『怪我させないこと』に徹し、遊びを広げられなかった保育士が私です。

初めまして!元保育士現主婦のめぐみです!

このnoteは私が保育に対して抱く思いや考えを私なりに書き綴っているものです。

これが正解

あれが間違っている

など、私の一意見です。


さて、先日このようなツイートを見かけました。

このツイートを見て、
投稿したはなうた先生の意図とは異なると思いますが、
「1日怪我なく無事に終わる」に徹していた自分が以前はいて、
すごく苦しい毎日を過ごしていたことを思い出しました。

なんなら、『怪我をさせないこと』に徹し
保育の展開は考えず毎日同じ保育
イライラして怒り
自分の意図した範囲内で子どもを動かそう
恥ずかしながらそんな保育をしていました。

今回このことをきっかけに、
なぜ私はそんな保育士になったのか
どうやって変わったのか

を考え書いていこうと思います!

幼少期の頃まで話は遡ります。
長くなります。お急ぎの方は目次から興味のあるところまで飛ばすことをお勧めします。。。


保育園時代から失敗を恐れる子だった

私がなぜ「怪我させないことに徹する保育士」になったのか。
考えれば、保育園時代からその原因の一つがあったように思います。

私の通っていた保育園は、保育園なのに幼稚園のような場所でした。
マーチング大会や合奏大会に出場し、行事も多く、
年長の頃は何かしらの練習を沢山させられていた記憶があります。

よく思い出すのは「怒られた」記憶です。

例えば、

1人ずつ順番に写真を撮っていく中で、
「写真なら笑顔がいいよね!」と思った私は、
カメラを持つ先生の後ろでふざけ、友達を笑わせようとしました。
すると撮影していた先生は後ろを振り返り
「笑わせようとしているの、誰!?!?」
と怒っていいました。私は悲しい気持ちでその場から逃げました。

他には

園庭で遊んでいる時、指のささくれが痛くて担任に
「絆創膏を貼ってほしい」とお願いしました。
「そのくらい平気でしょ〜」とイライラした口調で返されたのを覚えています。

他にも怒られた、否定された、受け入れてもらえなかった場面を沢山記憶しています。

保育園だけではありません。
私は三人兄弟の末っ子で、母はほぼワンオペ状態だったと思います。
家の中でも、怒られた経験が多くあり、記憶しています。
よくわからずやったことで、父にビンタされたこともあります。
「父親にも殴られたことないのに」の言葉を羨ましく思っていました。

なぜこんなに覚えているのか。
小中高と成長しても、
同じように「認めてもらえない」「否定される」度に
この記憶が蘇るからです。
何度も思い出しすぎて長期記憶になったのでしょう。

幼少期の経験がその後の人格形成に
大きな影響を及ぼすのは保育士の方ならご存知でしょう。

その最たる例がこれです。
※もちろん、褒められたり認められたりの経験が全くなかったわけではありません。しかし、あまり思い出せないのです。

失敗する→怒られる(叱られる)→「昔からこうだ…」→失敗が怖い

このサイクルを繰り返した私は、否定されることや怒られることに敏感になりました。

暗い話ですが、小学校高学年で初めて「自殺願望」を抱きました。
大人になった今なら、当時の自分の精神面は正常でなかったとわかります。

中学時代にはいじめられたことも

1学年6クラスもある大きめの中学校でした。
色々な生徒がいる中、私とあまり話したことない人が
「ぶりっこすんな」と陰口を叩き、
本名に「萌」の字が入ることでいじられ
(当時『電車男』のドラマがあり、わたしの周りでは「萌」=きもい が成り立っていたようです)

