兄から影響をうけた音楽を振り返り、兄が好きであることを改めて噛みしめる
兄が好きだ。
もう何万回も言ってきていることだけれど、何度でも言おう。兄が好きだ。学生時代には「俺が女なら結婚しているね」と周りに言っていたほどだ。今年で僕は30になるのだけれど、今でも2人で買い物やカラオケに普通に行く。
兄とは2歳違いで幼稚園から高校生になるまで6畳ほどの狭い部屋で相部屋だった。高校生になると二人とも身長180近くあったので、すし詰めの独房のような状態だった。エアコンもないから夏は地獄だった。
まあ、好きなものが横で生きていると考えると僕にとっては幸福なことだったのだけれど。
兄弟で趣味嗜好が似てくるというのはどこの家庭でもあるあるだと思う。もちろん僕もそれは同じで兄からの影響はかなり受けてきた。
その中でも音楽の趣味は特にそうだった。狭い部屋で音楽を流せば必然的に趣味が似てくる。今でもその当時の音楽を聴き続けているのだから、人生そのものに影響を与えてもらったといっても過言ではない。
小学生〜高校生くらいまではほとんど兄が聴いていた音楽を聴いていた。今日はそのあたりのこと(2000年代前半〜後半くらい)を時系列で振り返ってみたいと思う。
音楽との出会いは兄が買ってきたCD
今でもハッキリ覚えているのだけれど、初めて兄が買ってきたCDは19の足跡という曲だった。
なぜこの曲を兄が買ってきたのかはわからない。
兄が中学生になったばかりのときだったので、音楽が好きというよりCDを買っている自分が好きという青臭い感情があったのだと思う。
初めて兄が買ってきたCDに僕も興奮した。両親が持っているCDは家にもちろんあったけれど、自分たちのCDがあるという特別感は大人になったような甘美な高揚感があった。狭い二人部屋に足跡という曲が1日200回くらい延々とリピートされていた。
意味なんてわからないけれど歌詞カードを見て必死に曲を覚えたのもこれが初めてのことだった。
兄がCDを買ってくる前まででも音楽を聴く機会はもちろんあったが、それらは右耳から左耳に流れていくだけのただの音の塊だった。それが音楽というものに初めて変わったのが兄がCDを買ってきた瞬間だった。アーティストというものを意識するようになったのだ。
英歌詞との初めての遭遇に興奮する
初めて英語の曲に興味を持ったのは175Rの手紙というCDを兄が買ってきたときだ。
表題曲の手紙も好きだったのだけれど、カップリングのBAN ! BAN ! BANG !という曲を何度も聴いた。
もちろんこれも歌詞の意味なんてこれっぽっちもわかっていない。ただ、人生で初めて聴いた英歌詞の歌にただただ憧れとカッコよさに痺れた。
このあたりで自分の音楽の趣味は固まっていたのかもしれない。
人生で外せないBUMPとアジカン
そしてやっぱり自分の人生にかかせないバンドと言えばASIAN KUNG-FU GENERATIONとBUMP OF CHICKENの存在だ。
兄の友人が作ったMDにアジカンとBUMPが入っていたのが初めて聴いた瞬間だった。
2000年代の初期あたりはMDに好きな曲を入れてプレイリストを作るのが流行っていた。これを交換してみんなで音楽を共有していたのだ。
BUMPとアジカンだけは今でも最新のアルバムをチェックして、たまに兄と一緒にライブに行っている。MDをくれた兄の友人に感謝したい。
音楽の趣味は14〜16歳ごろに聴いたもので形成されるという統計がある。自分に照らし合わせるとたしかに当たっているかもしれないと実感する。
王道のJ-POPを聴きまくる中学生時代
中学生2年生くらいになると周りの友人とも音楽の話をするようになった。
Mr.Children、ポルノグラフティ、SMAP、RIP SLYME、KICK THE CAN CREW、オレンジレンジ……
周り友人の話題にもついていけるようにテレビなどで流れる王道のJ-POP曲を聴きまくった。
中学になると友人関係も増えてきて自我も芽生えてくるため、兄とは趣味嗜好もだんだんと離れていった。
……と思っていたが、高校という一歩先に進んだ世界へ行っていた兄がさらなる黒船をもたらした。
ELLEGARDENという名の黒船
兄がELLEGARDENのCDを家に持ってきたときは衝撃的だった。
中学生のときはテレビにでていないアーティスト=人気がないというのが自分の基準だった。そのためELLEGARDENという聞いたこともないグループのCDを借りてきたときには「高校に入って兄も変な趣味になってしまったな」と思った。
しかし、そんなものはアルバムの一曲目であるRed Hotを聴いたときにぶっ飛んだ。
こんなにカッコいい曲が世の中にあるのかと震えた。一発で好きになった。
あんなに衝動的に一瞬で曲を好きになることは人生ではもうありえないと断言できる。それくらい当時の僕にとってELLEGARDENは衝撃的だった。
ELLEGARDENを好きになったことでインディーズというものが世の中にあることを知った。自分の学校では誰も知らないけれど、他の世界では有名な人達がいるということを学んだ。
この記事を書いていてふと思いだ出したのだけれど、インディーズというものを知ったおかげでオムニバスアルバムを試しに借りて10-FEETというバンドを好きになるようなこともあった。(↑のCDを検索して見つけたときに感動した)
兄がいなかったらもしかしたら一生聴くことなどなかったかもしれない。
趣味が変わった中学後期〜高校時代
ELLEGARDENをきっかけに音楽の趣味も様変わりした。
andymori、The Mirraz、音速ライン、GOING STEADY、銀杏BOYZ、tacica、B-DASH、フジファブリック……
と、バンド形態の音楽を聴くことがほとんどになった。
これらもすべて兄の影響だった。高校に入った兄は交友関係が広がったこともあり、中学生の僕が知らないような音楽を多く輸入してきたのだ。自分で選んで聴いていたアーティストは数えるほどしかいない。
中学校で同じような趣味の友達がいなかったので「一歩先に進んでいる音楽を聴いてる俺かっけ〜」と思っていた節もあったのだと思う。
僕が高校生になると同じ音楽の趣味を持つ友達が何人もできた。中学と違って同じ趣味を持っている人が大勢いることに驚いた。
同じバンドが好きなことがわかると「え?お前もあのグループ好きなの?」と盛り上がることが多く、そこから仲良くなれた友達は何人もいる。兄から音楽の影響を受けていて本当によかった。
そして兄はいなくなりオタクへ
兄が家を出ていって音楽の趣味を共有しなくなったこともあるのか、僕の趣味はここから大幅にドライブすることになる。
今まで好きだった音楽ももちろん聴いていたが僕はAKBにドハマリしていった。そして現在に至るまで乃木坂、日向坂、でんぱ組などアイドル関連の曲を聴くようになっていく。
さらに大学生の頃はニコニコのボカロ文化にどっぷりと浸かり、兄とはまったく違う趣味が全開になっていった。
これを書きながら思い返してみると、兄が一人暮らしを始めてからが僕の趣味が変わっていく起点だったのかもしれないなと気づいた。それくらい僕にとっては兄が指針だったのだ。
大人になっても音楽の話をするときは学生時代と変わらない
20代前半くらいのときに「もっとクラシックとか洋楽とか聴いておけばよかったなぁ。俺の音楽の趣味ってダサいよな…」と悩んだことがある。音楽への教養のなさに恥を覚えた。
しかし、今はそんなことは微塵も思わない。
同じ音楽の趣味であるからこそ今でも兄と一緒にライブに生き、二人で夏フェスに行くこともある。兄に会えば「あの曲が最近よかった」「この曲知ってる?」と中学生のときと変わらない会話をする。
兄から影響を受けたことによって、今でも兄と仲良くできている。
音楽の趣味がダサかろうが、中学生のときと聴いている曲が変わってなかろううがそれでいいのだ。
30歳になってもこういった関係でいられるのはあの狭い部屋で趣味を共有してきたことであり、まぎれもなく音楽と兄のおかげだ。
こうやって記事を書いて過去を思い返してみてもやっぱり変わることはない。僕は兄が好きなのである。
余談なのだけれど、ここ数年でなによりも驚きだったのが、1年ほど前くらいから兄が日向坂にどっぷりとハマったことだった。僕が布教したというのは一切なく気づいたらハマっていた。
僕はもともとアイドルが好きだったので日向坂にハマるのは必然であった。しかし、兄はアイドルなどまったく興味がないタイプだったため、ハマっていると聞いたときには驚いた。
兄にとって日向坂との出会いは、僕がELLEGARDENと出会ったのと同じ衝撃があったのかもしれない。
気づいたら同じものを好きになっているのだから兄弟の血ってすごい。
ただ、これは僕にとっては歓喜するような出来事であった。なぜならさらに兄と共通の趣味ができたのだ。最高だ。やっぱり兄が好きだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?