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教養があるかないかは「人をほめれば」一発でわかる!

あなたは人をほめているだろうか。
褒めているとき、同時に自分を「観て」いるだろうか。

勉強して良かった、無駄な知識をつけて良かったと思える出来事を紹介したい。

先日、僕はインスタフォロワーのイラストをコメントにてほめた。
僕がお世話になっているフォロワーさんだ。

文字に注目してほしい。
すごく独特で踊っているような印象があった。

相手から感謝及び下書きイラストをいただいた。
下書きを見て本番を見た後、
「とても考えて描いている」気づかされた。

フォント一つを描くのに、どうして考えていると気づかされたのか?

答えは僕自身にある。僕だったら適当に文字を書く。

自分が適当に書いているからこそ「適当の基準」が自分の中にできる。同時に「適当でない、計算して書いている人」と「適当な人」の違いも体で悟る。

適当なら整っていないし、角度や丸みなども計算していないから、
全体的にいびつな割に、鑑賞者の心に引っかかりを感じないものができる。

鑑賞者の心に引っかからない、自分で書いて重要な指摘と確信した。


◆鑑賞者の心に引っかからない仕組み

僕は彼の描く文字に注目した。
彼の文字は「鑑賞者=僕」の心に引っかかった。

なぜ引っかかったのかというと、
僕も文字を書いているものの「適当」が多いからだ。
(すでに理由を述べたので省略)

鑑賞者の心に引っかかるよう、ある程度計算して文章を書く、
計算かつ工夫を出して、イラストやフォントなどに「仕掛け」を行う。

何も考えないで描くと、仕掛けも気にせず描くため、
第三者の心にほとんど引っかかりを覚えない
、素通りされる作品ができる。

コミケでも美術館でも思い浮かべてほしい。

何かに引っかからないで進むのと、引っかかりを抱いて進むのとでは、どちらが購入率を高められるか。

引っかかりを覚えるからこそ、立ち止まって商品を見たり、
販売者のセールストークを聞いたりし、購入率を上げられる。

「ああ、僕は鑑賞者の心に引っかかりを覚える意識を持っていなかった」

記事を通して"今"気づかされた。

※記事を通して自分自身も気づかされる。
記事を書く一番の面白さよ。

◆ほめるときに試されている「教養」

僕が彼のフォントに関心を向けた理由として、
自分が普段フォントを「適当」に描いているからこそ、
計算して書いている人との違いに気づかされた。

一部は考えて描いている。
例えば上記画像。フォントは丸みをおびている

軍人なら角ばって描くが、女性なので丸みをおびさせた。
適当なら角ばって描くか、自分の文字をそのまま描くだろう。

webグラフィックや画像を使った告知文に携わる人なら、
世の中にはたくさんのwebフォントがあると分かるはずだ。

webフォントには丸っこいの、ギャルっぽいの、
おじいさんっぽいの、軍人が使いそうなものなど、
ありとあらゆるフォントがある。

たいていは明朝体かゴシックだ。
僕はメイリオあるいはポップ体が好きだ。

フォントの種類を知っている。
知っているだけでなく、当てられる=体で理解できている。

フォントという学問があるとしたら、
僕はある程度フォントノウハウ・種類を身に着けている。

自分も筆を使って絵に装飾を施すから、
文字を描くときの適当さ及び大変さがわかる。

大変なところ=作業過程(プロセス)に注目する。

全員ではないと思うが、
大半のクリエイターは結果だけでなく作業工程・過程も、
注目したうえで「ほめてもらいたい・わかってもらいたい」気持ちがある。

商売やビジネスでは結果ばかり求められるけど。

note記事一つにしても、適当に思ったことを書いている人もいれば、すごく考えたうえで記事を練りこんで書いている人もいる。

すごく考えるとは、記事やイラストと言った作品一つに対し、
いろんな狙い(意図)を定め、伏線や回収を仕込む行為
を示す。

すごく考えたうえで書いている人からすると、
「ここにも注目してもらえたらありがたい」
思うのではないだろうか。

鑑賞者がどんな意見を出そうとも自由だ。けなす人だっている。

一方で書き手がすごく考えている部分を、
きちんと言葉で表現してくれる鑑賞者
がいる。

作品を出してよかった、生きててよかった。

僕はもちろん、フォロワーからいただいた言葉で簡単にわかる。

人をほめる。ただ褒めるだけでない。
相手のすごく考えている部分を指摘(言葉で表す)したうえで、
褒めてあげると、お互いいい気分になれる

そして相手のすごい部分を指摘するためには、
今回ならフォントの知識はもちろん、文字を描く大変さなど、
「仕事にほぼ結びつかない教養」を身に着ける必要がある。

フォントに対する知識や体験、そして描く大変さがわからないと、
フォントの面白さ一つ、まず気づかない。

別の例として、僕はクラシックにほとんど興味がなかった。
作曲及び編曲を行うようになってから、クラシックも聞くようになった。

「創る人の気持ち・すごく考えている事柄」がわかったからだ。

教養はあるだけでもいいけど、
どうせなら「相手をほめて、お互いいい気持ちを味わう」ために、
教養をフル活用及び、新しい知識を身につけて行った方が、
すごくいいと僕は確信
している。

仕事に関係ない勉強をやって、本当によかったと思っている。もしあなたが現在、仕事に関係ない勉強をしているとしたら、

「無駄なことばかりしているなあ」でなく

「ああ、無駄なことをしてよかった」と、自分をねぎらってほしい。そのうえで人をほめるときに、学んだ箇所をきちんと言葉で表し、相手に伝えると、相手はもちろん自分も喜んでくれるだろう。

今日の話、気づきや面白さを抱いたら、いいねボタンを押してくれると嬉しい。


PS インスタやっています。ぜひみていってください。

PS2 今日の記事はすごく考えて書いた。言葉で言い表せられない部分を考えながら書いた。テクニックやノウハウではあるんだけど、意識の部分におけるテクニック、マインドというのかな。

「こう書きなさい、煽りなさい」といった「やり方」でなく
「常にこれを意識して書きなさい」という「あり方」だ。

今までと違う、自分の「ありかた」が試されている内容だから、すごく緊張している。

あり方のもとを作ったのがこちらの記事だ。

あり方については、後日書こうかと思っている。


支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます