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「こんなの誰でもできる」病を知っていますか?

現在、僕は3DCG制作ソフトを使って、人間を作っている。
Blenderというソフトを使って早1か月以上がたった。

当初はわけわからないまま操作し、CG一つすら簡単に作れぬ自分に苛立ちを募っていた。3日目で基本中の基本操作(移動・回転)が分かった。
2週間で全体像をおぼろげながらにつかんだ。
3週間でとりあえず簡単な道具を作れた。

1か月たつと「なんとかできる」ようになった。
1か月前は「できない」ことが「できる」に変わった。

すると「今の僕の内側」からこんな言葉が出た。

3DCG作製など「誰でも」できる。だからお前(僕)にはもう何も価値がない

「いやいや、3Dなんてできないよ」
あなたが思ったとする。僕の心は言うんだ。

何も知らないまま「やれ」言われたらできないが、YOUTUBEや本を基にCGを作れば「誰でも」できる。

訓練を積めば誰でもできる
ここ最近でも思いつく内容として

  1. noteで文章をかける。国語を習っているんだから、誰でもできる。

  2. イラストを描ける。絵を描く人が多いんだから、誰でもできる。

  3. BGMを作れる。音楽をやる人が多いから誰でもできる。

  4. Unityでゲームを作る。実際に動画などでできる人がいるんだから、誰でもできる。

  5. そして3DCGも動画などで詳しい解説を上げている人、CG作製での忘備録を書いている人がいっぱいいるから、誰でもできる。

  6. 農作業はできないが、教えてもらってなかったり、そっちに手を出していないだけ。正しい指導×やる気があれば、僕はもちろん誰でもできる

あなたはどうだろう。

僕の仕事/行動は「一定の訓練を積めば、誰でもできる」

あなたから見て、僕は傲慢な人間に見えるのかもしれぬ。あるいは器用貧乏と捉えるのかもしれぬ。無知に見えるのかもしれぬ。

僕は次の苦しみが産まれる。

自分にしかできないものは何もない

探さなければならないが、どの分野でも「できる」人がいるし、正しい訓練(独学含む)を積めば、誰でもできる。

現代はAIも出てきて、文章組み立てはもちろん、プログラミング、イラスト、音楽その他においてもAIができるようになった。

人間の僕でもできるのだから、AIもできて当然だ。しかも僕より数倍速くできて当たり前。

ここまで書いて、僕の頭の中で次の言葉が浮かんだ。

そんなの誰でもできる。そんなことをやっても無意味無価値だ。それより早くお前(僕)にしかできない何かを見つけるんだ。お前にしかできない個性を見つけるんだ

時々作業を止めてしまうほど自分がうるさい。目先(脳内から生じる言葉)の情報に振り回される傾向はうお座の特徴らしい。

だからこそ僕は自分を追い詰める言葉にを挟んだ。すると僕が焦りだした。うまく言葉で表現できないが、こんな感じだ。

「それ以上追及してはいけない」

焦りを感じたので「よっしゃ、追及したる!」

いつのまにか「そう捉えている」自分の考え方に、自分で反旗を翻した。反旗を翻す一歩として、3DCGを作っているときの自分をとことん振り返った。

どういう作業をしているのか。どんなことに悩み苦しみ、別の情報に目を向けているのか。


  1. 0から形を作るモデリング

  2. UV展開で三次元を二次元に展開していく(展開図)

  3. 二次元のイラスト(テクスチャペイント)

  4. 骨を入れて重さを載せるボーン編集

  5. 表情など別verの管理

  6. アニメーションで3Dを動かす

6つ以上の作業があり、とても面倒くさい(+時間を費やす)
面倒くさい作業も時間を費やしつつ勉強していけば「誰でもできる」作業だ。2か月もあれば誰でもできる。

だから絶望する。誰でもできるところに差などないのだから。
このままだと絶望して終わりだ。どうすれば今の自分に違和感を抱けるのか。

いや、絶望以外の視点=自分が当たり前に捉えている価値観・考え方・行動に「それ、ちょっと変じゃない」
他人の目線で気づけるのか。

誰でもできる絶望に盲点があるとしたら?

「誰でもできる。だからお前がやっても意味がない」でなく
「誰でもできる。だから誰でもできるところに盲点があり、実は隠れたチャンスがある」としたら?

問いを挟んでいくと……

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・誰でもできる→自分にしかできない 
・誰でもできる→人生の無駄
二つは一緒の問題か。別個の問題でないか? そもそも論理的なつながりがあるの?

・誰でもできる。
その前にお前(僕)は誰と競っているの?

・自分にしかできないことをしなければ
その結果、誰もついてきてなくない?

・訓練を積めば誰でもできるので、差別化などない
訓練に費やす時間の確保は。お金は。全部独学なの?

