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そう言えば私、パニック障害だったんです、の話

思い出しました。

私、20代から30代にかけて、長いことパニック障害の発作に苦しんでいたんです。


※ご注意。この記事にはパニック障害のことが書いてあります。パニック発作のフラッシュバックを誘発するおそれがあるので、体調の良いときにご覧ください。


原因が何だったのかは分かりませんが、発症したのは22歳の頃だったと思います。
ちょうど車の運転免許証を取得した頃で、最初の発作を自覚したのは自動車学校の「高速道路教習」でした。

自動車学校の車で、数人乗り合わせて高速道路で実地訓練をするのですが、他の生徒さんは緊張しながらも悠々とスピードを上げているのに対し、私が運転する順番になると、こわくて90キロ以上がどうしても出せなかったんです。
降車してからもしばらく恐怖心が拭えず、呼吸も苦しくなっていました。

それ以来、車や電車など、乗り物に対しての恐怖心が強くなり、やがて人混みも苦手になり、仕事中にも恐怖心がフラッシュバックするようになり、病院を受診するようになったのでした。

ついた病名は「パニック障害」というものでした。

恐怖心や緊張が強くなると、呼吸が苦しくなり、頭が真っ白になって何も手につかなくなってしまいます。

特に仕事中に、精密機器を扱う際に神経を集中させると、パニック発作が起こるようになりました。
焦燥感、恐怖心などに加えて、自分がどこにいて、何をしているのかも分からなくなるぐらいに酷くなることもありました。

心療内科で処方してもらった薬でなんとか落ち着くことはできたのですが、「次の発作がいつ起こるのか」という恐怖心が絶えずまとわりついて、精神的に消耗し、安心できる時間がなくなっていました。

そんな折、ご縁あって私にも可愛い彼女さんができたことがありました。
彼女もまた心に傷を負っており、お互い「分かり合えるパートナーが見つかった」と思って喜び、お付き合いはしばらく続きました。

けれども。
お互いの病状が良いときは楽しく過ごせるんですが、病状が悪くなると一転して喧嘩が増えるようになってしまいます。
しんどいところにさらに頼られることが重荷に感じたりして、「優しくしてあげたくてもできない」とか、「こっちだって大変なんだから、もっと労ってくれよ!」的な不満や摩擦が大きくなって行き、お付き合いは破綻したのでした。

また、その後に発生した震災のショックも重なり、パニック障害の苦しさは2013年頃にピークになりました。

このままではヤバい。

と思った私は、ある実験をしてみることにしたのです。

まず、パニック発作の何が一番辛いのかを考えます。

それは、「次の発作がいつ来るか分からず、その不安に怯えること」だと感じました。

では、次の発作が来るのを予測できれば、少しは不安に対処できるのでは?という仮説を立てます。

ならば、発作がどんなタイミングで起こるのか、どんな時間帯で起こるのか、などの記録をつければ、パニック発作が起こるパターンを把握でき、次の波を予測することが可能になるかもしれない!

33歳の私は、そんな発想にいたりました。

で、下図のようなグラフをつくり、日々の精神状態を可視化してみることにしたんです。

ヨコ軸が時間経過、タテ軸が体調の様子です。

良……大丈夫、普通に過ごせる

可……まだやれる、大丈夫

疲……やばいかも。

不可……はい、もうだめ。帰りたい。

約1時間ごとに、そのときの体調を記して行きます。
グラフの下の画像は割愛してありますが、体調が落ちたタイミングでどんな作業をしていたのか、などを記録してあります。
また、「投薬」などと書いてあるのは、発作止めの薬を飲んだことを表しています。

2013年4月5日の私は、9:00から仕事を始め、10時頃に体調が快調であると感じ、しかしそれを頂点として体調が下降をはじめます。
お昼休憩をとっても疲労感が拭えず、薬の力で持ち直します。
午後はずっと不調なまま、ふんばって仕事を終わらせました。

こんな感じで、グラフを毎日つけていったのです。

一か月、二か月と続けていくと、だいたいのパターンがあるのが分かるようになってきました。

パニック発作が起きやすい時間帯があること。
パニック発作のトリガーになる動作があること。
パニックは必ずおさまること。

などが判明していくと、自分の中に「安心感」が芽生えるのを感じました。
しまいには「あ、今からパニックの発作が来るな」と予知できるようになり、パニックの発作が起こると「はーい、予想当たりー。あー、苦しいなー、でもあと30分でおさまるなー。」というふうに、パニックをどーんと受け止められるようになって行きました。

そうなると、あとは回復まで早かった。

薬の量が減り、飲まなくても平気な日が多くなり、やがて全く飲まなくなり。

で、完治だ、ばんざーい!

……と思っていた矢先に右手を怪我するというね(笑)

怪我をした日は仕事の小さなミスが続いて、それを挽回しようと焦っていたんです。
休憩時間を返上して仕事をしていたら、やっちゃったんです。

案外、パニック発作のおかげで危険を回避できていた部分もあったんだなー、と、その時は思いました。

不安や焦りで判断力が鈍っているとき、「このままだと危険だから休め!」っていうサインとして、呼吸困難や動悸などの症状があったんだと。

そのおかげで仕事や生活には支障が出たけど、一番大切な生命は守られていたんです。

なのでですね、パニック発作には感謝です。
生活を困らせる厄介な病気ではなく、いのちを守ってくれるありがたい防衛本能だったんだと、今は思います。

そして怪我をしたことにより、パニック発作がなくても大丈夫なように意識改革が成されました。

今は車の運転も平気になりました。パニックを起こすことはありません。

しかし、代わりに右腕の痛みが、自分のキャパのバロメーターになってくれています。
車の運転を30分もすると、右腕が焼けるように痛みます。「これ以上の運転は危険だよ」と教えてくれているかのようです。

そう、パニックの次に私を苦しめていた右腕の痛みも、実は私を守ってくれていたものだったんです!

いま、この記事を書いていてそう思いましたよ。
そして、この右腕には、きっとアレシュが宿っていて、私に危険を知らせてくれているんです。

ありがとう、アレシュ!

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