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父母を許し、認める、の話

先週は母の日。
今週は父の日。

母の日には、母が好きなティーカップのセットをプレゼントしました。
陶器の専門店へ行き、店員さんに許可を得てティーカップの写真をいくつか撮影し、LINEで母に画像を送り、好きなものを選んでもらってそれを買いました。

店の奥から店主さんが来て、一連のやりとりに感銘を受けたと言ってくださり、値段を少しオマケしてくれました。

ティーカップセットは母のお気に入りとなり、それから毎日コーヒーや紅茶を淹れ、時には友達を読んでお茶を楽しんでいます。「息子が買ってくれたのよ」と、ちょびっとだけ自慢しながら(笑)。
喜んでくれる母の姿を見ると、私も幸せになります。

しかし、そんな母と私は、数年前まで険悪な関係だったんですってよ。

母と私の間には確執がありました。
その原因はいろいろありますが、根本はというと、母が抱く「理想の息子の姿」があって、現実の私といつも比べられているような気がしてなりませんでした。

例えば、私が100点が満点のテストで80点を取っても、「なぜあとの20点を逃したのか」に注力する癖のある母でした。私は「頑張った80点を評価してよ!」と、母のジャッジに強い反発心を覚えていたのです。

特に私が右手の握力を失ってからは、とにかく日常生活をおくるのも困難な状況でした。私はそれを乗り越えようといろいろと工夫して、できる事を増やして行ったのです。
それでも、母の目には「怪我をして、いつまでも親に心配をかける息子」として写っているような気がして、「いつになったらあなたはまともな生活に戻れるのよ!」と責められているのを感じました。

母に心配をかける申し訳なさと、いくら努力や工夫を重ねても母には認めてもらえず、この不自由な右手がある限り母を安心させることはできないんだという悲しさが織り混じって、とても苦しい日々を過ごしたものです。
その悲しみや辛さが爆発して、母と大喧嘩をすることもたびたびありました。

母と和解できたのは、前世探究を始めて間もなくの時でした。
そもそも、どうしてこんなに母と反発しなければならないのかを聞くために前世占いに行った、というのがいきさつでもあります。

和解については、お互いに何をしたというわけではありませんでした。
単に私の中のインナーチャイルドが癒される出来事が起こり、それで私の荒んだ心がフッと軽くなったという、それだけの事です。
心が癒されると、考え方や捉え方が変わってきます。
すると、見えなかったものが見えてくるようになりました。
自分の心が荒んでしまった理由が、分かるようになってきたのです。

私の中のイライラや悲しみは、両親に愛されていないのではないか、という不安がその源となっていたようなのです。

そして、その不安を慰めるために、私は理想の親というのを想像するようになっていました。
いわゆる、「本当のお母さんはもっと優しいはず」というものです。

「こんなとき、本当のお母さんだったらこう言ってくれるんだろうな」と、理想の母親を想像して、現実の母親と比べてしまう。

この構図は、そのまま自分が受けて傷つけられたものと一緒のものだということに気づいたでしょうか?

私は、親から「理想の息子像」を押し付けられていると感じていました。

「現実の僕をちゃんと見てよ、認めてよ」と思っていました。

ですが、同じことを、私は母親にしていたのです。

それは母も辛かったことでしょう。

それは父親にも当てはまります。
私は、父とも喧嘩が絶えませんでした。
親子で町工場をやっていますが、父は私のやる事を全て否定しているようで、一向に認めてくれません。

しかし私は私で、父のやり方は今の時代に合わないと、父を否定していました。
そしてやはり、「普通の父親なら、こんなときはこう言ってくれるはず」と考え、理想の父親と現実の父親を比べては、現実の父親にがっかりする、というのを繰り返しておりました。


つまり、私は父にも母にも、同じことをしていたのです。

それが鏡のように反射して、私自身を傷つけていた、のです。

今年の父の日には一日早く、私は父にお小遣いをあげました。
父はパチンコが好きなので、その軍資金にと。
父に金一封を渡す際、「この不自由な右手で、いっぱい迷惑かけたね。でも、いろいろと協力してもらったり、気づかいをしてもらったりしてありがとね」と言いました。

それが「言えた」こと、それは心が「癒えた」瞬間だったのかもしれません。

とまあ、今年の母の日と父の日には、こんなことがありましたというお話でした。

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