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書籍紹介『科学から理解する 自閉スペクトラム症の感覚世界』

『科学から理解する 自閉スペクトラム症の感覚世界(井手正和)』という本の紹介です。

以前、別の記事で感覚過敏あるいは感覚鈍麻について紹介しました。

この本は感覚過敏/感覚鈍麻について科学的な立場から検証し、それが本人のわがままではなく脳の特性としてそうあるものなのだということを丁寧に教えてくれる本です。

スペクトラム=連続している=「自分もそうだからわかる」ではない

かつて僕が障がいについて学びはじめた頃、自閉症と高機能自閉症とアスペルガー症候群、あるいは広汎性発達障がいは別の障がいととらえられていました。

(画像は北九州発達障害者支援センターつばさより)

(画像はNHKより)

それが米国精神医学学会が「精神障害と診断の統計マニュアル」であるDSMー5を発表した2013年から、それらを包括する自閉スペクトラム症(もしくは自閉症スペクトラム障がい)という用語が使われるようになりました。

(画像はLITALICOワークスより)

スペクトラムというのは光や音などの「連続体」という意味の言葉です。自閉症やアスペルガー症候群などの広汎性発達障害にあらわれる状態が、それぞれ独立したものではなく、連続しているものである、ということからスペクトラムと表記されています。ASD(自閉スペクトラム症)の特性は健常者や定型発達者と呼ばれる誰しもに多かれ少なかれあり、その濃さがグラデーションのように異なるという考え方です。

(画像はFelienより)

このようにASDを単純化することは、ASDの感覚をイメージしやすくなる面や誰しもに困難さがあるといった理解に繋がる面もあるかと思います。しかし、当事者の抱える困難さが「私もそうだからわかる」と一般化され、軽視されてしまう危険性もあります。

 このような単純化したASDの定義は、わかりやすいがゆえに広まりやすいことを感じますが、私自身はこのことにやや懸念もあります。というのも、定型発達者とASD者の連続性を強調しすぎると、当事者の抱える問題の深刻さが軽くみられることがあるからです。当事者の訴えに対して、周囲の人が共感する意味合いで「自分もそうだからわかる」と発言することがありますが、こうした共感が信頼関係の上でポジティブにはたらくこともあれば、信頼関係ができる前では「訴えが軽んじられた」と感じられ、かえってネガティブにはたらくこともあります。
 それゆえに、診断も研究も、「ASD者となこういうもの」という型を提案するというより、個別性が大きいものとして個人個人の症状の表れの違いにこそ目を向けることが必要だと考えます。

序章 なぜ、いま自閉スペクトラム症の「感覚」なのか?より

後で紹介するように一人の中に感覚過敏と感覚鈍麻が共存することもあり得ますし、そもそも自分以外の感覚や認知を具体的にイメージし、理解するのは難しいのかもしれませんが、感覚は一人ひとり異なるものだという前提は忘れないようにしたいと思います。

変わる自閉症の診断基準

またまた昔の話ですが、僕が働きはじめた2000年代後半には、自閉症の特性としてウイングの3つ組、社会性の特性・コミュニケーションの特性・イマジネーションの特性の3つを学びました。

(画像は発達障害支援アドバイザー協会より)

当時の国際的な診断基準であるDSM-Ⅳでは、「①対人的相互反応における質的な障害、②意思伝達の質的な障害、③行動、興味および、活動の限定され、反復的で常同的な様式」の3つが挙げられていました。

それがDSM-5では、先ほど説明したようにいくつかのカテゴリーがASD、自閉スペクトラム症として統合されました。

(画像はSYNODOSより)

また診断基準も「A:複数の状況で社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的な欠陥、B:限定された反復する様式の行動、興味、活動」に変更され、Bの下位カテゴリーに「感覚入力に対する敏感性あるいは鈍感性、あるいは感覚に関する環境に対する普通以上の関心」が追加されました。

つまり、現在は感覚過敏/鈍麻がASDの診断基準の1つとなっているのです。このことからも感覚過敏/鈍麻への関心の高まりがわかるかもしれませんね。実際に実験心理学や神経科学分野での論文も増えているようです。

アップデートされる自閉スペクトラム症者の感覚処理特性

当然ですがASDの感覚処理特性についての理解も脳科学の発展とともにアップデートされています。ここでは本で紹介されていたいくつかを紹介します。

(1)弱い中枢性統合理論(WCC)

騙し絵テストに引っかかりにくい、錯視が生じにくいというASD者の特性があります。これは僕自身も子どもたちとの関わりの中で経験したことがあります。

エビングハウス錯視:左右の中心にあるオレンジ色の円は同じ大きさだが、左の方が小さく見える

(画像はWikipediaより)

