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【読む人】日本理学療法士協会 第10回「笑顔をあきらめない。」フォトコンテストで優秀賞を受賞して号泣した話

こんにちは。読む人 山村 愛(やまむら めぐみ)です。
今回は、どうしても受賞したい!と思ったコンテストに何が何でも賞を取るんだと応募し、いただいた優秀賞を大切な人にプレゼントしたお話です。何がなんでもという理由も含めて綴っていきます。

リハビリと私

坊主にジャージで過ごした入院生活
入院しているおばあちゃんたちに
男子と思われ人生最大のモテ期到来
(撮影:リハビリ室にて)

理学療法ってご存じですか?理学療法とは、リハビリのこと。私の人生を語る上で、切っても切り離すことの出来ないリハビリ。歯を食いしばって、何くそとリハビリに励んだ日々があるから、今の私があると思っています。

理学療法とは、病気、けがなど様々な理由によって運動機能が低下した状態にある人々に対し、運動機能の維持・改善を目的に行われる治療法です。さらに理学療法士は日常生活を改善するための指導や安定した社会生活を送るための福祉用具、住宅環境、在宅ケアの調整なども行います。近年、理学療法士の活動の場は、生活習慣病予防、介護予防などに対する助言など、幅広い分野に広がっています。
日本理学療法士協会 HP

23歳で骨の癌、骨肉腫と診断された私は、骨盤の1/3とその周りの筋肉を失いました。手術する前から身体障害者になることは、先生から話があり決まっていましたが、自分が障害者になることを受け入れられないまま手術に臨むしかありませんでした。
手術室に向かう直前、病棟の廊下を走ってみました。とても軽やかに。幼い頃から足が速くて、陸上部とバスケ部を掛け持ち、バスケ推薦入学のお話もいただいたり、大好きなバレエに週3回通うような学生時代でした。プライドはかなり高かったと思います。

そんな私が、10時間以上に及ぶ手術から戻ってきた翌日、ベット上安静から車椅子に移動することになりました。リハビリの先生であるリエちゃんと、看護師さんたち2~3人に支えてもらいながら床に足を下ろし、立ち上がろうとした瞬間、

(...え?)

立ち方すらわからない私と出会いました。立ち方を忘れてしまったのか、全く思い出せない。思い出せないというか、立つって何?みたいな感じです。あまりの衝撃に呆然としました。

結局、リエちゃんや看護師さんたちに引っ張り上げられるように車椅子に移動。車椅子を押してもらいながら、術後初めてトイレに行ったんですけど、便座に座る手前まで助けてもらいながら扉を閉め、何とか座ったは良いものの、立ち上がれない。立ち方がわからない。でも何とか自分の渾身の力で自分の体を持ち上げるように立って、扉を開けたんですね、扉の外には看護師さんが待っていてくれました。でもそこまで。何とか立ち上がれたものの、その姿勢が維持できないからトイレの中で派手に倒れたんです。

もう、何だろう。自分が自分じゃないような。情けないというレベルまでも行かず、ただただ自分自身に呆然として悲しかった。

その日から始まったリハビリ。0というよりかは、気持ち的には絶望ですからマイナスからのスタートです。そして、手術は終わったものの、癌患者であることに変わらない。手術前から抗がん剤の治療をしていましたが、術後も抗がん剤治療は継続だと宣告されました。生きるためなのに死の宣告のようでした。歩けないことに絶望し、抗がん剤治療継続に絶望、人生のドン底だと思いました。

抗がん剤治療中もリハビリは続きます。毎日毎日ベットまでリエちゃんが来るんですよ。自分が生きているのかも死んでいるのかもわからないような、死んだ魚のような眼をしてぐったりと、ただひたすら時が過ぎるのを待つしかない状態の時もリハビリは続きます。リエちゃんが勝手に足を動かして帰っていくんですけど、地獄です。1ミリも動きたくない。声を掛けられても返事も出来ない。生きる屍です。

回復して目の輝きを取り戻してくると、リハビリ室で先生やおばあちゃん、仲良しの治療仲間とリハビリに励んでいました。少しづつ少しづつ、不安定ではあるものの歩けるようになっていきました。赤ちゃんが歩くのをマスターする方が早いんじゃないかってくらいの牛歩です。気を許すと倒れる。感覚で言うと、2リットルのペットボトルを右足に2本括りつけてるような感じ。プライドが高いから、歩けない自分が許せなくて、なんて格好悪いんだと思っていました。私は今までのように普通に歩けるようになりたかった。

土日祝日は病院が休みなので、外来に来る患者さんや職員の方もほとんどいません。朝、誰もいない病院の真っ暗なロビーで、イヤホンから流れるバレエ音楽を聴いて自分を追い込んでは泣いていました。泣きながら、私はこんなもんじゃないんだって言い聞かせて、真っ暗な階段を上ったり下ったり。何往復したかわかりません。私を取り戻すために必死でした。

この薄暗い階段を何往復したのだろう
負けず嫌いが功を奏しました

いつしか病院から徒歩1分のコンビニに行くことが夢になりました。その夢を叶えるために抗がん剤治療と共にリハビリも、絶対に諦めなかった。
ついに、リハビリのスケジュールにコンビニが組まれた時、本当にうれしくて。リハビリ仲間のお兄さんとリエちゃんと一緒に、久しぶりの外の空気に触れたことがとても新鮮でした。どのくらい時間をかけたのかわからないけど、蜃気楼の様に思えるくらい遠く感じながら必死にたどり着いたコンビニ。ピルクルを手にした自分がとても誇らしかったです。