同じクラスの子にもはぶかれたり悪口を言われることがあり、
さすがに親に「学校いきたくない」と言いました。

両親もその気持ちには寄り添ってくれて、
保健室登校を勧めてくれました。
学校にもそのことを電話で連絡してくれました。

勇気を出して学校に行き、すぐ職員室に向かうと
担任と話をするため個室に通されました。

そこでは「我慢が足りない」と言われました。

ここでも私の気持ちは無視されるのかと
憤る気力もなく、諦めました。死にたくなりました。

しかし、幸い味方になってくれる友人もいて、
その子たちに支えてもらいながらどうにか過ごすことができました。

カッターで自分を傷つけてしまったこともあります。
おそらく親や兄弟、同級生にはこのことはバレていません。
隠さなきゃと思っていました。

高校時代は周りに救われた。でも体には異常が出た。

受験に失敗した私は滑り止めの高校に入学しました。
でも、そこでは周りの人に恵まれて、とても楽しく過ごしました。

ただ、そこまで蓄積された精神的なストレスでしょう。
登校するとお腹を下すようになりました。
朝の会や午前中の授業が本当に辛かったです。
過敏性腸症候群だったのかな、と今は思います。

そして自律神経失調症にもなりました。
過呼吸になることも。

当時は「私は弱い人間だ」とひたすら自分が嫌いでした。

出来ないと思うことは避け、
出来ることだけして自分を保っていたように思います。


大学でようやく自分を少し好きになれた

大学時代の友人には本当に感謝です。

みんな優しく、穏やかで、人のいいところを見つけてくれる人たちでした。
私が中学時代にいじめられた時に言われた「ぶりっ子」。
大学の友達は「アイドル」と言葉を変え、良い個性としてくれました。
とても救われました。

「めぐちゃんなら大丈夫」と私に自信を持たせてくれた友人たちには
感謝してもしきれません。

ようやく私は、「わたし」を少し好きになれました。


保育士1年目。通勤しながら涙が出た。

ここまでで、私の「完璧主義」「否定されることが苦手」が作り上げられた背景がなんとなく伝わればと思います。

そんな性格の私にとって、保育士1年目の経験は辛いものでした。

一緒に組んだ先生が、私にも子どもたちにも当たりが強いのです。
いくつかの場面を紹介します。

2歳児クラスの担任でした。
新設園だったので、全員新入園児。集団生活はほぼ全員初めて。
自由保育を目指す園だったので、給食で座る席は自分で決めてもらいました。でも1人だけ、決められずいつも最後まで立っている子がいました。
ペアの先生はある日、他の子には「まだ座らないでね」と言い、いつも自分で決められないその子に「早く決めて」「みんな待ってるよ」と圧をかけるのです。その子が泣きながら座ると、ようやく他の子も座ることを許されました。

別の場面で、家庭での食事に偏食が見られ、
園でも白米しか食べない子がいました。
その子に対して苦手なものも無理やり口に入れるペアの先生。
泣きなが食べるその子。
園の方針で、無理に食べさせることはしないと周知しているはずなのに…
「それは違う」と伝えると、「今までそうやってきて、少しずつ食べられるようになっている。出来ることを出来なくする必要はない」と聞き入れてもらえませんでした。園長や主任に相談し、個別で話してもらっても変わることはありませんでした。

1年目で何もかも手探り状態な私。
ある日絵の具を使った活動をしました。手や足を使って思い思いに描き
ダイナミックに広がる色や絵の具の感触を楽しんでもらいたかったのです。
しかしまだまだ思慮が浅かった私。
早く飽きてしまった子や遊びこめなかった子への対応を考えていませんでした。
ペアの先生には「あの子たちどうするの?」「そこまで考えてよ」と厳しいお言葉。
一緒に考えたりフォローしたりではなく、とことん指摘されました。

他にも色々ありますが、ここでもまた
失敗することで怒られ、徐々に「やってみたい」ことをやらなくなりました。やってみて、そのペアの先生に色々言われるのが辛かったのです。