ミュラー・リヤー錯視:①②③どの横線も長さは同じだが長さが異なるように見える

(画像はMenicon Miruより)

これは定型発達者が細部の処理(階層的に下位)をおろそかにして全体の構造(階層的に上位)を優先するのに対して、ASD者は細部の処理を優先し、全体の処理をおろそかにしがちになるという特性の違いからくるものです。

WCC(弱い中枢性統合理論)では、以上のようにASD者が外界の部分的側面に関する処理の優位があり、またその場合の知覚に関しては定型発達者と比べてむしろ優れている点があることに注目します。こうした優位性は、ASD者でしばしばみられる数字や図形の規則的なパターンを好むような特徴と結びついている可能性が推察されます。一方で、細部の情報が組み合わさってできる全体像を捉えることは定型発達者と比べて苦手で、細部と全体の情報処理の正確性と効率性にアンバランスがあると考えます。

第2章 自閉スペクトラム症者の感覚の特徴より

(2)知覚機能亢進仮説(EPF)

Navon図形を用いて、小さな部分の文字であっても、全体の文字であっても特定のアルファベット(例えばA)が出てきたらボタンを押すという実験を行います。

Navon図形

(画像はお悩み手帳より)

結果は、WWCの仮説の通り、定型発達者では(全体像を捉えることに優位があるため)小さな文字がでる条件で解答ミスが多く、ASD者では(細部の情報処理に優位があるため)まとまりとしての文字がでる条件で解答ミスが多かったそうです。

ただし、小さな文字と大きな文字のどちらを答えるのかという指示があれば、両者の差異は無くなったそうです。

EPFでも、階層構造の細部の処理に優位性がみられるという点ではWCCと共通しているものの、その代償で全体の処理が損なわれるのではなく、全体の情報に注意を向けるように指示を行った場合には、定型発達者と変わらない機能を有していると考えます。ちがいはあくまで、刺激の細部と全体という階層構造において、どの段階の処理を優先しているかであり、苦手とされる全体の処理に関しても注意を振り分ける指示によって、定型発達者とのちがいが補われると主張しています。

第2章 自閉スペクトラム症者の感覚の特徴より

このことから事前に注意を向けるべきポイントを伝えておくことが大切なのだと再確認しました。

(3)外部空間の捉え方の特徴

私たちは、自分と外部に存在する人・物との空間的な関係性を捉える場合には「自己中心(エゴセントリック座標)」を、外部の人・物とその他の外部の人・物との空間的な関係性を捉える場合には「他者中心(アロセントリック)座標」を脳の中で利用しています。

(画像はnoteより)

実験の詳細は井出先生のnote記事にまとめられていますが、ASD者は定型発達者とくらべてアロセントリック座標を苦手とし、エゴセントリック座標を利用しがちな傾向があるそうです。

このことが、真っ直ぐ線を描く、枠の中に文字を書く、的に向かってボールを投げるなどの運動をASD者が苦手とすることに繋がっているかもしれません。

このような定型発達者とASD者との情報処理特性の違いを知っていくと、以前別の記事で紹介したニューロダイバーシティが思い浮かんできます。

井出先生も繰り返し言われていますが、どちらが正常/異常や優れている/劣っているではなく、脳の特性として得意のする領域やリソースの配分に違いがあるというだけなのです。

高い知覚精度と感覚過敏の結びつき

このように定型発達者とASD者では、ぼんやりと全体に注意を薄く広く分散させて探る「並列処理」と、狭い範囲に高い注意力を集中させて1つずつ探っていく「逐次処理」という異なる方略を優先して使用する傾向があります。

ただASD者の高い処理精度は膨大な量の情報を処理する負担が大きいことか推測されます。またその処理の特性上、定型発達者のように無関係な情報を自動的に抑制することが苦手であり、それらがASD者の感覚過敏に結びついている可能性があります。

本を読んでぜひ詳細まで確認していただければと思うのですが、研究を通して以下のようなASD者の特性が紹介されています。

  • 閾値が低く、定型発達者に比べてより小さな振動(触覚刺激)に気づくことができる。

  • 温度刺激では、わずかな温度の上昇/低下でも痛みを感じる。

  • 繰り返し刺激を提示しても精度が変わらない(刺激に対して慣れにくい)。

  • 視覚的な細かな差や図の移動(ズレ)を判別することができる。

  • 部分的な情報を手掛かりに全体像を構築するとともに、記憶と照合することによって全体像の想起をサポートするトップダウン処理に苦手が見られる。

  • 高次の運動情報処理、複雑な身体の運動パターンの処理に関して苦手がある。

  • 音の周波数や音圧の細かな違いを高い精度で見つけ出せる。

  • 高い時間分解能の感覚があり、それが知覚印象強度の高まりにつながっている可能性がある。

  • 不安が時間分解能を高め、感覚過敏を強めるという推測がある。

この中でも刺激に対して慣れにくいといく特徴は、定型発達者が「自分と同じように経験を重ねれば慣れるのだ」という誤解とASD者への被害を防ぐためにも広く知られておくべきだと思います。

