これから、何を大事しようか
私はおばあちゃんっ子だった。
母が仕事や病気でいないとき、おばあちゃんが私の面倒を見てくれた。
学校から帰宅して、一緒にテレビを見てお昼を食べたり。
ゲームが強くないはずなのに、オセロをしてくれたり。
おばあちゃんは強い人だった。
両親が早く亡くなり、兄姉も病死していく中で、弟たちと妹を育て上げた。
家族を支えるため、小学校さえも卒業することができなかった。
おばあちゃんは戦争を経験した。
怖ろしい空襲の話、いのちを救ってあげられなかった親戚の赤ちゃんの話。
ご飯が満足に食べられなかったときの話。
「戦争中は芋のツルしか無くてね、そんなお味噌汁しか食べられなかった」と。
そんな話を、昨日ふと思い出した。
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戦争中と比べて今はまだマシとか、そんな話をするつもりはない。
比べる条件が違いすぎて。「その時と比べてまだマシだから、今は我慢しよう。またいつもの生活が戻ってくるまで耐えよう」だとか、そんなことも言えない。
考えたいのは、私たちはこれから何を大事にしていくのだろうか、ということ。
満足して食べられない時代を経験した人たちは、食べられることや平和な社会ができるよう一生懸命働いた。
二度とあの空腹を経験しなくても良いように。
平和で自由を感じられる世界にしようと。
自分の子ども、孫世代が同じ苦しみを経験しないように、と。
そのお陰もあり、私たちは常に物質的に満たされ、平和で自由な世界に生きることができた。
では、今私たちができることは何だろう?
私たちはどんな時代を後世に残したい?
何に不便や欠乏を感じていて、何を大事にできる時代にしたい?
私たちが今まで頼っていた既存の社会システムが音を立ててガラガラと壊れていく。また同じシステムを作り直す?問題だらけのシステムを?
もう私たちは戻れない。たった一ヶ月前にさえも。
環境活動家のリン・ツイストは言った。「30年後を想像してほしい」と。30年後に2020年を振り返ったとき、実はあの苦しみがあったからこそ、その後素晴らしい変化がたくさん起きたんだ、と。
2050年、私たちは自分の子どもたちや孫たちに、どう伝えるだろうか。
「あの頃は大変な時代だったけど、そのお陰でようやく大切なものに気がついた。それは…」と語れるだろうか。
そして私たちの子ども孫世代は、私たちの決断・行動に対してどう思うだろうか。
「そのお陰で、今の私たちは…」と言ってくれるだろうか。
これから何を大事にしようか。
そんな決意をする時が来た。
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