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【HSPとの距離感】 縛られずに使いたいときに利用する感覚で

HSPの交流会に参加して、当事者の方達と話してみて、ああ自分と似たような感覚の人がいるんだな〜と。
生きづらかったのは、繊細・敏感・刺激をもろに受け取ってしまいやすいといった気質が自分にもあったことを知らないままに、みんなと同じようにしないと!男ならガマンしなきゃ!って、生きてきたからだったのかと分かって、少し安堵感みたいなものがあったのよね。

ただ、それで終わらなくて。
なにかがわだかまりになって残っていたんすよ。

それがなにかというと、HSPだと自分をラベリングすることで、それに縛られてしまう囚われてしまうと世界を見る視野が狭まってしまうんじゃないかというおそれ。

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「僕はHSPだ」という前に、ひとりの僕という人間なんだよなーと。そう考えたときに、HSPという言葉とのつきあい方・距離感にいろいろ思いあぐねた。
で、思ったのは、まあ適宜利用しちゃえばいいかなと。
生きづらさの改善のために、集まりがあれば参加しておしゃべりしてみたり、HSPでつながりたいときは交流したり、ひとり静かにしときたいときはHSPという概念は一旦スルーするというか。

HSPは僕を構成する一部分であり、全てではない。
僕は多面的な存在であり、そのひとつの側面にHSPがある。

と思ってるのよね。
僕の気質が100%繊細や敏感だけとは限らないし。集まりに参加してた当事者たちと違っている部分も少なからずあったしね。
だから、利用したいときに使って、利用したくないときは使わない。
まあ、そんな距離感でいいかなあと。

もちろん、HSPだと知ることで安心した・よかったという人はそれでいいのだと思う。その人はその人、僕は僕のつきあい方があるということ。

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個人的に生きづらかったのは「HSPだから」というより、自分がふつうという虚像をつくりあげてそこからはみ出ないように生きていたからだと思ってて。
ありもしない「ふつう」から抜け出て、自分らしく生きようとするとき、HSPという概念を都度使うこともありまっせ〜というスタンスかなと。
こうして書きながら、自分がそう落ち着いているところだったのでした。

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ちなみに、前回参加したHSPの集まり。今週も開かれるよん。12/22日曜の11:00からですぜ〜。こんなゆるゆるHSPな僕でもよかったらお話ししましょう。
必要な人に届くといいなあ。


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