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めぐ撮影の 写真を使って下さった note

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みんなのフォトギャラリーで画像を使用していただいた 記事をご紹介してます。 想いの表現のお手伝いができて嬉しいです。 ありがとうございます(*´∇`)ノ♬♪♩
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#言葉

ぐるぐる

楽しいことをするとき 好きなことをするとき それがささやかなことでも エネルギーが 世界にはなたれて ぐるぐるめぐって ゆたかであったかい エネルギーが わたしの中にはいってくる

「フロー」に入ると「レンマ的知性」が働きはじめるのかもしれない。

話をしていると、時折、頭の中で次々に別の事柄が浮かんできて、正確にはある事柄と事柄同士の間で思いもよらない結びつきの連鎖が始まる時があります。無意識的に連鎖し続けてゆくので、そういう時は「フロー」状態に入っていると言えるかもしれません。 ある事柄と事柄が結びつき始めると、話しているそばから次々に起こる結びつきを言葉にしたくなり、フローに言葉が追いついかなくなってしまうことがあります。次々から次に浮かんでは弾けてゆく泡のような、新鮮な結びが解けてしまう前に言葉にしたい気持ちな

[日記]【‘‘漣’’】

* 日常の幸せを代替出来るものなどないし、その幸せがあるからこそ、日々を楽しく過ごしていける。 平穏な日々の中で、何を見つけて感じるのかも、それぞれだし、楽しさも辛さもひっくるめたもの全部が日常だと思える。 * イメージだけが拡散しながら、何かをかたちに変える為に、私は文章を書くことを選んだ。 ただ、思いだけが流れていき、いくつかの言葉だけが宙に舞った。 音と声が混じり合い、溶け込む音は音ではなくなり雫となった。 * 言葉は消耗品だと感じた。 使えば、使うほど得られるもの

「感謝と祈り」第555話

自己啓発にも大きな影響を与えた、フランスの心理療法家、エミール・クーエの有名な言葉があります。 「日々、あらゆる面で、私はよくなっている」という言葉です。 もともと薬剤師だったクーエは、「私」という主語を入れたプラスの言葉を口にすることで、薬の効果が高まることを発見しました。 これを暗示(アファメーション) といい、短い前向きな言葉を繰り返すことで、自分を変えていく技法です。 人はメッセージを認識し、それにしたがって行動しています。 このことは理性ではなく、無意識の

言葉に対価を払う

それは本を買うことでも、スキとかいいねを押すことでもいい。 その言葉を読んで、「ほんの1mmだけど心が動いた」「いい表現だからいつか自分でも使おう」「今日あった嫌なことを5秒だけ忘れられた」と思えたら、そこに対価を払いたくなる。 言葉とは、その場限りの関係であることも結構ある。一度読んで「へぇ~」「面白かった」となってしまったら、もう手放したっていい。一生大事にしたい言葉でも、心か頭に残っていれば原本となる言葉を読み返す必要もない。短期消費なのだ。 それでも、読んだこの

会話のアウフタクト

ヨガで呼吸を整えながらゆっくりと身体を動かしていると、突然思いがけない言葉が降りてくることがある。 不思議と降りてくる言葉は、雑念という類のものではない。耳を通り抜けてゆくインストラクションの声が導かれるように、身体は半無意識的にバランスを取りながら、降りてきた言葉が同時並行的に頭の中を流れている。それを無心というのか分からないけれど、その場の時間と空間にとけてゆく感覚がある。 話を戻すと「コミュニケーションにおけるアウフタクトとは何だろう?」という問いが降りてきたのだけ

こだわりがないことにこだわる

自信がないから言ったことがぶれる 人の言葉を聞き そうかそうなのかと気が付き 違う人のところであたかも自分の考えみたいに 人の言葉を話す しみ込んでいないからその場だけ 私はどうだろう? 少なくともその場しのぎではいけないと考えている が 決まりやそれまでの流れにとらわれたくはない 一時、人から感情を強くぶつけられる時期があった 悲しく辛く、自分を振り返りざるを得なかった でも、今になっても何が責めらえるべき事柄だったのかわからない 人を傷つけるこだ

数珠は眺めて/詩をひとつ

愛って、数珠繋ぎになったら、戦争なんておこらないのになぁって 昔の私は思って 当時の彼氏に話しました 彼は私に 愛の数珠繋ぎの作用を 働く人達や喜ぶ人達を通して見せてくれたけれど なんだろう?モヤモヤっとして 私が発した言葉なのに私にはかえらないなぁって しょんぼりとしたわかかりし私の記憶があります 景色を眺めた事が私にかえってきたあいかな noteの街は私には 言葉を綴る刺激をいただける素敵な場所で 子供達の何かや 生活がなければ もっと色々して

親と久しぶりの面会🤝言葉のちから

今日も一日、家族のためにがんばっている みなさん!こんにちわ、みなみです。 今回は、親子だからってなんでも言っていい訳じゃないんだよ。ってお話です。 コロナ禍あけて施設での面会や実家への帰省も増えてきましたよね。 久しぶりに会った親子の会話、血の繋がった家族だから何を言っても許されると思われがちで、親は、いつも親でもあるけれど、人なのです。 あれ?ボケちゃってる、認知症すすんでるんじゃない? なんで、こんなこともできなくなってるの? なに言ってるの?さっきも同じ話したで

自分だけ

~自分だけ~ どんなことを  やろうとも…… 被らないモノはない 手段  種類 どれだけ  細分化して   特別になろうとしても それをやるのは「人」   皆…同じ「人」  被らないモノなんてない でもね   きっと  一つだけ   可能性はある 「自分」は   一人しかいないから 自分でいることが  誰とも被らない…… 特別に繋がっていく

逃げてばかりの僕だから

変わる変わるって言ってばかりの僕だったから。君をいつも怒らせていたよね。勇気一つで全て良くなるってわかっているのに、喉元に絡まった言葉がいつだって解けない。会いたいも口にできない僕でごめんね。不安にさせてしまってばっかりだ。変われないことを諦めていた自分。君が僕の光になったんだ。変わろうって思えるようになったから。聞いて欲しい。会いたいも話したいも好きなんだってことも。

世界は優しさでできているなんていうけど

‎𐮛 徒然と想うことを 𐮛 --- 世界は優しさでできているなんて 豊かな人だけに許された 言葉だと思った 優しいというけれど 現実は 辛いこと、悲しいことが多いよ 生きていくのって大変だよ 虚しくなったり 悲しくなったり 心が必死なときもあるけれど いまの生活を支えてくれている ものを思い浮かべてみて 例えば この蛇口を捻って出る水は ここに辿りつくまで どんな工程を踏んできたんだろう 山に雨が降る 誰かが治水した川を流れていく 誰かがつくったダムに流れ込む