・誰でもできるから、自分が目立たない
それらは別個の問題でないか? 

・誰でもできるから、自分には価値がない
そもそも価値って何? 価値がないという言葉にこだわりすぎて、手放していないだけでは(=別の視点だと価値になる状態を、自分が見つけていない。見つけるのをさぼっている)?

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問いを次々はさめていけば、いかに自分が得体のしれない言葉に追い詰められた気持ちでいるかがわかる。

くわえて問いかけると、どんどん思考停止に陥っている。
思考停止は「実はつながりなどない」状況を示すのであり、答えを探そうとする姿勢とは全然違う現象だ。

で、僕がふっと浮かんだ言葉がある。

自分が失う時間と他人が得られる時間

誰でもできることを自分がやる。すると誰かの時間に空白ができる。同じく自分ができることを他人に任せる。すると自分の時間が浮く。

時間だけではない。作業動作もしなくていい。
浮いた時間でほかの作業ができる

すると気づいた。

僕は時間の交換に価値を感じていない。

昔から時々ただ働きをしていた。ただ働きの背景には自分が弱い人間、遠慮する人間であると同時に、次の気持ちもあった。

「こんな誰でもできる、簡単な作業でお金などをもらうのも、気が引けるんだよなあ。こんな簡単なことで金をもらってはいけないというか」

僕の中で「これじゃないと価値じゃない。こんなの価値でもない」いつの間にか決めつけていた

本来は価値の交換できる場所を無意識に自分から蹴っていた。

無意識というよりは「こんなので交換するなんて、恐れ多い」
勝手に「こうでなければならない」を作っていた。

いや「それをした結果、恐怖な未来が来たらどうしよう」
自分の名誉が崩れる・評価が落ちる怖さを拒んでいた。

世間の情報から「知らぬ間に生まれた公式」

自分だけが原因かと言ったら違う。
例えば教育にて詰め込みからゆとりへと変化があった。

詰め込みではとにかく知識を詰め込む。
ゆとりはあまり詰め込まないで、総合的に考える。

教育のやり方を習慣化させていくと、思考の仕方も染まっていく。知らない間に「こうときたら、こう」ができる

「こうときたら、こう」を疑えない限り、世間から入ってきた情報について、知らぬ間に「こうときたら(自動的に)こうだよな」染まっている自分がいる。

僕自身の考えはもちろん、知らない間にできた公式も相まって「だれでもできる」病に侵された。そこで僕は新しく言葉を作る

こんなの誰でもできるからこそ、こんなチャンスが与えられた!

最初、僕は「こんなの誰でもできるからこそ、自分には価値がない。だって自分のやっていることは、他の人も簡単にやれるのだから」だった。

誰でもできることに、何の価値があるのか……苦しんだ。
脳は論理過程をすっ飛ばし、自分に都合いい結論を出したがる。

「自分には価値がない」も僕自身にとって「そっちの方が、いつまでも成長できてる感覚があって、都合いい夢物語に浸れるじゃん。それに同情してくれる人もいるしな。甘えられるしな」

現時点の僕自身が今一つ納得していないが、数年後の僕が読んだら納得できる「都合いい結論」を、無意識に僕が作りこんでいた。

己の疑問と考察を通し、今の自分にとってマイナスと受け取る現象を、強引にプラス方面へ受け取ったら……どうなるか。

甘い世界に浸っていられなくなる(というより、もう面白くないから捨てる)。

あなたが現在している仕事・技術全般にて「自分の仕事は誰でもできるよなあ。別に自分じゃなくてもいいよなあ」捉えてほしい。

だから価値がない……脳は論理矛盾を強引に引き起こし、早とちり・早結論を出しやすい。そこだ。そこを強引に変えてしまうんだ。

「自分の仕事は誰でもできる。だからとっとと自分がやりたい/現実化させたい企画に手を出し、誰でもできる部分を部下(=誰)に回してしまおう」

自分の時間が浮くばかりか、自分でもできるので教えやすいし、何をどうしたらいいかも見えてくる。


…という内容の企画を、何らかの形(塾など)で世に出したい。

「自分がマイナスに捉えていること、実はプラスで捉えたらチャンスなんだよ。ただわからないんだ。どうやったら強引にプラスへ持ち込めるかを。そして応用のやり方を」

趣旨にした何かをnoteなどで販売したい。

今日の話、人生において挫折を経験した人か、自己変革の怖さを知る人でない限り、たぶんわからないと思う。

わからなくていい。
「こういう世界・こういう人間もいるんだな」
感じてくれれば、それで十分だ。

※追記

「怖い」言ってる自分が一番、自己選択において決定権を持っている気がする。


支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます