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どうして勉強しないといけないの?

昨日、思い立ってすぐにしたツイートが、思いの外、反応が多くて驚いております。リプライも250を超える勢いで全てに目を通しているつもりが、追いついていません。企画している本人なので「どうして勉強しないといけないの?」に対する返答はTwitter上ではしない方がいいのかなと思って。

でも、言いたいこともたくさんあるし、皆さんのリプライに刺激も受けたし、noteに考えたことを書いてみたいと思います。

まず勉強をする理由から考えてみましょうか。僕の中でも明確な答えがあるわけではなく、また別の考えに出会えればころっと変わってしまうものかもしれませんが。

勉強をする理由は「良識を持った市民になるため」というのが今の僕の意見です。これは、内田樹さんがおっしゃっていたような気がします。つまり「個人の意思」の話では無いのです。市民として社会で生きていくために、様々な共通言語を話す共同体に入っていくために、身に付けておきたいものが「勉強」では無いかということです。だから「好き」とか「嫌い」とか「役に立たない」とかいう「個人の主観」の話では無い。「やる気が起きないからしない」とか「必要性を感じない」とかもやはり違うのです。「しなければならない」類のものです。社会という共同体の中で生きていくためには身につけておきたいものなのです。

しかし、この話が理解できる子どもは「どうして勉強しないといけないの?」とは聞きません。だから、この答えをそのまま子どもたちに言うのはナンセンスです。そんなことを言われても子どもは「大人の屁理屈」と捉えてしまって、せっかく疑問に思ったことも口に出せなくなってしまうかもしれません

子どもたちは、良くも悪くも「今」を生きています。「この瞬間」が子どもたちに取っての「すべて」であり、将来への見通しというのはなかなか描けないものです。我々大人が見通しをある程度描けるのは、子どもの間に精一杯「今」や「この瞬間」を生きてきたからです。

つまり、「どうして勉強しないといけないの?」と言う子どもたちは、「今」勉強する意味を感じない、もしくは、「今」勉強が楽しく無いなどの不満があるということでしょう。

では、そんな子どもたちにどう伝えるか・・・。あぁ、難しい。一番、良い方法は「勉強が面白くなるようにする」ですよね。そうすれば、子どもたちは「今」「楽しい」から勉強に励みます。でも、これも回答としては納得いかないですよね。

そうなると見通せる大人だからこそ言えることになってくるのかもしれません。「将来の可能性が広がるよ」や「将来勉強ができないと困るよ」などの、子どもが見通せない「将来」の話をして、ワクワクさせたり、不安にさせたり。実際、リプライにはこのような回答が多かったかなと思います。

でも、「今」を生きている子どもたちに「将来」を想起させて「今」の行動に移させるというのは、相当な話術が必要になってきます。とても、すべての保護者や先生が実践できるとは思えません。

ここまで来ると禅問答のような、一体何を言っているのだ、みたいになってきます。

子どもとは「わからないこと」を「知りたい」と思えるエネルギーがたくさんあります。基本的にはこのエネルギーに頼っていけば、私たち教員からの工夫が少なくても「知りたいエネルギー」で勝手に「勉強」してくれます。でも、10歳あたりになってくると、それまで「保護者や先生が言うことがすべて正しい」から「もしかして大人の言うことにも間違いがある」と思い始めます。そのような気持ちから「当たり前」だった「勉強」を見たときに疑問として「どうして勉強をしないといけないの?」が出てきます。これは反発でも何でもなく(反発もあるでしょうが)素直な疑問なのです。その疑問に大人も真っ直ぐに向き合って、子どもと問答のように繰り返しをしていく過程こそ、まさに「わからないこと」を「知りたい」と思えるエネルギーを養える時間になるのかなと思っています。

140字の縛りを無視して1700字で語ってしまいました笑

これからも様々な企画をやってみたいと思いますので、皆さんもお気軽にご参加ください