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【旧小見川町(千葉県)】写真集「水の上の残影」に見る私が懐かしいもの好きな理由

※本記事はただの筆者のブログです。紹介記事でもなんでもない、長ったらしいつぶやきです。
物好きな方は、どうぞお付き合いください。


現在は絶版のため幻となってしまった「水の上の残影」

小見川町にあったおもちゃ屋「ますや」さんの写真集をついに入手

思わぬ場所で、破格な価格で、知る人ぞ知る幻の写真集「水の上の残影」を手に入れました。かつて「渡源」のおじさん(店主で本名は遠藤さん。ご本人とメールのやりとりをする際、最後に「渡源のおじさん」と書くので引用しています笑)から一度借りたことがある、とても貴重な写真集です。

絶版となり、入手が不可能と思っていたのですが、思わぬタイミングで入手できてしまいました。まさに運命?というか、縁あるものはいずれ手に入るのだなと実感しました。

「水の上の残影」の著者は、かつて小見川でおもちゃ屋さんを営んでいた「ますや」さんの店主さん・篠塚榮三さんです。おもちゃ屋さんの前は砂糖店を営んでいて、同写真集にも当時の風景が掲載されています。

榮三さんは若い時から小見川町をカメラにおさめていて、作品が地元の写真展や少年自然の家の写真ブースによく飾られていました。

私は榮三さんの白黒写真が大好きでしたし、名前は存じていました。でもまさか「ますや」の店主さんだとは微塵も思わなかったんです。

私は幼少期のころ「ますや」さんにちょくちょく通っていたものでした。

所持金は200円程度なので、いつも何も買えません(笑)それでも「ますや」さんの品揃えが好きでつい店に入ってしまっていました。

ただの金がないの子どもだったわけですから、榮三さんは困ったことでしょう。あきれた顔がなんとなく記憶にあります。

「ますやの店主さん」=「水の上の残影」の著者・榮三さんだと知ったのは、ついこの間のこと。近代建築の店構えが好きだった「渡源」のもなかとマドレーヌを買いに行ったときに、昔ばなしに花が咲いた渡源のおじさん(=遠藤さん)が教えてくれたのです。

遠藤さんと榮三さんは親子ほどの年が離れていて、カメラの師匠的存在だったそうです。
遠藤さんご自身も写真が趣味で、昔は和菓子づくりと並行して写真の仕事もされていたようです。その証拠に渡源の店内には「フジカラーの旗」が残されていました。

遠藤さんは、榮三さん目線の飾らない作風がとにかくお好きだったようです。実際、この写真集が登場した背景は、遠藤さんなくして語れません。

榮三さんが写真集を出したのは、遠藤さんが「後世に残すべき風景だ」と強く勧めたからなのです。

遠藤さんは、榮三さんにゴリ押ししたときのことを回想してくれました。

「戦前、戦中、戦後の小見川町をその目で見て、写真におさめてきた。コンクールに出すよりも写真集にまとめて、小見川町の変遷を後世に伝えるべきだ」

親子ほどの歳が離れているのに もかかわらず、遠藤さんの熱意は榮三さんに届いたようでそのままみごと実現。出版から20年以上経った今、私が手に取れているわけです。

すごいですよね。何気ない一言が、その人の人生だけでなく、その人と関わる人々や後世の若者にも影響を与えるわけですから。

25年以上前の記憶を、まさか和菓子屋の渡源さんと共有するとは。あまりの懐かしさに感動すら覚えました。

遠藤さんも私を物珍しい人間だなあと思ったことでしょう。しかし遠藤さん自身も、かつての青春や懐かしい記憶を思い出してキラキラしていたように見えます。

遠藤さんも私も、記憶は心の拠り所なのだなあ、とお互いに共感しあった瞬間でした。

※「渡源(わたげん)」ってなに?という方は、こちらの記事もどうぞ。

幼少期から懐かしいもの好きだった

ちょっと私の話をさせてください。

私は幼い頃から、とにかく懐かしいものに心を奪われてきました。理由は特に考えたことはありません。古い白黒写真やレトロなアイテムには、いつも心が躍っていて、とにかく興味津々でした。小学校の頃なんかは、郷土資料室が私にとって宝物箱のような存在で、古いアイロンや明治時代の古民具、紙でできた傘など、どれもが私の心を掴んで離しませんでした。

祖父母から昔話を聞くのも大好きでした。戦争時代の話や彼らの若い頃の生活の話を聞くと、まるでタイムマシンに乗ったかのような気持ちになれて、ひと通り話を聞いたあとは、一人想像に耽っていたのです。

昔の時代の空気を感じるとともに、変化を実感できる。だからひたすら昔の話を聞くのが好きだったのだと思います。未来を考えるよりも、過去を掘り起こす方が性分にあっていたのかもしれません。

中学生の頃には、歴史のテストは95~100点を取るほど熱中していて。戦国武将を題材にした漫画をオールで読み明かしたことも何度もありました。

趣味も同様で、昭和レトロ好きが高じて80年代や90年代のアニメに夢中になり、高校生になるとビジュアル系音楽にどっぷりとハマりました。

今でも昔のものを追うのが好きで、旅行先でも観光地に行くよりも寂れた商店街をひたすら練り歩くとか、年金暮らしの老夫婦がやっている純喫茶に行くとか、そんなことばかりしています。

最近では、ヴィンテージの洋服やアンティークの古着に手を出すことも増えました。友人が100年以上前の古着を扱う仕事をしているのがきっかけで、身につけるようになりました。

古いのが好きというか、かつて労働が重宝された時代のものづくり文化や日常生活の面影を想像するのが好きでして。服一つにしても生産力や商品の重みがまるで違うじゃないですか。

大量生産・大量消費の時代に生まれてしまったからこそ、見えない・わからない感覚があると思うんですね。だから古いものに触れて、自分の感性を頼りにいろいろと思いに耽るのが私の一つの趣味になっています。

超マニアックでしょうけども、意外とこういった楽しみ方をしている日本人は多いのでないでしょうか?

「懐かしさ」に惹かれる理由をあげるとすれば、ひと言で「昔の日常を想像するのが好きだから」に尽きるでしょう。自分の中だけにある、己の感性を揺さぶるのが快感でならないのです。

社会に出ても古いものが好き。まさかの仕事につながった

並々ならぬ好奇心が高じて、今ではアンティーク家具店のライターとして働いています。専門知識はほとんどない状態からのスタートでしたが、祖父母の家で見てきた懐かしい家具や雑貨を想像しながら楽しく仕事をしています。知識は浅いけれど、自分の感性に沿って仕事をする。それが私のスタンスです。

アンティーク家具のライターとして働き始めてから、アンティーク系のイベントや手仕事系のマーケットに顔を出すことが増えました。新しいものを見たり触れたりすることで、興味の幅が広がり、視点が変わるのを感じています。行動さえも変わったのだから、現在の職場には感謝しかありません。

日本人は遺伝子的に懐かしさに弱いと言われていますが、私はその典型かもしれません。幼い頃から歴史が好きだったことも影響しているのでしょう。ただの懐かしいもの好きだったのが、生き方にも大きく影響しています。

最大の理由は「否定してきた故郷との記憶を拾い集めたいから」

私の家庭、というか両親の仲が最悪で「夫婦円満」「家庭円満」「一致団結」のようなワードとはほど遠いものでした。夫婦、そして父方の親族らお金でもめる姿ばかりを見てきたので、今はもううんざりしている記憶しかありません。

育った境遇がそんな感じでしたので、生まれ故郷そのものを否定してきた時期が長いのです。田舎コンプレックス、都会へのばくぜんとした憧れ、お金持ちへの憧れ……自分にないものを強く求めていたため、高校生でアルバイトするようになってからはとにかく外へ外へと繰り出していました。「家も小見川も全部クソ」が口癖だったほどです。

転機は長く別居していた父の死

2021年に父を亡くしてから、自分の生まれ故郷である小見川や現在の住まいである神栖市に対する関心が高まりました。

結婚して今の住まいに着き、在宅で仕事ができるようになったのも理由でしょう。週7で成田にいた人間が行動範囲が超ローカルになったので、自然に地元や周辺地域の情報を集めるようになりました。

もっと言えば、相続の都合でずっと住んできた小見川の実家を手放したのも大きな理由です。(小見川大橋のすぐそばで、家の敷地からは花火大会がばっちり見えました。)

私のルーツは幼少期の写真とぬいぐるみ、そして記憶に頼るしかなくなってしまいました。

そういった背景もあり、過去に置き去りにしてきた気持ちを拾い集め、自分が生きてきた証を振り返ることで、これからの生き方や家族形成への考え方につながっているのだと思います。

かつて嫌っていた故郷の近くの飲食店や人々と触れ合うことで、地域の魅力や暮らしの豊かさを実感し、自然と嫌悪感も薄れていきました。懐かしいものが好きという気持ちは、私にとってただの趣味以上のものであり、人生の一部なのかもしれません。

まとめ

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。記載した通り、私は旧小見川町に生まれました。知っている限りで父方は代々小見川町にルーツがあり、祖父の代から鉄工所を営んでいました。

私の実家もこの鉄工所の工場兼事務所と同じ敷地内にあり、幼少期は父の作業を時折のぞくのが好きでした。溶接をしていたり、重機で鉄を切断するなどしていて、「近づくと危ないよ」と言われたのをよく覚えています。

相続放棄をする前、かつて事務所だった部屋から50年以上前のハガキを発掘したことがあります。創業時は「山口製作所」という名だったようです。

廃業してもう20年近く経ち、別の所有者に変わってしまったのですが、まったく後悔がありません。身軽で清々しく、ようやく故郷を好きになれると感じています。

後ろ向きだった過去さえ、自分の生きてきた証だと思えてなりません。愛しい思いがわきあがってきて、今はひたすら写真と記憶を通して、変わりゆく故郷の姿を思う楽しさを実感しています。でも決して美化はしません。現実から逃げないために、自分にも周囲にとっても、都合良く美化だけはしないように心掛けてきました。

あくまで趣味の延長です。今後も私のマニアックな思考回路は続くでしょう。また似たような記事を書いたときには、同じようにお付き合いくださるとうれしいです。




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