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教室を華美に飾る必要性

 僕は「余分な教室掲示」が嫌いです。そこに教育的意義を感じないからです。もちろん、そこに大きな意味を感じる先生もいるので、どちらかが正解という話ではないのです。これが教育談義のおもしろいところでもあるので、僕の意見も一意見として聞き流してもらって結構です。


 「余分な教室掲示」の定義からしたいと思います。まず、教室掲示それ自体は必要です。例えば、時間割はあったほうがいいでしょう。一週間の約30コマをすべて覚える必要はありません。当番表や係活動の一覧も掲示しておきたいですね。無いと毎日の活動が困ること必須です。それ以外はどうでしょうか。「無いと学習活動に支障が出るもの」それを「教室掲示」と呼び、それ以外の掲示物を「余分な掲示物」と定義しましょう。僕は後者の「余分な掲示物」が嫌いなのです。


 そもそも教室をどうして飾る必要があるのでしょうか。例えば、季節の飾りを丁寧に飾っているクラスは割と多くあります。4月には桜、10月にはお月見、12月にはサンタさんなどです。「文化の伝承」という側面はあるのかもしれません。たしかに、息子や娘の保育園にお迎えにいくと、玄関から保育室までどこもかしこも「余分な掲示物」があります。いや、もしかしたらそれらは保育活動に必要なのかもしれません。それならば、それは「余分な」ものではなくて必要な掲示物です。では、小学校ではどうでしょうか。「文化の伝承」は各教科の指導内容で達成したらいいと思っています。教室掲示であえて掲示する必要性を僕は感じません。


 教室の雰囲気が明るくなるという意見があるかもしれません。でも、これは完全に個人の好みの話です。たとえば、僕は「余分な掲示物」であふれる所謂ガチャガチャした教室は苦手です。目がチカチカするのです。例えば子どもの特性を考えたときにも、落ち着いた活動をするときにガチャガチャした掲示物のせいで活動に集中できないということもあるかもしれません。殺風景な部屋のせいで楽しく活動できないというパターンがあるかどうかはわかりませんが、少なくとも僕はそんな事例を聞いたことがありません。


 そもそも教室を飾るための時間がかかります。画用紙などでゼロから作る場合もあるでしょうし、毎年使っている作り置きの季節ごとの掲示物もあるでしょうが、いずれにしても作ったり貼ったりという時間がかかります。これまでも何度も述べている通り、我々小学校教員には「時間がありません」。休憩時間もまともに取れない、毎日残業必至の業務内容の中で「個人の趣味」にもなりかねない「余分な掲示物」に時間を割く余裕があるのでしょうか。もちろんこれらの活動は「個人の趣味」みたいなものなので、それ以上は僕の口からは言えませんが。


 学校によっては「学年の掲示物は揃えよう」という教育実践があります。僕の知り合いの小学校教員にも、実際、そのような実践に困らされた教員がいます。三クラスの内の一クラスの教員が定時に必ず帰る教員で、掲示物を作らずに帰るそうです。これには何も問題がないはずなのですが、学校ルールで「学年の掲示物は揃えよう」というものがあるので、仕方なく残った教員二人で三クラス分の掲示物を作成し続けたみたいです。「学年の掲示物は揃えよう」にどんな意図があるのかは定かではありません。「足並みを揃えたがる」のは学校の悪しき文化の一つです。でも、「教育的意義」がないような「余分な掲示物」に自分の労働時間が奪われるのは悔しいだろうなと僕は想像します。
 
【めがね旦那ならどーする?】
 僕のクラスは他のクラスと比べると殺風景だと言われます。でも、僕のクラスが他のクラスと比べて子どもたちに元気が無いとはやはり思えません。はじめに書いたとおり、そこに教育的意義を見出している先生もいらっしゃるだろうと思います。実際、教室の掲示物に関する書物も数多く出版されています。


 例えば、理科の学習をするときに「こんちゅうの身体の仕組み」についての掲示物は貼ります。でも、理科の学習が終われば外します。同じように社会科の年表も学習をしている間は掲示することもあります。算数でかけ算の筆算を扱えば、九九表は拡大して掲示しますし、必要な子どもにはミニ九九表を個別に配ります。いずれも「学習に必要である」から掲示します。


 教室背面には「図画工作科の作品」を掲示するのも一般的かもしれませんが、僕はしません。図画工作科で作品を作れば必ず、図画工作科の時間の中で「鑑賞会」を開きます。そこで子どもたちは相互に鑑賞しているので、教室背面に掲示する必要が無いのです。保護者のために飾るという意見も出てくるでしょうが、作品自体は一年間の最後に返却するものですし、このあたりの必要性は「個人の価値観」になってきそうです。たとえば、僕は絵が苦手な子どもでしたので、飾られるのは嫌でしたが、絵が得意な子は飾られたいのでしょう。どちらの子どもの気持ちを優先するかは教員に委ねられているので、「必ず図画工作科の作品は掲示するものだ」という考えには縛られずに考えてもらえたらと思います。