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学習評価について

相対的評価を加味した絶対評価

 現在の小学校の評価は「絶対評価」で運用されいているはずです。絶対評価とは到達していると判断できるポイントが決められていて、そこに到達できたものは等しく同じ評価がなされるというものです。つまり、構造上は「全員がA評価」ということもありえます。

 それに対して「相対評価」とは、クラスの上から何割がA、下から何割がC、残りがBといったように、予め各評価の目安となる人数が決められているものを言います。これだと、どれだけがんばったとしても「全員がA評価」ということはあり得ません。

 さて、絶対評価で運用されているはずの小学校の評価ですが、実情は完全なる絶対評価ではないという学校もあります。どういうことか説明したいと思います。

 まず絶対評価で運用するためには「到達していると判断できるポイント」をしっかりと設定しないといけません。でも、これがとてもむずかしいのです。文部科学省が示す学習指導要領には、目指すべき目標については「ざっくりとした表現」しか書かれていませんので、ここに書かれている文言をそのまま採用するのは難しそうです。

 では、各単元の到達目標をすべて各学校で設定するのかと言えば、それは大変な労力になります。もちろんそれを大変な思いをして、すべて設定している学校も数多くあることを知っているのですが、やはりすべての学校でそれをするのは難しいでしょう。小学校教員が教えている教科の数は10教科近くあるのですから。

 そうなると、もうすこし「わかりやすい」評価基準を設定することになります。子どもや保護者や管理職や同僚など、誰もがある程度納得できる客観性の高い評価基準。それは「テストの点数」くらいしかなくなってしまうでしょう。これならば「○点以上はA、○点以下はC、残りはB」と機械的に評価することができるし、子どもや保護者から評価の根拠を聞かれたときにも主観性をある程度排除した、納得感のある客観的基準を説明することができます。

 ちなみに、子どもや保護者にとって、「教員への信頼が損なわれる場面」とはどんな場面かわかりますか。それは「成績内容に納得できない」ときです。「あの子だけ特別扱いされている」とか「私はこんなにがんばったのに評価してもらえない」というのは、子どもや保護者からしたら学校に裏切られたような感情を抱いてしまうでしょう。だから、評価というのは、なるべく主観性を排除した上で、客観的な指標が求められるのです。

 ただし、この評価基準の場合、テストの難易度や教員の指導力や学級集団の学力によっては「全員がA評価」ということもあり得てしまいます。それが絶対評価の特徴でもあるのですが、そうなると今度は別の問題が発生します。それは「評価基準の設定が適切だったのかどうか」という問題です。

 つまり「全員がA評価」の場合、「評価基準が低過ぎた」ということにもなります。誰もがA評価をもらえるような評価基準ならば、そもそも評価をする必要性も無さそうです。

 さて、ここまで説明すると納得してもらえたと思いますが「絶対評価」の運用というのは非常に難しいのです。これが算数科など一教科だけならば、まだ何とかなるかもしれません。しかし、繰り返しますが、小学校は教科担任制ではなくて学級担任制であり、一人の先生が教え評価する教科は10教科近くあります。これを一人でしていくことは非現実的ですし、組織で動くには、組織を動かせる器量と、絶対評価を現実的に運用するための知識を持った方が必要になります(現場にはあまりいない)。そうなると残された道は「相対評価を加味した絶対評価」となるのです。これについて説明しましょう。

 小学校の評価は絶対評価でなくてはなりません。しかし、その運用には困難な点がいくつもあるという話をこれまでしてきました。そこで苦肉の策として生まれたのが「相対評価を加味した絶対評価」というものです。

 絶対評価を運用すると、A評価の人数に違いが出てきてしまいます。すると、保護者からこのような指摘が出てきます。

「私の子どものクラスは、隣のクラスと比べてAの人数が少なくありませんか」

 こう言われてしまうと学校は困ってしまいます。学級集団によって学力は異なるし、教員の能力も異なります。だから、A評価の人数が違うことも何も不自然では無いのですが、クラスや先生を選べないという前提があるのならば、なるべく「平等」でないと納得できないというのが保護者感情でしょう(これは足並みを揃える文化ということで後述します)。

 そうなると、クラス毎のA評価の人数を「相対的に揃える」方が「平等だろう」となるわけです。ただ、先程も述べたとおり、学級集団や教員の能力の差異があることも事実なので、「明確な相対評価」というよりはその数の「プラマイ3人」くらいの運用になるわけです。

 この「プラマイ3」や「相対評価」での運用に関することは、「絶対評価で評価を運用している」という小学校教育の前提を覆すことになってしまうので、管理職レベルから職務命令として発することはできません。しかし、現場の職員も完全なる絶対評価での運用に不安を持っています。さらに、学年によっては「うちは絶対評価でやりますよ」と言う学年が出てきて、その学年だけが、先程の「全員がA評価」となった場合に、やはり説明責任を求められてしまうのは管理職です。だから、学校としては足並みを揃えるということになるのです。非公式なアナウンスとして「本校は相対評価を加味した絶対評価で運用します」ということがなされてしまうわけです。

 保護者に成績や評価について納得してもらうために学校が苦心しているエネルギーを、子どもたちのより良い教育のために注げないものでしょうか。