【実録】義父と認知症・その時私たち #5 義母のことを考えてみた、その1

2019年夏 義父がもしかしたら認知症⁉︎ と懸念を持ち始め
早めの検査を勧めたが、義母の拒絶によりそのままにてしまっていました。

怒った夫から「それならもう、俺に困った困ったと言って来るなよ!」と
言われたものの、そんなことではへこたれない義母は来るたびに義父の困った話を夫に訴えているようでした。

だから俺に言うな!と夫が言えば、
「じゃあ、お母さんは誰に言えばいいんや!」と返ってくる

イラッとした夫が
話すなら、こちらの話も少しは聞いたらどうだ!と言えば
「そんなこと言って あんたやらしいな!」と言う始末

この「あんたやらしいな」は義母がしょっちゅう言う常套句で、
返す言葉がない時に出て来る文句です。

これが出てくると、いつも私はこう思います。
どうしても負けたくないんだな…….
これは義母と一緒にいるとよく感じることなんですが、
ドコドコのスーパーの何が美味しい的なたわいもない話でも、
この負けん気が出て来ることがあって、
そんな時はギョッとすることがあります。

何も言い返せない時や、どうしても最後に相手を落としたい時に出てくる
やらしいな!を聞くと、今までも
「どうしてそんなに負けたくないのかな?」と思っていました。

義父の検査にしても、なんで反対するのかな?
このまま状況が悪くなれば、側でお世話をする義母自身がもっと大変になるのは、きっと本人も分かっていると思うのに、、、、

どうせ検査の話は停滞しているのでやれることはないし、仕事や家事の合間に義母のことを考えてみました。

義母は今80才、20才くらいで結婚して、専業主婦で息子を2人育てました。
子育て中は教育ママだったそうで、夫は小学生の時から塾に入れられ勉強しろと言われていたそうですが、面白くないので無断で休んでばかりいて辞めさせられたそうです。野生児のような夫は何かと校長室に呼ばれて注意されるような子だったらしいのですが、やんちゃな部分には怒るよりも面白がっていたようで「この子はほんとに面白い子やったわ〜」と、ちょっと誇らしげに話してくれたことがあります。(結婚当時の私はそのやんちゃな部分を聞いてうぇ〜っと鳥肌が立ち、夫を白ーい目で見ちゃいましたけど。)

子育て中から無農薬野菜を栽培して食事にこだわり、おやつにケーキを焼き、保存食を作り、なんでも手作りでしてきたことを誇りにしていました。特によく聞いたのはガスコンベクション(ガスオーブン)を愛用してきたこと、電子レンジや電気のオーブンに浮気はしていないそうで、これは電気オーブンよりも火力の強いガスコンベクションで美味しいものをたくさん作ってきた、それは電気オーブンよりも簡単なことじゃない、ということを言いたいようでした。お菓子作りはレモンケーキまで作ったというのがよく出てくるので、たぶん、スポンジケーキよりレモンケーキの方が難しいか手間がかかるか、家族の誰かが大好きだったのか、、、と思いながら聞いていました。実際に義母の作るお野菜もご飯も美味しくて、きっと一生懸命に家族団欒を作ってきたことを誇りに思っているんだなぁ、と痛いほどに感じていました。ケーキは食べたことがないんだけど。

義父もよく食べる人で、運動部に入っていた息子2人の食べ盛りはすごかっただろうし、義母自身も食べるのが好きなので、本当にたくさん、たくさん作ってきたと思います。それだけ作れば片付けだって大変なはずだけど、「お母さんは”男子厨房に入れず”を地でやったからね!」と誇らしげに話す義母、男3人の中で毎日こまごまと世話を焼き、家事を一手に引き受けて家族のために働いてきたんですよね。

この辺りの話は結婚当時によく聞いたものですが、当時の私は専業主婦では居れない立場でした。子供が2才になる前から預けて仕事に行くので、とても義母と同じように無農薬野菜を育てて、とはいきませんし、男子厨房にいらずなんて考え、古臭くて吐き気がする、うぇっと思っていました。慌てて仕事から帰って、一度も座ることなくキッチンに立ってご飯を作っても、配膳も手伝わず、食べた食器を流しに持ってもいかない夫にモーレツに憤慨していた頃なので、「お義母さんの教育、間違ってるよ!!!だから今私が大変なんじゃん!」と心の中で毒づいていました。

子供に手がかかるうちは専業主婦で家族のお世話を甲斐甲斐しくしていたのは私の母も同じで、この頃の、1970年代、1980年代のお母さん像でもあると思うのですが、周りもみんなそうだったとあまり主張しない母とは逆に、「私は!私は!」「聞いて!聞いて!」と押しの強い義母に私はカルチャーショックを受けていましたし、正直なところ、話を聞いているだけでドっと疲れると思っていました。

その頃から時間が流れて、私の子育て期もほぼ終わったような今、この20数年を振り返れば、私にもやっぱりいろんな思い出があって、迷いがあって、こだわったこと、努力したこと、喜びも悲しみも、全部丸ごと、かけがえのない楽しかった幸せな思い出になっています。思い出の中で、嬉しさや幸運への感謝は倍、倍、と歳を追うごとに大きくなってきて、あんなに悩んだ苦しみや悲しみは小さく遠くなっているように感じます。

私もまた、母、義母、子供を持つ多くの女性と同じように、一生懸命に家庭をつくってきた1人なんですね。終わりにきてつくづく感じるのは、なんて楽しい時間だったんだろう、ということです。2度と取り戻せないあの時間は思い出すだけで胸も目頭も温かくなって幸福な気持ちが蘇ってきます。

その真っ最中で奮闘している時は、嬉しさや喜びよりも、大変さや難しさ、疲労の方を多く感じていたように思うのに、、、
母親ってこんな生き物なんでしょうかねぇ。

幸福感に浸れる思い出があることは、50を超えて人生の折り返し地点を過ぎた今の私にはとても有り難いことだと実感しています。部屋に飾ってある写真、犬の散歩で通る小学校の校庭や公園、何気ない夫との会話の中でふわっと甦る愛しい思い出がくれる幸福感は、他の何ものにも変えられない大切な記憶です。きっと私の脳内では幸せホルモンがドバドバと分泌されていることでしょう。

とすれば、

義母が自分の話をするのも、同じ様なものかもしれません。
息子夫婦に子供が産まれて、子育てしている様子を見て、
自分の子育て期のことを懐かしみ、幸福感に浸って、蘇ってみた思い出を話しているだけなのかもしれません。一つ話せば、次の思い出が引っ張り上げられ、また次の思い出が数珠繋ぎになって思い出されて、思い出すたびに幸福感のシャワーになっていくものだから、話が止まらないのかも?

その2に続きます



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