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紙問題


紙だらけのICT担当

 学校には紙がたくさんあります。そして、その「紙問題」を制しないと働き方改革は遠のいてしまいます。

 僕の校務分掌は激務といわれる「ICT担当」です。この仕事が激務だと言われる所以は、その「事務連絡の多さ」に起因すると思っています。GIGAスクール構想でいきなり導入されたタブレット端末ですが、その運用方法や管理方法は確立されないまま、行き当たりばったりの対応が迫られています。えんぴつやノートと違って、タブレット端末は故障しますし、簡単に取り替えられませんからね。このあたりのことを全く考えていなかったとしか思えないような後手後手の対応を、その事務連絡の多さが物語っています。

 年度はじめはそのような事務連絡が1日に4つも5つもあって、どれも読みきれないので、題名だけ確認してあとはファイリングという有様でした。まあ、僕だってICTのことだけ考えているわけにはいきませんからね。本職である学級担任だって年度はじめは大変です。

とある研修会にて明かされる衝撃事実

 そんな状態なので、あるときの研修会で「どうしてこんなに事務連絡が多いのですか。現場の人間は読みきれず、大切な連絡を読み飛ばしてしまいます。」と質問したことがありました。その回答は「ICT担当の部署が4つあり、そのそれぞれが必要と感じる連絡を出しているから」だと答えられたときに腑に落ちました。端末管理やら情報モラルやら効果的な実践やら故障対応やら、委員会は部署を分けて対応しているのに、現場ではそれを「ICT担当が一人」でこなしているのだから、それは激務になるよなと。

 まあ、そういうことですので、僕の机の上は紙だらけになるわけです。ICT担当になった初年度こそ、そのすべてをファイリングしていたわけですけど、三ヶ月も経つとファイルがいっぱいになってしまいました。 

ファイリングの弱点

 ファイリングの弱点をご存知でしょうか。それは「検索機能が無い」ということです。「紙に残す」という発明は古来より「書記」として残っていますが、それを「目録化」して「検索できる」ようにしたという点で、古代シュメール人は優れていると歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』(河出書房新社 p165)で述べています。

 つまり、ただファイリングをしているだけというのは「膨大な検索コストの支払い」を引き受けていることになります。紙の山を前にして佇むような時間は我々にはありません。そこで、僕は決心しました。「必要そうなものは残す」、「不要そうなものは捨てる」と。

 この判断に合理的根拠はありません。「ただの勘」です。でも、その勘は少しずつ正確になってくるのです。それは「1年間仕事を通してやる」とかなり身につきます。つまり、1年間の中で「探した書類」こそ「必要な書類」であり、それ以外は「ゴミ」なのです。もちろん、「大切な書類を捨ててしまうリスク」はあります。でも、それは「大切な書類をゴミの山から見つけ出せないリスク」と相殺できるのではないでしょうか。


「お泊まりテスト」してませんか

 次の紙は「テスト」です。プリントの話は前にしましたので、今回はテストの話。僕はプリントをほとんど使いませんが、テストをしないわけにはいきません。でも、テストは「その日のうちに返却」を意識しています。

 放課後の教室を覗くとテストの丸つけをしている先生が多くいることに気づきます。しかし、これらのテストが返されるのは最短でも翌日、ひどいときには1週間後という先生もいるみたいです。そのようなテストを僕は「お泊まりプリント」と呼んでいます。そして、お泊まりプリントには「学習効果がほとんどない」という問題点を孕んでいるのです。

 テストの学習効果はどこにあるでしょうか。それは「わかっていると勘違いしている点をあぶり出す」という点にあると僕は考えています。子どもはすぐに「わかったつもり」になります。特に説明が上手な先生の授業を受けたあとは顕著です。でも、すぐに理解できたつもりになったことは、同じくらいすぐに忘れてしまうものです。そこでテストをするのですね。すると、わかっていると思っていたところが、別の角度から問われると、やはりわからないということが起きる。

 これは逆の立場からも言えます。つまり、教師側が「教えたつもり」になっているところが、子どもたちには実は伝わっていなかったというすれ違いです。テストはこのように教師側の「教えたつもり」と、子ども側の「わかったつもり」のすれ違いを補正してくれる役割があるのです。

テストの「おみくじ」化

 しかし、お泊りプリントには、返却までに時間がかかる。その間に、子どもたちはテストを受けたことさえ忘れてしまっているでしょう。子どもたちは「いま、ここ」を生きていますから。これでは、せっかく授業時間を使って行ったテストも、もったいない結果になってしまいます。子どもたちは返されたテストの「点数」ばかりに着目して「あー、60点かー」とか「やったー、100点だー」とか一通り反応してファイルにしまっておしまい。これを僕は「テストのおみくじ化」と呼んでいます。おみくじの結果に原因の考察はありませんよね。お泊まりテストから学習効果が抜け落ちてしまった結果、それはおみくじと同等になってしまうのです。

 では、テストの返却はいつしたらいいでしょうか。僕は「その時間内の返却」を目指しています。テストは選抜の装置ではありません。だから、全員に平等に40分の解答時間を与える必要はありません。10分で終わる子も30分で終わる子もいますが、それでいいのです。終わったら、提出しておしまい。教師は提出されたテストからどんどん丸つけを始める。すると、最後の子が提出したすぐあとにはすべての子の採点が終わります。あとは、それを転記して返却するという流れです。慣れてくれば、その時間内の返却も十分に可能です。

テストの学習効果

 これのメリットは「テストの学習効果の最大化」です。もちろん、子どもたちは相変わらず点数に意識がいっています。でも、しばらくすると、間違いにも目を向けるようになります。だって、さっき終わったそのテストの、その問題がどうしてもわからなくて悔しかったからですね。アメリカの心理学者のスキナーという人が「プログラム学習」という考え方を提唱しています(プログラミング学習とは別物です)。その中に「即時応答」というのがあります。子どもはその場で成否を知りたがるものです。その気持ちに答えるのが、テストの「その時間内の返却」なのです。

  ちなみに、丸つけにもコツがあります。それは、「間違いにだけチェック」と「全問正解に花丸」という方法です。テストにおいて「できた問題」の価値はあまりありません。むしろ、間違いに着目して欲しいからこそ、この方法にしています。つまり、「丸だらけのテストから、間違いを見つける」のは難しいということです。この場合、「丸がノイズ」になるのです。できた問題に「丸」をつけることで認めたいという信念があればしてあげたらいいです。要は、何を大切にしているかという話なのです。