合わせて体調不良や発表などの不安によって感覚過敏が強まるかもしれないということを当事者や周囲の人が知っておくことは、過敏の原因となる物事へと配慮や回避といったサポートに結びつきます。

また第6章で紹介されていた、「時間的荷重が感覚過敏な背景にあるのではないか」という仮説に基づく井出先生たちの検証の取り組みは、まるで推理小説を読んでいるような気持ちになりました。

各々の内容については本の中でどのような実験があり、その結果からどのようなことが推測されるのかが丁寧に解説されていますのでぜひ読んで確かめてください。

個人内における感覚過敏と感覚鈍麻の共存

様々な研究を通してASD者には感覚過敏と感覚鈍麻の両方が同一個人に存在しえることが明らかになっています。

(画像はkaienより)

このことは、感覚過敏がある一方で鈍麻があるという一見矛盾する特徴によって周囲から本人の勘違いやワガママであると決めつけてしまうことを防ぐ意味で大事な知見になります。

過敏の訴えがあるお子さんが、一方で刺激に対する反応が鈍い側面がみられたとしても、過敏の訴えは本人のワガママであったわけではなく、過敏でも鈍麻でもないほどよく安定した感覚の状態を維持することに難しさがあると理解していただけたらと思います。

またASD者の感覚過敏や感覚鈍麻の特徴の表れ方のパターンは個人個人で多様であるということも忘れてはいけません。「ASD者だからこうだ」と一概に決めたつけることも適切ではないのです。

まとめ

感覚に関しては個人差が大きい一方で、他者の感覚を体験することは難しくどうしても自分自身の感覚を基準にして考えてしまいます。

残念なことですが、感覚過敏は本人の甘えやワガママだという考え方はまだまだ根強くあります。

ただ本書のように科学的な手法で根拠をもって説明されることや、本書にもあるようにASD当事者の方の話を聞く、知ることで少しでも自分自身の感覚に囚われている自分に気づくことができるかもしれません。多様な感覚の世界に気づくことができるかもしれません。

ASDという名前に含まれる"スペクトラム"という言葉は、濃淡のある多様な特性が重なり合って一人の当事者の像を形成しているということを表していて、上記のような1つの軸上の連続性だけで捉えられるものではありません。感覚の特性について考えても、刺激を知覚する閾値の個人差、刺激によって引き起こされる神経活動を調整する個人差、それに対して情動的に反応する個人差など様々な個人差が想定されます。

第8章 今後の科学的研究の展望より

定型発達者とは異なるASDに由来する知覚認知の特徴が感覚過敏や感覚過敏となって適応を困難にし、障がいとして扱われる背景には、現在の社会が多数派の定型発達者のために設計されていることがあります。

当事者にとって、学校生活で急に鳴り出すチャイムの音はあまりに強烈で、道路に設置されたLEDの光は眩しすぎ、肌に触れる洋服の縫い目は痛みを感じさせます。こうした苦痛を取り除くために、当事者たちは外部と自分を遮断するしかありません。個々人が工夫して、イヤーマフやサングラスを着用したり、縫い目をほどいたり接触を避けるようにしたりすることで、多数派に合わせて設計された社会の中、なんとか生活していきます。ASD者は、そのようか状況の中、他の人と同じ水準で物事をこなしていくことが求められているのです。

第8章 今後の科学的研究の展望より

多くの人がその違いを認知することができれば、社会の在り方も変わってくるのかもしれません。

そんな社会の変化のためにも、ぜひ多くの人に読んでほしい本です。

気になった方はぜひ手に取ってみてください。

著者の井出先生は、Twitterやnoteでも情報を発信されています。そちらもぜひ覗いてみてください。noteにはこの本にもあった感覚に関する様々な記事がありましたよ。

本の表紙と裏表紙の絵や感覚過敏についてのイラストを描いたチアキさん(ぷるすあるは)が感覚過敏と鈍麻について紹介しているサイトです。絵本『発達凸凹なボクの世界─感覚過敏を探検する─』もおすすめですよー。



表紙はAmazon.co.jpより引用した本の表紙画像です。