現在も補助的に杖は必要ですが、自分の足で自由に歩いて行きたいところに行ける、空が大好きな私が病室から毎日眺めていた窓枠のある空ではなく、風を感じ、太陽の下を歩けるって本当に幸せなことなのだと今でも強く感じています。

「笑顔をあきらめない。」フォトコンテスト

悔しくて泣いたことも、飛び上がるほどうれしいことも、
悲しみに暮れたこともたくさんあった
色々な感情を抱えながらこの扉をくぐった19年でした

あれから19年、2022年の春、ついにリエちゃんが、私の長年通う病院を離れる日がやってきました。そんな時に偶然見つけた理学療法士協会主催の「笑顔をあきらめない。」フォトコンテスト。
リエちゃんは理学療法士なんだから、もしこのコンテストで受賞出来たら、最高のプレゼントになるんじゃないかな…。そう思ったら、もう受賞するんだって決めている私がいました。

日本理学療法士協会は、「笑顔をあきらめない。」をキャッチコピーに病気やけが、加齢などの何らかの理由により、身体の障害や生活に支障が生じた場合でも、当事者やそのご家族が、その人らしい生活を送ることができるような地域社会を築くことを目指しています。 その思いや活動をより多くの方にご理解頂き、活動の輪が広がるように、今年も理学療法の日「笑顔をあきらめない。」写真コンテストを開催することになりました。写真コンテストを通して、より豊かな社会になることを願って、「笑顔をあきらめない。」をメインテーマとした、理学療法・理学療法士に関するオリジナリティあふれる作品と関連するエピソードを、医療・介護・スポーツなど様々な領域にて幅広く募集します。 
日本理学療法士協会 HP

「笑顔をあきらめない。」フォトコンテストの応募要項を見ると、写真に400字までの文章添えられるとのこと。これまでちゃんと感謝の気持ちを伝えたことがなかった私は、感謝の手紙と称して、リエちゃんと私のことを書こうと決めました。
このコンテスト応募のために撮影した写真ではなかったものの、少し前に、ひとり旅に初めて出掛け、海でセルフポートレートを撮影した時の写真が私らしくて、” 笑顔をあきらめない。” というテーマに沿っていて、生きる力に溢れてるんじゃないかなと、選びました。

優秀賞を受賞した

笑顔をあきらめない。写真コンテスト
私だけじゃない
過去の受賞作品からも
理学療法士と患者さんの絆を思い知りました

このコンテストは7月17日が理学療法の日ということにちなんで、7月17日にHP上にて結果発表されるようでした。きっと絶対、受賞したあかつきには、事前に何かしらの知らせが来るに違いない。メールはチェックしてみるものの、何の音沙汰もありません。いつしか諦めてメールを確認することすら止めました、ふと気づくと7月18日。

(あーぁ、やっぱり何も連絡なんて来なかった。あれ、よく書けたと思ったんだけどな…)

ガッカリしながら、日本理学療法士協会のHPを見てみると、受賞者の発表ページがありました。

(私も受賞したかった...)

画面をスクロールした瞬間、

(...え?)

優秀賞受賞

(あっ…た。)

次の瞬間、声を上げてワンワン泣いていました。ずっと。私の言葉が、誰かの心に届いた、良いって思ってもらえたんだって。うれしくてたまらなかった。絶対に賞を取るんだって勝手に決めて、本当に実現するなんて夢のようでした。

受賞をプレゼント

日本理学療法士協会ご関係者さま
貴重な経験を本当にありがとうございました

(泣いてる場合じゃない、すぐにリエちゃんに報告しないと。)

涙を拭いながら、LINEで報告しました。即既読がついて、

「嬉しくて泣く!元気で過ごしてくれているだけで大満足なのに、こんなにありがたいことはありません!本当にありがとう!」

リエちゃんからの返信を読みながら、やっと今までのお礼が出来たと思ってとてもうれしかった。実は、この受賞した文章、最後にもう1行続いていて。応募した文章には入れていないですけど、リエちゃんに向けたメッセージがあともうひとこと入って、この手紙は完成です。

19年間私のPTであるリエちゃんへ。愛を込めて。
最後の1行

今回の受賞は、リエちゃんだけではなくて、私の通うもう一つの病院の主治医の先生たちや技師さんたち、看護師さんたちもとても喜んでくれました。乳腺外科のモリヤ先生は、

「この文章はたくさんの患者さんたちに力を与えるよ!いやーそれにしてもいい写真だなぁ!」

って言ってくれました。命の現場にいる先生たちにそう言ってもらえて、本当にうれしかったです。

骨肉腫の主治医の横倉先生にも、そろそろ報告に行かないと。

退院して少し経った25歳の頃
娑婆の空気は最高です

癌なんてなりたくもなかったですし、今日まで生きてくるのに辛いことも悲しいことも悔しいことも馬鹿馬鹿しいなと思ったことも、人生ドロップアウトしたくなったことだって何度あったかわかりません。
でも、この経験は悲しみだけではなかった。どんな状況下でも日々のささやかな楽しみや幸せを大切にしていたみんなと私がいて、笑顔だった日もたくさんありました。出会いもたくさんありました。だから、私の人生は良い方向に舵を切ったんだと思います。あのリハビリの日々が、今の私の笑顔を支えています。

またひとつ夢を叶えました。今回、私が優秀賞を受賞した作品は、日本理学療法士協会のHPよりお読みいただけます。私のnoteでも公開しておりますので、お読みいただけるとうれしいです。

これからも少しずつ自分の思いを言葉を使って形にしていきたい。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではでは、また次の記事で。

山村 愛


Instagramでは、私の見た命の輝きやあたたかさや強さを大好きな空の写真に乗せて発信しています。日々のつぶやきもこちらから。

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