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野沢温泉の小さなホテルで開催されたポップアップディナー

長野県北東部に位置する人口3,500人余りの野沢温泉村。村の名前に「温泉」を冠するように、村に点在する13の外湯がある温泉街として古くから愛されています。共同浴場である外湯の維持・管理をするために、江戸時代から「湯仲間」という制度があり、この地域の特有のコミュニティの一つにもなっています。
この野沢温泉には、もう一つ同世代の結束を担う地域の文化として、200年以上も前から先人たちが守り、伝え、引き継いできた日本三大火祭りとも称される「道祖神祭り」があります。道祖神祭りは、「三夜講」と呼ばれる厄年の男たちを中心に祭りが執行されます。そして、今年数えで40歳を迎えるハウスサンアントンのシェフ、片桐健策もその一人でした。

「スキー客で賑わう1月に開催される道祖神祭り。その期間中のレストランをどうするかが課題だった。」

野沢温泉スキー場は今年で100周年を迎え、国内でも有数の豊富な積雪と絶好のパウダーの雪質にも恵まれることもあり、海外からの観光客も多く訪れています。ハウスサンアントンは開業から約40年間(運営母体である福田屋商店は創業100年)、訪れる観光客に上質な食体験を提供してきた地域にも愛される小さなホテル&ジャム工房です。片桐健策は、アルペンスキー全日本選手権で2度の優勝し、スキーヤーから料理人に転身。大阪で修行した後に、実家であるハウスサンアントンの独創系フレンチシェフとして腕をふるってきました。
冬のハイシーズンである1月13日~15日に開催されるのが道祖神祭りであり、準備期間も含め約1週間はシェフがホテルから不在となってしまいます。このままではレストランは一定期間クローズせざるを得ない、そんな状況でした。

「地域にこもっていると、どうしても情報が少なくなり、学びの機会が減ってしまう。地域外との交流機会はとても有益だ」

シェフとしてキッチンに立ち続け、レストランの経営も担う片桐健策の仕事は早朝から深夜まで毎日休みはありません。1週間代役を務められるシェフは見つかるのか、それを考える時間もなかなか取れない日々が続いていました。
そんな状況で参加したのが、8月1日に開催された「めぐるめく食卓会議 in 野沢温泉」でした。地域内外の食や農に携わるプレイヤー同士の学び合いや、新たな繋がりを生む機会として開かれた交流会。片桐健策にとって、この交流会に参加したことが大きなチャンスとなったのです。東京から参加したTETOTETOの井上豪希は、「新しい発見があり、いつもワクワクする」と、これまでの「めぐるめく食卓会議」にもたびたび参加してきました。食卓会議で夜遅くまで語り明かし、食に対する想いにすっかり意気投合した二人(正確に言えば、片桐「一家」と井上豪希)。片桐健策は、井上豪希に代役となりうるシェフの知り合いがいないか相談します。

「キッチンのオペレーションの改善も必要だったなか、井上豪希が最適だった」

井上豪希は、シェフ1グランプリにも出場しドラゴンシェフとも呼ばれた一流の腕を持つ料理人でもありますが、その才は調理技術に留まりません。フードクリエイターとして、商品開発のプロデュースも行うし、現場の運営マニュアル作成も行います。相談を受けた井上豪希は、「それなら自分がシェフをやるよ」とメッセージを返します。実は、ハウスサンアントンのキッチンは、40年以上の現役の調理器具ばかり。日々目の前の調理に向き合う中、現場のオペレーションが追いついていない状況が続いていました。外からの目線をもつ井上豪希と今のスタッフが共働することで、スタッフ自身も大きな学びがあるのではないか。この井上豪希シェフによる1週間をポップアップウィークとして、従来の「サンアントンらしさ」を求めるものではなく、これまでにはないものを提供するべきと考えた二人は、テーマを「酒懐石」とすることに決めました。1品ごとに日本酒を合わせ、発酵料理とお酒のマリアージュを楽しんでいただく10品10酒のペアリングディナーです。

「これからも新しい学びや繋がりの機会をつくっていきたい」

常連客からも、初めて訪れた客からも(コース料金27,000円は安すぎるでは?との声が聞こえるほど)好評だった今回のポップアップウィークは、井上豪希・鈴木建也の二人の料理人とパティシエ望月佳奈のメンバーがキッチンに立ちました。片桐健策の道祖神祭りはあと2回あります。来年も井上豪希を中心にメンバーをアレンジしていき、レギュラー化して行くのも面白い。と、早くも次なるコラボレーションに意欲を見せつつ、これからも料理人同士に留まらない、食品加工やレストラン経営など悩みの共有や、他地域への学びに出かけたいと話します。言語化できていないサンアントンらしさとは。片桐健策自身がより創造性に時間を割くための現場オペレーションの改善方法は。いかにして新たな食のプレイヤーを野沢温泉に巻き込めるか。これからのチャレンジが尽きることはありません。「めぐるめく食卓会議」を通して生まれた新たな繋がりが、40年以上の歴史を紡いできたハウスサンアントンの物語の新たな1ページとなったことを期待しています。


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