その先生を気にするあまり、いつの間にか私もその先生のように
子どもに対してきつく言うこともありました。
子どもの話を聞かず、対話をせず、ひどい保育士です。

大学時代に志した保育士のようになれず、なりたくなかった保育士になっている。
自分を守るために毎日どう過ごすかで必死。
そんな毎日でした。

いつからか、通勤途中の車の中で勝手に涙があふれ、
夜はなかなか寝付けず、
体の至る所に蕁麻疹がでました。

結局一年でその保育園は辞め、保育士を離れ事務職に転職しました。
大学で治まった過呼吸や腹痛が保育士を離れてから再発しました。


「怪我させない保育士」爆誕。

もう一度理想の保育を目指したい。
そういう思いが落ち着いた頃に芽生え、事務職も一年で退職。
理想の関わりができそうな保育園に転職しました。

そこの志は高く、姉妹園や系列施設を含め、
全体で子どもに良い関わりをしようと切磋琢磨する風土がありました。

慣れない中でも、学ぶことは多く、新しい学びに生き生きする自分がいました。

未満児を預かる園で、0、1、2歳児が一緒に生活します。
0歳児は気になると友達でも手を出し
1歳児は噛みつき引っ掻き
2歳児は押したり引いたりの喧嘩…

大人が気を張って声を掛け合って見ていても防げない場面がありました。
自分の目の前で、怪我を防げなかったときは、子どもに対し本当に申し訳なくなりました。

自分でも反省し、次はこうしようと考えているなか、
園長からさらに追い討ちがあります。

どうしてその怪我が起きたのか、その時の保育士の位置や目線は?

園長という立場でこの追求は間違っていないと思います。
ただ、スタッフの話を聞かない。
発言できる雰囲気ではなく追い詰める感じ
園長自身の中の正解が出るまで終わらない

そんな感じだったので「間違ってないけど、辛い」そんな状況でした。

なので私は「とにかく怪我をさせない」に徹し
それだけで疲労困憊し、報告することが怖く、
「誰かが前にやって成功していたやり方(保育)」をし
自分を保っていました。
チャレンジして怪我をすることがあれば、
自分が辛い。

自分のために保育をするようになっていました。

その園に勤めて1年目の冬にコロナが流行り出し、
毎日てんやわんやなのに、消毒作業など業務が増え、
怪我をしないよう気を張り続けていた私は

通勤途中の横断歩道で止まった際に
「ここで轢かれたら楽かな」
と思うようになりました。

過去の経験、傾向、今回のこと。
自分はなんでこんなに生きにくいのかと考え、
メンタルクリニックを受診しました。

社会不安症傾向があるとのことでした。

なんだか、納得。
でも、この園に勤めて3年目に転機が訪れました。


変わったきっかけ

3年目の春から異動があり、園長が変わりました。
この新しい園長のおかげで私は保育に前向きになれました。

↑この園長です。

他のスタッフも徐々に新しいことに率先してチャレンジすることが増えたように思います。


子どもだけでなく全ての人に主体性を

思ったのは、私自身に主体性がなかったなということ

自分の決定を、思いを、行動を
否定された経験が根強すぎて
誰かを気にして行動していたように思います。

失敗=ダメなこと

今でもその考えは心の奥底にあって、
ときどき浮上しては不安になり、中々前に進めない時もあります。

そんなとき
「一緒にやってみよう!」
「何かあればフォローするよ!」
「めぐみ先生なら大丈夫」
と寄り添い、そっと背中を押してくれる人がいたから、
少しずつ私は前進できています。


終わりに

この記事には今まで友人に言えていないこと、
両親も知らないことも含んでいます。
書きながらキーボードを打つ手が震え、涙が出ました。

正直、有料にしようか迷いました。
でも、これが誰かの目に留まり、何か変わるきっかけになればと思い無料公開にします。

これをみて、「全部人のせいにしているだけじゃないか」
と思う人もいるかもしれません。
「被害妄想が激しすぎw」と思う人もいるでしょう。

そんなあなたも、
「誰かの何かのせいで」あなたという人間ができています。

逆に言えば、それだけ私たちには影響力があるのです。




あなたの職場にも以前の私のような保育士さんがいるかもしれません。
もしくはあなた自身がそうかも?

あなたの園では保育士に主体性はありますか?

子どもにも大人にも、認める言葉をかけていますか?
寄り添えていますか?



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