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安売りは、もうやめる

めぐむちゃんは宝のような人なんだから、安売りしちゃダメだよ。
自分ではわかってないみたいだけど。

数年前から仲良くさせてもらっている方に、そう言われた。

宝のような人。
そんなことを誰かに言われるなんて、思ったことがあっただろうか。


彼女とは、7年前に初めて出会った。私は大学生だった。彼女はもう社会人で、当時は研究者だった。
初めから直接話す機会があったわけではなかった。私が他の方と話している様子を見て、声をかけてくれた。そこから仲良くなり、時々会って話すようになった。

仲良くなってからしばらくして、ふと疑問に思っていたことを聞いてみた。
なぜあのとき、声をかけてくれたの?と。
それに対して彼女はあっさり、こう答えた。

話を聞く目が輝いていたの。この子、何か持っているな、って思った。


そこからしばらくして、大学生活が忙しくなって、会わなくなった。
コロナで外出できなくなって、大学院生になって、そして社会人になった。

彼女は誕生日や年始など、節目ごとに連絡をくれた。テキストでやりとりはしたものの、やはり会うことはなかった。

社会人になってから一度だけ、彼女に会いに行った。
当時の私には、悩みがあった。半ば押し切られて付き合い始めた方はまだ好きになれず、自分から別れを告げたはずの相手への想いを断ち切れていなかった。この矛盾だらけの悩みを、彼女なら聞いてくれると思った。
悩みごとを一通り話した私に彼女は、一つだけアドバイスをくれた。

"まずは自分のことを大切にして、悩むのはその後でもいいんじゃないかな"

このアドバイスは当時の自分にはあまりピンとこなくて、その後そのまま過ごしていくことになる。


そして今年。
仕事もプライベートも思うようにいかなくなり、より頑張ってみるものの空回りは止まらず。初めて心が壊れた。

(これに関することは上のマガジンにまとめているので割愛します)

医者に言われるがまま仕事を休んだ。少し回復が見えてきたので、心療内科に通いながら、少しずつ仕事や元の生活に復帰していった。

ボロボロで真っ白だったときよりはマシになっていたものの、完全回復していない感じがずっとあった。
言われた通り休んだし、勧められたランニングも沢山していた。でもそれだけでは解決できない何かが残っている感じがした。それが何なのかはわからなかった。

そんなある日、別の方に近況を話す機会があった。
キャリアへの焦り、元パートナーとの結婚観のズレ。他にもこの1年で起きたこと、感じたことを話した。

それを聞いた彼は私に、
"まずは自分を大切にすること。他のことは、その後でいいんだよ"
と言った。

ハッとした。
1年前、こうなる前から全く同じことを言ってくれていた人がいた、と。

彼女に連絡した。急な連絡だったけど比較的すぐに会えた。
会わない間の1年間にあったことを、感じるままに全て話した。

彼女は私の心が傷ついていることに涙を流した。
"心のフットワークが軽いのはあなたの魅力。でも分別がないとどこにでも行ってしまって、結果傷ついてしまう。それは悲しい。分別をつけなきゃ。"
こんなに優しく愛のある叱りを受けたのは、初めてだった。


この再会をきっかけに、週に1回、対話する時間を設けてもらっている。
初めて会った7年前も、半ば腐りかけていた私を前向きな気持ちにしてくれた。それを思い出して、再会したその日、私からお願いした。

何回めかの対話のタイミングで、改めて感謝の気持ちを伝えた。
忙しいのに時間割いてくれて…いつもありがとうございます、と。

それに対して彼女は、
"めぐむちゃんは宝のような人なんだから、安売りしちゃダメだよ。自分ではわかってないみたいだけど。
だから何年経っても思い出したし、今だって決して暇なわけじゃないけど、めぐむちゃんには時間を使いたいと思うからこうしているんだよ"
と言ったのだった。

思えばこの7年間、いろんな距離感で私を見守ってくれていた。
ヘコんでいるときは沢山会って話を聞いてくれた。楽しく過ごしているときは、遠くから時々、そっと連絡をくれた。
1年前も、強い口調ではなかったけれど、彼女なりに私に対して忠告をしてくれていたんだなと、今になって思う。

毎週の対話の時間。私は心救われているけど、彼女のためになっているのかは分からない。お金になるわけでもない。私が逆の立場だったら、誰かに対して同じことをできるだろうか。
時間を割きたいと思ってくれていることに感謝して、これからも彼女との対話の時間を大切にしたいと思う。


思えばこれまで、いろんな年代・バックグラウンドの方と関わってきたが、一目惚れ的に声をかけられることが多かった。
なんとなく好きだと思った、話してみたい、出かけてみたい、等々。
それは異性に限らず同性や、かなり年上の方も。近くて10個上、一番遠いと30個くらい上の方。もはや親と同世代だ。

今まではその一目惚れ的な声のかけられ方に強い警戒心を持っていた。
彼女に対してもこの7年弱、多少なりとも警戒していた。心の底から話せるようになったのは、実は今回の一件があってからだ。

というのも、見た目だけ好かれてもある日突然手のひらを返されるということを、小さい頃にいじめという形で経験したから。
そんな薄っぺらい好意じゃなくて、ちゃんと自分の中身を見てほしい。話したこともないのに好きと言われると怖くなって、なんとなく避けてしまうことが多かった。

でも歳を重ねるごとに、人間の直感はあながち間違っていないと体感することが増えた。あるいはいろんな方と関わる中で、世の中悪い人ばかりではないということを知った。
そして、一目惚れされることは悪いことではないのかもしれない、と思えるようになってきた。

そういう近寄り方をする悪意ある人も、世間一般には一定数いるだろう。
そういう意味では彼女が言う通り、もっと分別のある人間にならないといけない。

でもそれと同時に、本当に心に引っかかってときめいてくれているのであれば(一般的な異性間の恋心に限った話ではなく、もっとフラットに、人として、という意味ね)、その直感の奥深くに、何か言葉にはならない理由があるのかもしれない。
そして自分がそう思われる何かを持っているということを、信じてみてもいいのかもしれない。そう思えるようになった。


もうひとつ、話を聞いてくれた彼がわたしに言ってくれたことがある。
"他人軸を捨てて、自分自身と向き合うこと。1人でも充分な自分になること。"

これまでは他人がつけた自分の価値に一喜一憂していた。そしてそれに精神をすり減らすことも多かった。
でもやっと気づいた。
他人が自分をどう評価しようが、それはその人の感じ方であって、自分には関係ない。どんなに安く見られても、自分だけは自分自身を安売りしてはいけない、ということに。

誰かに裏切られ、嫌われ、嘘をつかれる。悲しいけれど、どうやらそういうこともあるみたい。
最後の最後に本当に信じられるのは、自分だけなのかもしれない。だから、自分を信じられる自分でいたい。自分の気持ちにだけは、嘘をつくのはやめよう。

いじめられていた頃、小さいなりに自分が悟ったことを思い出した。

いつの間にかまた、自分を信じることが出来なくなっていた。
今は自分とちゃんと向き合い、もう一度信じられる自分になるための期間なんだと思う。

自分をもっと大切にしたい。もう自分で自分を傷つけずに済むように。
そのためにまずは、"自分の安売り"をやめようと思う。

創作活動費として大切に使わせていただきます。