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慌ただしくて何もないが、現代仏文の転換点に触れる 2020/04/08

いつもより長めの睡眠をとって少し早起きから始まる。ずっと家にいるのでお米の消費も早い。緊急事態宣言のbefore/afterも家にいるのであまり変化は感じない。仕事も相変わらず落ち着かず、読書は捗っていないのだが、それでもレーモン・クノー『聖グラングラン祭』を読了。

以前クノーを読んだのは『はまむぎ』の時なので、早くも1年近くが経過しているということらしい。

セリーヌの『世の果ての旅』とクノーの『はまむぎ』がフランスの現代小説の転換点になっているとあとがきにも書いてあったが、『聖グラングラン祭』も実験的な小説。章ごとに文体が違っていたり、「存在」という単語を10通りに書き分けて言葉遊びみたいなことをしていたり。(「尊在」「水在」「憎在」など造語で訳し分けている)筋を丹念に追おうとすると疲れるタイプの話なので、途中から自分もかなりいい加減に読んでた。

小説ってのは書かれたものであるから、それがどのような言葉づかい、あるいは文字づかいで書かれたか、というのは物語とは別に色々と奥深いものなのである、ということと理解している。

先日書いた海老くんのシーンが読了した今でもお気に入り。

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。