見出し画像

勉強はなぜ脱線させると面白いのか3:DogsとA dogの違いを知って恐ろしく大きく震えてしまった!

うちのノートでは勉強シリーズを載せている。
前回の記事は結構評価がよかった。みんな勉強してんだねえ。

さて今回も基本について一つ驚いたものを。

僕は英語を「使う=書く」ために学んでいる。
ただ「読むだけ」なら絶対に気づかない箇所だ。

まずは二つの英文を見てほしい。
某翻訳機を使って二つの日本文を英語にした。

「犬は飼い主と一緒に歩いていると、幸せを感じる」

日本文も英文も翻訳をかけた結果、

グーグル:犬は飼い主さんと一緒に歩いていると幸せを感じます。
Dogs feel happy when they are walking with their masters.
ディープル:飼い主さんと一緒に歩いていると、犬は幸せを感じます。
A Dog feel happy when they are walking with their masters.

注目してほしい部分はDogsとA dogだ。
自分は「犬一般」を想定していた。だから問いかける。

「俺は複数形を使う気はないぞ。
なんでDogsなんだ? A dogじゃないの?」

英語を読んでる時は大した疑問を抱かなくても、
いざ自分が英語を書く番になったら悩みまくる。

Dogについて「はっきりとこの犬!」特定していないため、
Theをつけない。

A名詞(単数形)と複数形の使い分けってなんだよ?

そこで辞書やネットを通していろいろ調べていくと、

辞書:総称を表す表現として、無冠詞複数形が一般的、
A+名詞は原則として主語の場合に限られる。
目的語は無冠詞複数形を用いる。

なので I like dogs.はよくて、
犬一般を示す言葉としてつかえる。

I like a dogはある条件でしか使わない。
I like dogはさらに違った条件で用いると。

文法的な誤りはないんだけど、ニュアンスはがらりと変わる。

※間違ってる理由としてI like dogにすると、
dogは「犬肉」になってしまうらしい。

また like a dogはペットショップなど特定の条件で飲み通じると。

参照:“I like dog.”は「わたしは犬の肉が好き」
参照:目的語の違い

ネットでも調べたら面白い表現があった。

本屋が一軒しかない町に住んでいることを想像してみてください。
中略
こんな何でも1つしかない世界、なんてつまらないのでしょう!
心配いりません。複数形があなたを救ってくれます!

英語において単数形の単語は、1人の人や1つの物、場所、考えなどを指し示します。複数形は、1人以上の人や、1つ以上の物、場所、考えのことです。
参照:英語の文法:総称の複数形、集合、固有、物質、抽象名詞

英語を書く側になって、初めて僕はA単数形と複数形の違いについて、
「どういう時に複数形、単数形を使えばいいんだ?」考えるようになった。

単数形でも「どういう時にAをつけるのか?」
向こうにとってAをつけるのとつけないのとでは何が違うか。


◇基本を学びなおしたら文化を学んでいた…だと!?

A dogとDogsの違いを調べた結果、
英語圏の人たちがどういう考えを通して語学を使うのか?

僕にとって英語圏を使う人たちの考え方=文化を一つ知った。

今、あなたは日本人だろうか? 外人だろうか?

和文英訳と英文和訳の勉強を通して、
日本語は英語に比べて難しいと考えるようになった。

日本語を扱っているからこそ日本語が簡単……でなく、
日本語表現は何と幅広いんだろうと。

犬の文章を読んでほしい。

・犬は飼い主さんと一緒に歩いていると幸せを感じます。
・飼い主さんと一緒に歩いていると、犬は幸せを感じます。

Dogs feel happy when they are walking with their masters.

日本語は語順を変えても「ああ、そういう意味ね」わかるけど、
英語になったら語順を変えると意味もがらりと変わる。

「文法は一定のルールに基づいて表現する手段」

考えている外人にとって日本語は怪物じゃないだろうか?

ひらがな、漢字、肩かな、横文字……
ありとあらゆる言葉が混じっても、普通に使える。

それだけ「いろいろ混ざっても、何とか使いこなすからOKよ」
→ほら、今僕は「OK」よって書いたね。

変な文化が背景にあるんだ。

英語でさ

Dogs feel 幸せ when they 歩く with their masters.

なんて表現が出たら「なんじゃこれwww」笑われる。

英語は「論理」が背後にあるからこそ、
「論理=5W1Hがあって、単語一つに意味及び使い道がはっきりしている」

捉えると日本語に比べて難しくないと考えているよ。

A dog と  dog の違いを見ても、Aをつけるかどうかにきちんとした意味があるからこそ、基本間違えない。

日本語なんて総称だろうが「犬」でもいいし「犬たち」でも通じる。

あいまいでどちらかといえば非論理的な言語
日本語を使うのって外人にとって難しいんじゃないかなあ?

と、僕は英語を学びながら考えている。


◇苦痛が快楽になるとき

勉強は基本、面白くない。

先日、ツイッタートレンドに中学受験という単語があった。

受験生にとって勉強は大学や高校へ入るための手段であり、
時によって苦痛とも感じるだろう。

また社会人にとっても仕事上どうしても必要な時、
「ああ、早くこの痛みから解放されないかなあ」
辛い気持ちを抱いているかもしれぬ

僕もね、英語を学びなおしているとき、最初から面白いわけではなかった。
むしろ最初は苦痛と感じるときもあった。

しかし僕は勉強のやり方を変えた結果、
基礎ほど面白い宝探しはないと「考え方」が変わった。

DogsとA dog一つをとっても「驚き」があるなんて。

「犬は日本語をしゃべらない」と英語で置き換えるとき、
「犬は総称かつ主語として使うから、DogsでもA dogでもいいな」

きちんとした根拠を持って、
「Dogs don't speak Japanese.」と表現できる。
または「A dog don't speak Japanese」とも表現できる。

「Dog don't speak Japanese」とは書かない。

全く知らないことを調べるというよりは、
知っているものの中に「ちょっぴり知らない」があって、
「ちょっぴりをふさぐ」意味で調べる。

「盲点(or知ってるつもり)」をふさぐ。

ただふさぐだけだと面白くないので、
「いかにゲームをやっているかのような感覚」で捉えるか?

エンタメ感覚として勉強している。

ここに至るまですぐ、すんなりいけないから、
あらゆる勉強が「苦痛」で「嫌なもの、避けたいもの」になっちゃうんだよね。


PS 勉強は何も英語だけを示しているのでない。

インスタにイラストを上げたとき、僕はふと自分が傲慢な人間だな、人と比べて「俺って優れた人間だ」アピールをしていたと気づかされた。

「人と比べて俺ってすごい」とわざわざ書く姿勢、思いを吐き出しているときはほとんど気づかないんだ。ほとんどであって「ちょっと」は気づいている。

しかしちょっと気づいても「やっぱ俺ってすごい」を前に出したくて、ちょっとの警告を無視してしまう。

結果、後で自分に跳ね返ってくるんだけど、早く気づけば大ごとにならなくなる。世の中、危機は二種類あって

・今後の人生に必要だから生じる

・ちょっとは気づいているが、目先の快楽や優越さによって無視される

後者は勉強と同じで自分の中にある盲点へ気づけば最悪を防げると考えているよ。今日の話が「面白い」思ったら、いいねを押してくれると嬉しい。

そしてまだこちらを読んでいない人は、ぜひここも読んでほしい。


この記事が参加している募集

最近の学び

支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます