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ナラティブ・ストーリーはキラキラ、ヒリヒリだけじゃない

 飽きもせずデザインを考えるとき「何が起点なんだろう?要望を丁寧にヒアリングすることやデジタル展開、新しいことの考案も、その一つなのですが、もっと本質的なことで大切にしていることは?」ということを、後輩のディレクターの「これからもやるんだけど、どうしてもディレクターなのかな。。。わからなくなる」という言葉をきっかけに、メモを整理するように本質的な掘り下げを試みていました。

私の家族は、飲酒運転に反対するNPOの代表と英語の先生をする母、車の販売を生業とする父と妹。親戚は大学教授や建築家などで構成されています。
描くことで受賞や褒められることが多かった10代でした。その後、桑沢デザイン研究所や多摩美術大学などでデザインを学び、卒業してデザイナー人生がスタートして、幸いながらデザインに携わり続けて数十年が過ぎました。

中学のときの自画像、創立記念カレンダーの1月に掲載されました。

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妹の交通事故死をきっかけに変化した家族

私が20代前半に、飲酒運転のスピード違反車により、妹が20歳で亡くなってしまい、社会に同じ悲しみを増やさないために、アメリカに本部がある飲酒運転に反対するNPOとライセンス契約をするため、母が渡米して1年をかけライセンス契約が結ばれ、日本でNPO活動を母を代表として展開しはじめました。

国会での発表やマスコミへの露出、慣れないことにも懸命に立ち向かう母でした。父は時々、夕食を母のために作っていたようです。一人暮らしをしてて、時々実家に帰るとおいしい生姜焼きやナスのお味噌汁など父が夕食に作ってくれたり、「来世もお父さんと結婚」というほど、お互いが支え合う夫婦でした。

私はというと、デザインを通じてのブランディングやプロダクト展開、イベント、講演やワークショップ展開などが、当時の私ができることだったのだと思います。

妹の死、デザイン、家族など、なかなか体験できない人の思考のあり方や、必ず訪れる死の在り方についてなど、水野教授や母を通して、この時期に多くを吸収しながら、もともとデザインを通じた分析からの提案と共に、本資質に近い「傷みの在り方、寄り添い方」について、分析的思考を含めて、客観性を養ったように思います。

その後、病気により両親ともに亡くなってしまいましたが、当時の活動内容は、母が水野治太郎名誉教授(日本の臨床人間学者)と共著で出版した書籍に書かれています。
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命を支える知と技―自助と共助のこころ

物語の本質を見る

いま、私がしていることは、社会の役に立っているのだろうか?どこかで、これがあってよかった。なんかいいなぁなど、思ってくれる人が一人でもいると嬉しいです。

世界は目まぐるしく変わり続けています。だからこそ、いまを、少し先を見て、学び続けながら、何ができるか?その外側に何があるか?テクノロジーはどんな役割を?というようなことを、問いながら日々を過ごしています。

私も母が亡くなった後、水野教授からお声がけいただき、本の装丁をデザイン、著者の一人として書籍を出版しました。デザイン関連の書籍ではありませんが、大切な人を亡くした後、どんなふうに生きていくのか?というシンプルな問いへの参考になると良いなぁと思います。
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喪失を贈り物に変える―悲嘆回復の物語

成功、失敗では分けられないストーリーの本質

観察すれば「予防できる」「避けることはできない:諦めに近い明らかな失敗」「振り返り、修正可能な思考:次へ導くことができる失敗」「積み重ねによる成功」が積層されています。コミュニケーションや対話を通じて、少しずつ変化に敏感になることで、相互に助け合えるのかもしれません。

今回のトップ画像は、私の本棚に囲まれた部屋の一部と、思考の整理ワードを繋ぎました。

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