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右と左が解らない

 物心がつくまで私は右と左の区別がつかなかった。「右手上~げて、左手上~げて。右手下げないで、左手下げる」というゲームをしようにもどちらが右手でどちらが左手なのか分からないから私はバンザイを繰り返した。「右手上~げて」バンザイ。「左手上~げて」バンザイキープ。「右手下げないで、左手下げる」バンザイ終わり。3回ほど両腕の往復運動を繰り返した後。幼稚園の先生は呆れたように「春子ちゃん、バンザイは嬉しい時にするのよ」と言った。私だって好きでやってるんじゃないと先生を睨みつけて目の奥を燃やしたかったが、ぐっとこらえて「あはは~そうですよね~」と作り笑いを浮かべた。

 母も少し危機感を覚えたようで、私が幼稚園から帰って来るなり毎日のように左右の区別の仕方をレクチャーした。

「春子。お箸を持つ方が右手で、お茶碗を持つ方が左手なのよ」
 私はテレビをつけて、グルメ番組に出演している芸能人(左利き)を指差し、「あの人は反対に持ってるじゃん」と言った。

「春子。ピザって10回言ってみて」
「ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ」
「じゃあここは?」母はひじを指差した。
「ひじ」
「ブー、答えは右ひじよ」
「お母さん、楽しくない」

「春子。こっちの手とこっちの手どっちの方が文字を書きやすい?」
 私は「うーん、こっちかなあ...」と右手を出した。
「反対だとグニャグニャしちゃうし」
「そう。だからね、春子にとって文字を書きやすい方が右手で書きにくい方が左手。分かった?」
 ハッとした。そうか、両方の手を同じような心地で使うことはできないのか。私はじーっと両手を見つめた。そして思った。「これは神様が人間を作った時のバグなんじゃないか」と。「じゃあ神を超えてやる」。
 私は神に反抗心を燃やして、それから一週間寝る間も惜しんで左手で文字を書き続けた。『い』も『こ』も『ん』も真っすぐに書けない。悔しい。なぜか『ぬ』の方が書きやすかった。「ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」。ダメだダメだ『ぬ』ばっかり書いてしまう。「いこんいこんいこんいこんいこんいこんいこんいこんいこんいこんいこんいこん」。
 大学ノートを7冊費やして左手でもスムーズに文字を書けるようになった。その字は右手で書いた時よりもはるかに気高く雄々しく美しかった。
「お母さん! こっちの手でも書けるようになったよ!」
 母は最初何のことだか分からなかったようでしばし私の顔を見つめ、そしてはーっと大きなため息をついた。
 私が高々と掲げた左手は鉛筆の芯がこすれて真っ黒になっていたが、手の脂と馴染んで鈍く光っていた。神様からメダルを貰ったような気分だった。「おめでとう、これから君は超神だ」。

 小学校に上がった頃にようやく左右の区別がついた。
 しかし私は今でも右と左を間違える。会社の車を運転して取引先に向かう時、「次の信号左ねー」と上司が言う。「はい、承知です」と軽く答える。そのまま右折レーンに突入する。「おい!」と上司から叱責の声が飛ぶが、「すみません、右と左が一瞬分からなくなっちゃいました。あはは」と答えるわけにもいかないので、「目の前にヨボヨボの猫が飛び出してきたんで避けちゃいました」と言う。上司は「そっかヨボヨボだったら仕方ないか」と納得する。

 今でも咄嗟に右と左が分からなくなってしまうのは、私に左右をレクチャーをしていた時の、母の熱っぽい荒い鼻息が顔にかかる感覚を鮮明に覚えているからだろうか。

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