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相矛盾する様々な学説が自らの絶対性を主張して はぶつかり合い、結局は「断言の空しさ」とでもいうべきものを露呈して終わる 2020/06/25

 かれこれ90日くらいこれを書き続けているらしいとnoteが教えてくれた。割といいペースで読み続けられているので今年は調子いいのだけど、本当に読書ばっかりしていてバランスがあんまりよくないような気もしてきたのだけど、読みたい本がありすぎてどうしようもなくて、積読が既読に切り替わっていくのはなかなか気持ちがいい。特になかなか分厚いものが読み終わった時などは尚更なんか読んだなーという充実感がある。まぁそんなことはどうでも良いのだけど、今日は夫婦ともに一日中出社だった。これは自粛がスタートしてから初めてだったかもしれない。

 というわけで?フローベール『ブヴァールとぺキュシェ』を読み終わった。予期せぬ遺産をもらって田舎暮らしを始めるのだけど、その田舎でありとあらゆる知識を実践し、失敗し続ける物語。

 モーパッサンは、この作品の真の主人公は他ならぬ思想、観念であると喝破している。二人の主要作中人物の役割は、通常の意味での小説的行為の主体となることではなく、むしろ書物の中に書かれた言葉を身をもって演じることで、それらの言葉に目に見える形象を与えることにある。要するに、プヴァールとぺキュシェは科学の言説の通り過ぎる場なのであって、思想はそこで「あたかも存在のように動き回り、結びつき、相争っては、滅ぼし合う」。従って、これは「哲学小説」とも呼ぶべき作品であり、この「科学のバベルの塔」においては、相矛盾する様々な学説が自らの絶対性を主張して はぶつかり合い、結局は「断言の空しさ」とでもいうべきものを露呈して終わるのだ。
フローベール『ブヴァールとぺキュシェ』P.463

 小難しく言っているけれど、野菜や果物を作ろうとしては風雨にやられ、藁を積み上げておけば火事になり、骨董に興味を持ったかと思うとガラクタばかり集めてしまう。文学にはまって恋をしたら振られるし、女中に手を出したら性病にかかったりと、とにかくあの手この手で失敗に失敗を重ねていく珍道中。

 その昔、経営学の教授が「すべての理論は過剰であり、過小である。」と言っていたのだけど、ビジネスにおいて理論だけを正確に実践しようとしてぴたりとはまる状況なんてものはありえないわけで、この小説は当時のあらゆる学説に対する皮肉やユーモアでできている。次は一体何をして、どう失敗するんだろう、と読み進めていくうちに割と淡々と失敗を重ねていって読み終えてしまった。

せっかく外に出たので、お昼はうなぎをいただく。久しぶりに一日中、外にいたので痩せるかと思いきや体重は増えた模様。元気。 

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。