絵画でも映画でもなく、比類のない視覚をもたらす言葉の奔流こそが、生まれて初めて感受した美術であった。 2020/05/24

 またもや急に暑いのだが、色々と文庫本が欲しくなってきている。なんというか新潮文庫や岩波文庫といったものに入っている海外の小説の古典的な奴をかたっぱしから読みたい気分がふつふつと湧いてきているのであって、こういうのは大きな書店でカゴいっぱい買うのがいいような気がするので、散歩がてら大きめの書店に行って買ってみたりした。古典的な小説に触れたい。それもなんというか、味わいたい、という気分でお買い物。

 ちくま文庫から出ている山田風太郎の明治小説全集を学生の頃買い集めていて、微妙に揃っていないまま品切れていたのだけど、今見ると普通に重版がかかっているようなので、揃えてしまいたいのだが、実家に置いてあるために果たして足りないのはどれか見当がつかない。この手元に愛書が一覧できる状態にないことがものすごくストレスで、次引っ越すときは必ず一望できる棚を整備しようと思う、というか絶対にすると誓っているのだけど、このストレスがもう限界まで来ており、ほとほと困り果てている。

 買い物に先立ち、ル・グウィンを読み終わり、福田尚代『ひかり埃のきみ 美術と回文』を読んだ。なんというか、濁音などを除いているとはいえ、回文に文字を当て、こんな詩情が湧き出してくるのかというのは衝撃で、150字を越すような長大な回文などもありなんというか凄い⋯⋯。

流れ出したわたし誰かな
なかれたしたわたしたれかな
福田尚代『ひかり埃のきみ 美術と回文』P.74
神の群れは憐れむのみか
かみのむれはあわれむのみか
福田尚代『ひかり埃のきみ 美術と回文』P.80

 短文のものだとこの辺がとても気に入ったのだけど、今この記録をつけながらも常にわたしは流れ出しているけれどそれはわたしの全体ではないわけで、果たして「流れ出したわたし誰かな」なんであるが、最後に書かれた散文もまためちゃくちゃよいのだけれど、この本を知ったのは阿久津隆『読書の日記』に出てきたのがきっかけであったような気がしていて、大感謝だ。素晴らしいものを素晴らしいと表明することは確実にどこかの誰かの新しい出会いに寄与していると思うので、素晴らしいものを素晴らしいと声高に宣言することに積極的でありたい。誹謗中傷で亡くなる人が出るようなご時世だからこそ改めて強くそう思ったりもする。

 子供時代の記憶を見渡すと、本を読む姿ばかりが目にとまる。放課後は学校の図書室で過ごし、週末は町の図書館へ通った。大人になるまでは、夜毎ヴェルヌの『海底二万海里』をひらかずには眠れなかった。本を抱えて毛布にくるまり、表紙に触れ、ページをそっと覗き込む。口を閉じて、瞳で言葉を結びあわせる。途端に果てしない海がひろがる。潜水艇の通路をくぐりぬけると荘厳な図書室に辿り着く。そこでもまた本をひらく。文字を読めば鮮烈な景色が視界へとなだれ込み、言葉がひとつ入れ替わるだけで、光景は万華鏡のごとく変化する。絵画でも映画でもなく、比類のない視覚をもたらす言葉の奔流こそが、生まれて初めて感受した美術であった。
福田尚代『ひかり埃のきみ 美術と回文』P.184

 言葉が喚起するイメージの力にひたひたと浸りたくなる。

 またたく間に十年が経過していた。仕事を転々とした末にふたたび郵便局で働くことになった。葉書や封筒が詰められた箱を延々と運ぶ。配達不可能な手紙の分類や、脱落した切手の修復をする。この世には、はがれ落ちる道をどうしても選んでしまう切手があるのだと思われてならない。何百何千もの行方知れずの切手に印刷されていた、花や鳥や雪山や王妃の横顔がつどい棲む王国を想像する。一方、切手を失った手紙は、配達されないまま世界中を漂泊するのだろうか。時間に洗われるうちに私信であることを超えて、ただ一条の言葉のエキスとなって、いつの日か彼方へと到達するだろう。
福田尚代『ひかり埃のきみ 美術と回文』P.194

 とてもいい。郵便局で働いていたことを話しているだけなのにこれ以上詩的に表現できる気がしない。ただひたすらによいなぁと、味わっていたら昼下がりな時刻になっていて、出かけた。

  ル・グウィンを読んだせいなのだけど、ファンタジーの世界が止まっていたことも思い出して、読みかけだった『グイン・サーガ 6 アルゴスの黒太子』も読了。

 しかし、俺は行かなくてはならぬ。というのは、俺には、せねばならぬたくさんのことがあるからだ。それは長い困難な仕事で、おわるまでに長いことかかるだろう。だが、せねばならぬことなのだ。そして、それが長くかかるほど、それを早くおわらせるにはたったひとつ、それに早くとりかかる以外にはない。――
栗本薫『グイン・サーガ 6 アルゴスの黒太子』Kindle版 1557

 そう、まさにグイン・サーガのように読み終わるのに時間のかかるであろう長大な作品は早く読み始める以外にはないのであるが、『モンテ・クリスト伯』の岩波文庫版も読みたいのでちょっとそっちを読み始めてもいいだろうか、いやしかし、この巻から始まった陰謀編はなかなか続きが気になる、というか、超絶美人で男勝りで気丈な将軍のはずだったモンゴールの公女アムネリス(脳内イメージはオスカル)がなんかいきなり乙女的な状況になってきていて続きが気になりまくり「どうしても目をはなすことができ」ず「どきん、どきん、とあつく心臓がひびきわたりはじめる」のである。

アムネリスは、激しく目ばたきをして、視線をはずそうとした。  だが、あらわになった、アルド・ナリスの顔から、どうしても目をはなすことができないのである。 (世――世の中に、こんな、こんな、美しい、凛々しい……こんな……)  アムネリスは、にわかに、どきん、どきん、とあつく心臓がひびきわたりはじめるのを、激しく意識した。  かっと頬があつくなり、目のまえがぼうっとなる。うるさくなりひびいている音楽も、人々の話し声も、ふいに、すーっと静寂の内に吸いこまれ、世界じゅうが、ふかい水の底にでも変じたのかと疑われた。 (ばかな――どうしたのだ……私は――)  長旅で疲れているのだろうか――と、ぼんやりと自問してみる。
栗本薫『グイン・サーガ 6 アルゴスの黒太子』Kindle版 3180

 どきん、どきん、なのであるが、どちらかと言うと昼を軽めにしたためお腹がすいてきてしまっているのだけど、つまみをどうしようか、悩ましい。こう言う時にさっと何か作れたり、仕込んであったりできるとよいのだけれど。

「人はどちらも必要に従って様式をあみ出す、ということだな。しかし様式が生まれ出てしまうと、こんどはそれが必要を左右するようになってしまう」
栗本薫『グイン・サーガ 6 アルゴスの黒太子』Kindle版 2458

 夜は豚の角煮をつまみに『モンテ・クリスト伯』を読み始め、芋焼酎をぐいぐい飲んで寝た。




自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。