「おーんおーんおーん」いまや老人は泣いていた。 ドゥマゴ大賞とレーモン・クノー

レーモン・クノーの処女小説にして、ドゥマゴ賞の第1回受賞作品、『はまむぎ』を読んだ。

場末のフライドポテト屋で知り合ったガラクタ屋の老人。所有すると不幸になると主張し、貧乏暮しをしている彼が、どうしても人に譲らない青い扉がある。この老人と青い扉の謎を巡ってある噂が流れ始めて……ってな物語の筋はあるものの、作品名である『はまむぎ』は一切出てこない。まぁ代表作である『地下鉄のザジ』も別に地下鉄乗らないしね。。

ドゥマゴ大賞が創設されて、クノーの処女作が受賞したその辺の経緯は文化村のサイトにちょうど良い解説が載っていた。

パリ、1933年、ドゥマゴ文学賞誕生

当時のフランス語の口語表現や俗語を用いた文体の新しさ、みたいなのは会話劇で進むような箇所に現れてるってことで良いのかしら。

寄付を迫る神父と老人のやりとりのシーンがなかなか強烈で好き。

「シワン坊は地獄へ落ちよ! しぶちんは地獄へ落ちよ!」
「おーおー、一円ももっとらんよ! 一円ももっとらんよ!」
「あなたもまっすぐ悪魔のところへ行った奥さんのようになりたいというのかな、ええ? 奈落で奥さんと再会しようというのかな、ええ? さあ、トープ爺さん、豪勢な大聖堂を建てるからおまえの金を出せって!」
「おーんおーんおーん」いまや老人は泣いていた。「一円ももっとらん、わしは一円ももっとらん、わしゃもっとらん、わしゃもっとらん」
P.276

金持ちだと勘違いされた末の寄付の無心なのだが、誤解されていることに老人自身も気づいていないし、まるでヤクザの取り立てのような寄付集めをして誰よりも金に汚い聖職者たちという二重にユーモアの効いたシーン。クノーらしい(ブラック)ユーモアって感じか。

元々はクノーがより文学的な実験を行なった後のウリポ時代の作品『100兆の詩篇』が各務太郎の『デザイン思考の先を行くもの』で紹介されていて、そういや、持ってるな、と。

で、本棚ひっくり返して『100兆の詩篇』を探しながら、レイモン・クノー コレクションもついでに引っ張り出してきたのでした。

現代に生きてたらどんなの書いただろ。
Twitter小説とか、作中でLINEのスタンプ多用したりとか、100兆の詩篇bot作ったりとかしてたりして。

水声社さん、レーモン・クノー コレクションのLINEスタンプとか出したら面白いのにな。「おーん、おーん」って泣く老人とか、「地獄へ落ちろ!」と言う神父とか「一円ももっとらんよ!」と言う老人とか、、、etc...

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