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皮一枚

祖母が能をやっていた。今はもう膝を壊して辞めてしまったが、昔はよくチケットをもらうので見に行っていた。

小、中学生の私にはとにかく退屈だったが、能を観る機会があったことを今では有難く思う。

池のある公園を横切り、絨毯の敷いてあるロビーを進むと200人程入るホールになっており、バックに松の絵が描いた能舞台がある。

室内に屋根が、しかも二重に作ってあるのがいつも奇妙な不自然な感じがしていた。

固めのシートに腰掛けると、いつともなく低い声がしてじわっと始まる。

ジャーン、と、始まらないのがなんだか面白い。

声と、音がだんだん速まって、唄いがあり、仕舞が始まる。

腰を低くして足の裏を全部地面につけ、なるべく離さないようにして人形のように歩く。

顔の動きも最低限で、歩いている、というより地面を滑る、ごく低いところを浮遊しているようにも見える。

ストーリーはさまざまだが、この世に未練のある者が想い余って現れ、成仏するまでを描いたタイプのものが多かった気がする。

人間の業、死んでも捨てきれない執着心、あの世とこの世の交感などがテーマのようだ。

しかし、始まって15分もすると、催眠術のように眠くなる。前から三列目で寝てしまっては祖母に気づかれる!と、思うのだが、我慢できない眠気。揺らぐリズムの掛け声と鳴り物のハーモニーに逆らえずいつもウトウトしてしまう。

本当に寝てしまう…と、いう絶妙のタイミングで鼓のいままでと違う「キン!」という音でギクッとして目を覚ます。

果たして舞台はクライマックスにさしかかっており、怨みを晴らしたり、何かと何かのせめぎ合いが繰り広げられている。

程なくして舞台はおしまいになるのだが、私は能の舞台はこの、ウトウト…がミソのような気がしてならない。

一応一生懸命観ている時は、ほんとうのことは何も見えていなくて、ウトウトして視界がぼやけ切ってきた一瞬、音楽、見るともなしに見ている演者、自分の意識がひとつのもやもやした雲のようになってなにか、別世界体験をもたらす。

恍惚としたところをビンタか鹿威しのように強制的に現実にもどされるのもなんとなく嫌じゃない。

クラゲのように皮一枚だけの動物になり自分と世界の境目が曖昧になる。

そのあとに現実が鮮明になる。

ロビーに出ると、来た時とは明らかに違っている。

はっきりと、充実した感じ。

足の裏を感じて、景色がくっきりと目に飛び込んでくる。

なかなかにSっ気の強い芸術だと思う。

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