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授業の始め方と終わり方 ~パンクチュアルな態度は信頼を生む~


日本人は「パンクチュアル」である

 パンクチュアルという言葉の意味を知っていますか。これは「時間に正確」という意味です。このパンクチュアルな姿勢というのが、日本人の誇るべき特徴であると何かの文献で読んで以来、僕は時間を守ろうと心に決めています。

しかし、学校の先生はNOT「パンクチュアル」?!

 それにしても、学校の先生というのは時間にルーズだなと感じます。会議の時間になっても集まらないこともよくあります。忙しいのだろうとは思いますが、それはお互い様です。忙しい中でパンクチュアルな行動を取っている先生もいるということを忘れてはいけません。

「遅刻をするということは誰かの時間を奪っていることである」

 このように言われると、決められた時間に遅刻をしてしまうことの意味を見直すことのできる先生は少しは増えるのかなといつも考えています。

 授業をしっかりと終わらない先生も多いなと感じます。我々は子どもたちを「社会を支える市民」へと育てる使命を負っています。そんな人が時間を守れないなんてちゃんちゃらおかしいのです。

 先生側にも言い分があるのでしょう。「ここまで教えておけば授業の区切りがいい」とか「そもそも休み時間が終わっても運動場から帰ってこない子のせいで授業が遅れたのだ」とかですね。これらは、よくわかる言い分なのですが、やはり子どもたちには理解してもらえないでしょう。だって、授業時間が45分もあるのに対して休み時間は10分程度しか無いのです。それだけでも子どもたちは不服なのに、先生はその「10分しか無い休み時間」を「さらに削ってしまう」と言うのです。僕が子どもでも理不尽に感じてしまいます。

授業の終わりは「チャイム」です

 授業はチャイムが鳴ればきっちりと終わりましょう。先生の都合で延長した授業部分には残念ながら「学習効果」は皆無です。子どもたちの意識はチャイムによって切り替わっています。よく気持ちの切り替えのために「礼」をすると信じている先生がいますが、これは間違いです。子どもたちの気持ちはチャイムによって完全に切り替わっています(これは授業終わりの場合のみですが)。

 そして先生がパンクチュアルな姿勢を子どもたちへ真摯に示し続けることの教育効果は、先生が時間を破り続けることよりも大きな教育効果となって返ってくるはずです。それは子どもたちの「信頼」です。みなさんも時間を守る人は信頼できますよね。僕はそういう「積み重なっていく信頼」は先生が学級をまとめていくときに、最も必要になってくると信じています。