そう

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乗り越えた自慢を聞かせてくれ

乗り越えた自慢を聞かせてくれ

「幼いころに“虐待”を受けた子どもは、脳が萎縮する」
「子ども時代に家庭で傷ついた経験が、大人になってからの人格形成に影響する」

それは、分かったからさ。
じゃあ、大人になった私たちは、どう生きればいいんですか?

「事実を伝える」という名目で生まれた、虐待やDVのルポタージュ。

クリックされるために、煽るかのように「鬼畜」「罵る」「悲劇」という衝撃的な言葉ばかり並べられたタイトル。結末はきま

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支援を超える「ありのままの肯定」

支援を超える「ありのままの肯定」

「子どもの頃、どんな支援がほしかった?」と聞かれることがある。

私は学校から見過ごされた経験も、福祉につながった経験も、両方持っている。見えるか、見えないか。そんなギリギリのラインにいた子どもだったのだと思う。

そして今は、子どもや家族をサポートをする側になっている。

サポート側の立場も分かるからだろうか。「どんな支援がほしかった?」そう聞かれることが多い。

そんな時、「本当に求めているも

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当事者性に潜む、暴力性から抜け出す

当事者性に潜む、暴力性から抜け出す

人に厳しすぎることを、いつも反省している。

ある日、はたと気づいたこと。それは、子どもの支援に携わる人に対して、特に厳しいまなざしを向けてしまうことだ。

どんな組織に所属している人も、みんなそれぞれに想いを持つ優しい人たちばかりだと思う。

それなのに、特別厳しいまなざしを向けてしまうのは、「同志」としてではなく、「当事者」としてのまなざしで見つめているからかもしれないと気づいた。

支援を受

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母の死を、誰も知らない

母の死を、誰も知らない

母が亡くなって、10年。

もう時効にしてもいいよな。そう思い、過去のことを少しだけ。

当時、どういった心の動きがあったか、何が必要だったのかについて、子どもから見た描写を残しておこうと思います。

事例の一つとして、役立ててもらえることを願って。

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「あの日」のこと14歳の秋のことだった。

9月半ば、学校はお休みで、家にいたのは父

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