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But I'm not smiling

宇多田ヒカルは「今日私は一人じゃないし それなりに幸せで これでいいんだと言い聞かせてるけど」と歌ってた。

LofiをYoutubeで聞いてたらコメント欄で日本人同士で言い合っているのがあって、今だかつてこんなに荒れたLofiのチャットがあっただろうかと思った。やり取りは後半日本語で行われていたせいで、ほとんどのコメントに高評価マークが押されているのにそこだけ凪いでいて奇妙な光景だった。始まりは日本で暮らすことのdepressionみたいなものをその人がコメント欄に書いたことだった気がする。Lofiはアニメーション背景のものが多いから、いわゆる"Chill"な日本に憧れをもつ人が多くいて、私がフランス映画なんかをみてヨーロッパの幻想に取り憑かれているのと一緒だなと思った。そういうもんなんだろう。そういえば『Call me by your name』の続編がでるらしい。いくらこの場所へ行きたいと望んでも、アニメの中の美しいTokyoが存在しないように、あたたかいイタリアの80年代のノスタルジーに私は一生出会えないのだ、ということをなんだか発見し直してしまった。


一昨日は宇多田ヒカルの『Laughter In The Dark』のライブ映像をNetflixでみながら号泣していた。歌詞を並べてきちんと自分なりに読み解いてみたいと思いながら、結局いつもやらないでいる。感覚で言葉が届いて、それで泣いている今の"知らないでいる"状態には戻れなくなるからだと思う。もう少し考えないでいる快感に甘んじていたい。


なんとか就職に向き合うことを避けながら、授業再開へのリミットも感じながら、家で毎日カレーを食べている。お昼に目が覚めて、夕方また寝てしまう。夜中に目が覚めて、朝日が昇ってまた眠りにつく。起きているときは録画していたバラエティー番組をみて、Netflixで映画・ドラマ・リアリティーショーなんかをみていて、こわいくらい飽きない。ワイングラスに赤紫色の液体を注いでみたり、カマンベールチーズを美味しく焼いて食べてみたり、間接照明だけにしてココアを飲んでみたり、この生活で満足しているようにも感じる。満ち足りている。オンラインで友達と話す。ほんとうに、満ち足りている。

けれど、これが束の間であることを常に意識している。先にあげた解決していない事柄が身体中を蝕んでいるように感じる。せめて贅沢しようと食費がかさみ、その上オンラインショッピングを覚えてしまった。お金がない。ウイルスじゃなくとも、罪悪感が人を殺す。それで、気を紛らわすために愛のことを考えてる。愛のこと、あたたかいものだと思っているから。こんなこと。


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