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子供が自由に選べる学習にしたらどうなる?

もう3月も半ば、学年を締めくくる季節ですね。
私のクラスは学習内容を勉強し終え、テストも全て終わったので、プリント学習をしています。

国語や算数、理科や社会の問題プリントを、子供たちが自由に選んで進めるスタイルなのですが、それをやりながら色々思うことがあったんです。
そこで今回は、自由に選べる学習について書いてみます。

子供が自由に選べる学習

プリントは教科ごとに分けられてあり、国語なら国語のプリント5〜10枚がホチキス留めされてあります。

私が「自分がやりたいものを選んでやりましょう。」と言うと、算数が得意な子は算数プリントを進めるし、社会が好きな子は社会からやります。
一枚やり終えると私のところに来て私が丸つけする場合もあるし、一問一答のような問題であれば、解答プリントを見ながら子供自身が丸つけする場合もあります。

そしてガンガン進めたい子は、次々とスピーディに問題を解いていくし、じっくり正確にやるタイプの子は自分のペースで進めます。
つまづいた問題は飛ばしてできそうなところからやる子もいれば、順番に粘り強く取り組む子もいます。

やる教科も、どこからやるかも、スピードも自由なんです。

能動的に学べる

自由に選べるということもあり、一斉授業のときは暇を持て余してアクビをしていた子も、どんどん学習を進めていきます。
子供たちが能動的に学んでいる感じがあり、そういう意味ではとても良いと思いました。

どの教科からやってもいい。
分からなければ飛ばしてもいい。
自分のペースでやっていい。

そういう自由は、子供たちにとってとても快適なのではないでしょうか。

学習進度にかなりばらつきが出る

一方で、学習進度はかなりばらつきがでる可能性が高いです。

問題を解くのが早い子は、教員も驚くような速さでプリントを進めていくんですね。
「はい、もう終わりました!次のプリントないんですか?」という具合に。

だから、ゆっくりペースの子との学習進度の差はどんどん開いていきます。
差が開くことが一概に悪いことだとは思いわないし、早い子にはミニティーチャーとして丸つけを手伝ってもらったりもします。

ただ、個々の興味・関心や学習進度に合わせた学びを提供するなら、もはやクラスや学年というまとまりって必要なのかな?とも感じます。
クラスで学ぶ意義ってなんだろう?と。

例えば、クラスも学年のまとまりももっと緩くして、飛び級も留年もアリにすればいいのかもしれません。

まとめ

個人の学びか、クラスとしてのまとまりか。
どちらかしか選べないわけではないけれど、学びの形態について、みなさんはどう考えますか?

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