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自分が何を好きかも分からなかった。

私は小学校教員として教育に携わる中で、教育は何のためにするのかを考え続けてきました。
そして、「教育は人が幸せに生きるためにするものだ」という答えに辿り着きました。

では、人が幸せに生きるために育まなければならない力とは何か?
私は最も大切なものは「感性」だと思っています。
感性について書いた記事はこちら。↓

今回はさらに詳しく、私の実体験をもとに、なぜ私が「幸せに生きるために感性が大切だ」と思うのかを書きたいと思います。

感性が育たなかった子供時代

私は今でこそ感性の大切さを実感していますが、昔から感性豊かな子供だったわけではありません。
むしろ、感性が鈍い子だったと思います。
というのも、子供の感性を刺激し育ててくれる色々な体験が不足していたんです。

6歳の頃に両親が離婚し、それまで専業主婦だった母親が突然フルタイムで働き始めました。
家で絵本をたくさん読んでくれたり、できたてのパンを食べさせてくれたりした母が、夜暗くならないと帰ってこなくなったのは、当時の私にはとても寂しかったです。

ほどなくして私は小学校に入学しましたが、母は仕事で忙しく土曜日も仕事があったりしたので、アウトドアや旅行にはあまり行けませんでした。
とはいっても、母なりに色々工夫してお出かけしてくれていたので、決して当時の自分の生活が貧しかったとか不幸だったとは思いません。

ただ、毎日を同じようなルーティンで過ごしていたように思います。
学校から帰ってきたら宿題をして、遊んで、夕飯を食べて、テレビを見て寝る。
この繰り返しでした。
毎日同じような生活をただひたすら繰り返していたことで、日常の小さな変化を感じ取る感性が鈍くなっていったように思います。

私の場合は特に、自然体験が不足していました。
小学5年生の時に行った自然体験教室で、沢登りや野外炊飯をしたのですが、その時に感じた開放感が強烈な思い出となって大人になっても記憶に残っているんです。
それくらい、自然の中で過ごすという経験が少なかったのだと思います。

そういった体験不足、特に自然体験の不足によって、何かを見て美しさを感じたり、不思議だなぁと驚いたりする感性があまり育たないまま、大きくなってしまいました。

自分軸がなかった20代

そうして大きくなり、大学生になって、実家を離れて一人暮らしを始めました。
その頃は、いわゆる「自分探しブーム」で、私も本当の自分とは何か考えたり、心理学を学んだりしました。

でも、豊かな感性が育っていない私は、自分の心の声を聞くという感覚がわかりません。
だから自分が何を感じているのかよく分からず、「自分はこれだ!」というものも見つからず、自分が何を好きなのか、何をしたいのか分からない日々でした。

そして、他の人が良いと言ったもの、人気のあるもの、流行りのものを追いかけていました。
根無し草のような、地に足のつかないような、自分の人生を生き切っていないような感覚がありながらも、どうしたらいいか分かりませんでした。

それは大学卒業後も続き、大学院でも、就職してからも、どこか自分に自信がもてずにいました。
そんな私の転機となったのが、妊娠、出産という経験です。

長くなったので、続きはまた次回。

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