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✳︎わたしとむすこの奮闘記〜生後4〜6ヶ月編〜

この時期に獲得する、
首座りや寝返り、支えて座るは
問題なく出来ていた🌼
.
思い返して見ると、
少しの音や光に敏感で、
私と夫は豆電球で
夕飯を食べていたし、
音を立てないように忍足で
生活をしていました🥷笑
.
電動で揺れるバウンサー
でないと寝られず、
寝かしつける時には
15分×2〜3セットで
寝かせてたような💭
(本当は連続使用禁止)
.
昼寝は抱っこのまんまでした。
.
当時、都内のマンション住み。
夫は朝早く、帰り遅い。夜勤もある。
.
都内に子供がいる友人はおらず、
誰かに相談することも、
遊びに誘うことも出来ずに
本当にワンオペな日々が続いた🥹
.
実家は1時間半くらい離れた所。
週に1回来てくれる母親の存在に
助けられていました🫠
.
子供と2人でいる時間は
幸せそのものとは言い切れず、
チャレンジベビーを始めたり
大泣きの子供をベビーカーに乗せ
大泣きのまま散歩したりと
何とか毎日を暮らしていました🏡
.
なんとなく私が知っている
普通の子や普通の育児とは
かけ離れていて、
支援センター等には
なかなか行けませんでした。
.
私のストレスは食事に向かい、
料理が好きなのに満足いく時間もなく、
本当に泣いていることが多くて
ご飯も買って食べることが増えました。
そのせいか体型も崩れ始めて、
どんどん自分が嫌になっていた
ような気がします😢
.
離乳食の開始は順調でした。
が、ハーフバースデーの翌日。
おかゆとほうれん草と豆腐をあげて
寝かせた後、寝ながら咳き込み
始めて、2度の嘔吐。
顔面は蒼白で力もなく、呼びかけ
ても目を開けない。
.
救急車を呼びました🚑
アナフィラキシーショックかも
と思い、迷いませんでした。
嘔吐癖があった息子だけど、
こんなことは初めてだ、変!!
何もなかったらごめんなさい
すればいいやと思ってました。
.
救急隊が到着した時には、
少し活気を取り戻してはいたものの
念のため病院へ搬送されました。
.
たまたま搬送された時の
当番医が小児科でアレルギー専門。
運が良かった✨
『何か食べました?』と
聞かれたけど、今までもあげてた
おかゆ、ほうれん草、豆腐。
.
採血をした結果、卵と小麦が
中等度のアレルギーでした。
まだ両方あげてはいなかった。
.
私が昼食べたパンの混入、
もしくは調理器具、
ないとは思うけど母乳を介しての
可能性があると言われました。
.
ミルクと母乳の混合でしたが、
この日から唐突に断乳することに
なりました。大変だった😭😭
.
その後、豆腐とほうれん草の
食物負荷試験を2度の入院で
行いましたが、反応はなく、
直接食べてない小麦と卵なのかな〜
みたいなボヤッとした感じで終了。
.
当時のガイドラインでは
卵は6ヶ月から(今はなるべく
早い方がよくて、5ヶ月ごろから)
だったのですが、アレルギーがわかり、1歳までは完全除去食でした。
.
小麦と卵を除いた離乳食や食事は
結構大変で沢山勉強しました…
(現在は小麦解除、卵は1/32まで)
.
バタバタの生後4〜6ヶ月。
思い返して見ると色々ありすぎた!

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