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義理親へのダメ出しを書いていたはずが自分にブーメランが返ってきた話。

こんにちは、やつ子です。


今日は途中まで気分良く
ノリノリで書いていたけど
最後の最後で後味が悪い事になってしまった。


自分と向き合うって
前みたいに簡単には
人の文句が言えなくなるんだな。



例えば

それもまた人生
罪を憎んで人を憎まず
それが人間の本能、人間らしい

みたいなやつ。


一般的には褒められた事ではなくても

味がある
奥が深い
愛すべき

みたいな捉え方だ。


こういうのは
慎重にならなければいけない。

“誰が言うか”

そこを見極めなければ
聞いた方にとっては
思考停止の道具になりかねないからだ。


色んな経験と葛藤を越えて悟った人が
最終的にこの境地にたどりついたならば
一つの視点として大切な価値観なのだけど、

浅い人
考えない人
経験が乏しい人
価値基準が少ない人

このような人が
自分を大きく見せたい時に使っている場合

使いどころを履き違えてしまうために
もっと大切なことがあるのにも関わらず
それをすっ飛ばして語ることになる。


親が子に伝える場面だと
その親がどちらのタイプかによって
子どもの背負うものが大きく変わる。


もし後者の親ならば
運が悪かったとしか言えないが、

不本意ながら受け継いでしまったなら
自分で(大抵は思春期に)
書き換えていくしかない。



それもまた人生…なんて
簡単に使っていい言葉じゃないはずだ。

資格というと大袈裟かもしれないが
その器じゃない人が使うことによって
子どもが思考停止する確率が上がる。


ちなみに私の母はこのような
「良いこと言ってる自分」に酔うような
タイプではなかった。


母は生き方が達者じゃないので
自分を大きく見せるのではなく
悲劇のヒロインタイプだから。

なのでこれは私の呪縛ではない。
私のは他の記事に山ほど載せてあるので
ここでは割愛します。


じゃあ誰のかというと
旦那のである。


旦那の親は両親ともに
自分を大きく見せたい人だ。

人生を悟ったように語り
全てをわかったように
その人その出来事をジャッジする。


おかげで旦那は考えることが出来ない。

困ったことが起きても
自分の直した方がよい部分も
受け入れてしまうのだ。


それが人間…
人間らしい…
人間ってそういうもの…


それは確かにそうかもしれないけど
旦那や旦那の両親が言うと
思考停止するための言い訳にしか聞こえない。


その思考は自分のための時間
または相手の気持ちを思いやるための時間

どちらも放棄していては
心の大きさは広がっていないのではないかと
思ってしまう。



で、ここまで書いてきて気付いてしまった。

出来れば気付きたくなかった。


私は旦那の親と同じだ。
だから嫌だと感じるんだなぁ。


私もかなり痛いやつだ。

息子は今
私からの呪縛をペリペリ…と剥がしている。


そんなもん無ければ
呪縛を取る作業に追われずに
自分の好きなことをやる時間だったろう。


このまま気持ち良く
旦那の両親の悪口をぶちまけて終わりたかった。

後味が悪い…


こういう時に自分と向き合うなら、

「どうしてそれが気になったのか」と
自分に問うところから始めるといいと思う。


でも今日はそんな気分じゃないので
やりません。

体調不良からの久々ビールでも飲んで
プハッと気分良く寝ます。


ほんなら。





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